大島大神楽・伊勢神楽
大島大神楽・伊勢神楽
元正天皇の御宇天皇ご不快にわたらせ給ひしにより、泰澄大師加賀国白山神社天皇ご病気平癒せんことを祈願のため登山の砌美濃国に至り当地を通行のとき、本村字西川原に一つの小なる沼あり。大師自ら苗を植置き給ひしに、独り大いに成長して穂出豊実す。該所の上に小堂一宇を創立して此の稲穂を安置す。此処を名付けて稲荷砂と唱ふ。その後大破に及び堂宇稲穂を失ひ其の後嵯峨天皇の御宇弘仁五年に至り、再起して神を祀る。稲荷舎と唱ふる所なるを以って山城国紀伊郡稲荷山より倉稲魂命を勧請し奉りて氏神と称す。それより累年氏子の寄力を以って今に至るまで相続せり。
資料集
092_106_大島大神楽・伊勢神楽