平和への願い ひめゆりの塔・ひめゆり祈念資料館
平和への願い ひめゆりの塔・ひめゆり祈念資料館
ひめゆりの塔は、沖縄戦末期、米軍のガス弾攻撃によって亡くなった多くのひめゆり学徒や陸軍病院関係者を弔うため、1946年4月5日、真和志村民らによって伊原第三外科壕の上に建てられた慰霊碑である。
「ひめゆり」の名前の由来は、当時沖縄県立第一高等女学校が「乙姫」、沖縄模範学校女子部が「白百合」と名付けられていたことから、その両方の名前を合わせて「姫百合」となった。その後、戦後になってひらがなで「しらゆり」となったと伝えられている。
1983年1月、ひめゆり学徒隊に関する資料を保管・展示し、戦争の悲惨さを後生に伝えるため、元ひめゆり学徒隊(団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会)は、資料館建設期成会を設置した。その後1989年6月23日、ひめゆりの塔の隣地に「ひめゆり平和祈念資料館」が開館した。
館内には6つの展示室と多目的ホールがあり、平和で希望に満ちた学生生活の様子や、そこから一変して戦争に巻き込まれたひめゆりの学生たちの様子や証言を写真や映像とともに見学することが出来る。
また、資料館には戦争によって焼け焦げてしまった当時の生徒の持ち物や医療器具なども展示されており、どれほど恐ろしく、そしていかに一般市民を巻き込んだ戦争であったのかを知ることが出来る。
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