沖縄の怖い話『ミミチリボウジ』
沖縄の怖い話『ミミチリボウジ』
■中城御殿(大村御殿)とは
「中城御殿」は琉球の王世子のための宮殿として建てられた邸宅であった。王世子は伝統的に中城間切(中城村〔沖縄中部〕)の統治が任されていたことから中城王子とよばれており、それに由来する。大村御殿ともいわれる。
*間切・・・琉球王国時代および明治時代の沖縄県の行政区分のひとつ。
■中城御殿の歴史
中城御殿は尚豊王代(1621~40年)に創建され、二百数十年間、世子殿であった。1875年に世子殿が龍潭の北側(旧県立博物館敷地)に移転すると、跡地は「下の薬園(シムヌヤクエン)」となった。
1879年の沖縄県設置後、1891年に沖縄尋常中学校(後の県立第一中学校)が置かれた。沖縄戦で建物内に保管された大事な宝物とともに重要な資料も散逸しまった。沖縄戦後は首里高等学校の校地となった。元々の建造物のうち、残ったのは井戸が1つと、周辺の大きな石垣だけだったが、中城御殿に関する資料や写真は多く残っている。その場所には1966年に沖縄県立博物館・美術館が建てられたが、2008年に解体され、現在は重要な発掘作業が進められている。
【中城御殿にまつわる怖い話『耳ちりぼーじ』】
琉球王朝時代に首里に黒金座主(くるがにざーし)という僧がいた。その僧が怪しい術を使って女性をたぶらかし襲っているという事に怒った琉球王は北谷王子に彼の殺害を命じた。
北谷王子は黒金座主に囲碁の対局を持ちかけ、黒金座主は両耳を、北谷王子は髷をそれぞれ賭けた。黒金座主が怪しい術で北谷王子を眠らせようとしたところを逆に北谷王子が黒金座主の両耳を切り落として殺した。
その後、黒金座主は幽霊となって北谷王子の住む大村御殿を囲う石壁の角に夜な夜な現れた。またそれ以来、大村御殿には男の子が生まれるとすぐ死ぬとう事が続きどちらが生まれても「ウフーイナグ(大きな女の子)の生まれたんどオ」と唄う風習ができたという。
*諸説あり