犬山城
犬山城
犬山城は、織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537)木之下城を移して築城したと言われており、天正12年(1584)小牧・長久手合戦の際には、羽柴(豊臣)秀吉は大軍を率いてこの城に入り、小牧山に軍をしいた徳川家康と戦った。
江戸時代には、慶長12年(1607)、徳川家康の9男義直が尾張へ移封されると、成瀬正成は傅役となったまだ幼い義直にかわって尾張藩政をゆだねられていた平岩親吉が同16年に死去し、その翌年から正成は竹腰正信と共に、尾張藩の付家老として政務に携わった。
元和3年(1617)成瀬忠成が2代将軍・徳川秀忠から犬山城を拝領して以後は、幕末まで代々城主と尾張藩付家老を務め、明治24年(1891)濃尾震災をきっかけに再び成瀬氏が天守の所有者となった。
その後、平成16年(2004年)まで長きにわたり個人所有の城として知られてきた。
天守は昭和10年(1935)に「国宝」に指定され、同27年、規則改訂に伴い、再指定された。
平成30年(2018)2月13日「国の史跡」に指定された。
現存する天守の中では最も古いと言われている。