赤坂宿
赤坂宿
東山道・赤坂宿
赤坂(あかさか)港(みなと)跡(あと)
享禄3年(1530)まではここが揖斐川の本流であった。明治になって500隻余の船が石灰を運ぶために利用していた。現在は親水公園として親しまれている。
赤坂本陣公園(本陣跡)
江戸時代大名が参勤交代など通行の際宿泊した本陣(高級旅館)があったところ。敷地約800坪、建坪239坪、岐阜県では中津川に次いで2番目に大きい。文久元年(1861)10月皇女和宮が将軍家茂に嫁ぐ際にも宿泊した。現在は建物もなく、公園として整備されている。中には新しく幕末の青年の志士、所郁太郎の功績を顕彰した銅像や和宮を偲ぶ顕彰碑がある。
四ツ辻周辺
谷汲の道標をはじめ、矢橋家や脇本陣、本陣跡など歴史的な建物や史跡が集積し、宿場風情が最も色濃く残っている。
お茶屋屋敷周辺
お茶屋屋敷は徳川家康が上洛のために作った休憩宿泊所。中山道に唯一残る史跡。その東側の脇道は生垣や庭木などが多く緑豊かな景観がある。
旧街道の景観宿場景観
赤坂地区は、東西に走る旧中山道、四ツ辻から北に伸びる旧谷汲街道、南に伸びる旧養老街道の3本の旧街道によって形作られている。旧街道沿いには宿場町としての歴史を伝える建物が数多く残されている。特に、四ツ辻以西では統一された屋根並みを見ることができる。
金生山からの眺望
金生山は2億5,000万年前、海底の地殻変動が逆断層し、隆起してできた。日本有数の石灰岩・大理石の産地として知られているが、古生代の化石が豊富に出土しており、化石の宝庫としても世界的に有名である。
また、金生山からの眺めは素晴らしく、大垣市をはじめ、濃尾平野を一望することができる。
*説明版より