金名鉄道の廃線
金名鉄道の廃線
かつて白山市鶴来と白山麓の白山下(白山市河原山町)18.8㎞を結んだ軌道幅1067㎜)の鉄道。大正14年(1925)12月25日に鶴来出身の小堀定信(1888~1964)によって金名鉄道株式会社が設立された。金名鉄道の会社名の由来は、金沢と名古屋を白山麓を経由して4時間で結ぼうと計画された事による。大正15年2月1日に白山下から加賀広瀬13.8kmが開業し、昭和2年12月28日までに残りの、加賀広瀬から鶴来間5kmが開業した。当時、白山麓では手取川沿いの水力による発電所建設工事が行われ、鉄道開業の背景には、電源地開発のための資金援助を電力会社から得られたことによる。昭和4年には途中、神社前から鶴来町間2kmが金沢電気軌道に譲渡され、電化された(金沢白菊町から神社前の直通電車開業、流600V)。昭和18年に、戦時統合により北陸鉄道株式会社が設立され統合された。以後加賀一の宮から白山下間は金名鉄道と称した。昭和24年12月6日、加賀一の宮から白山下間は電化された。昭和34年沿線に北陸鉄道が経営する手取遊園が開業するが、昭和39年に廃園となる。昭和45年4月1日より、モータリゼーションの普及により昼間はバス代行運転となる。昭和59年12月には、途中中島鉄橋の崩壊が指摘され、電車運行を停止。同62年4月に廃線となった。当初の加賀一の宮から鶴来は存続したが、2009年11月1日をもって廃線となった。現在廃線跡は、手取白山キャニオンロードとして自転車専用道として整備された。加賀一の宮駅は、鉄道遺産として保存され現在観光案内所として活用されている。尚、白山下から郡上長滝(現長良川鉄道)間は、白山尾添、現白山プラチナ道路を経由して、白川村平瀬を経由する計画であったが、莫大な建設費用がかかるため実現に至らなかった。
特色
20世紀前葉から計画された壮大な鉄道計画で、山間地の電源開発と連動して事業が進められた事に特色がある。遺構は、自転車道路として活用され、往時を復元することが可能である。
メタデータ
金名鉄道
資料集
066_069_金名鉄道の廃線