飛騨高山の城主 金森長近
飛騨高山の城主 金森長近
金森長近は大永4年(1524)美濃国で生まれ、大畑家の次男として一家で金ヶ森に移って来る。その後18歳まで居たとされている。そして織田信長の桶狭間の戦いに参戦、金森長近と名乗るようになった。信長の死後、豊臣秀吉に仕え再び戦功をあげて飛騨の国の城主になる。
説明板より
川那辺氏と金ヶ森城
金ヶ森城は現在の城の下団地「城ノ下」にあった。城主は川那辺氏で「建武3年(1336)湖上輸送権をめぐる戦いの時、金ヶ森城主川那辺厚高とその弟厚房は武勲をたてた」(守山市史)とされている。
説明板より
道西と苦菜会
道西は金森の地で応永6年(1399)産声をあげる。親鸞の教えを求めて歩んだ道西の姿を蓮如上人御一代記聞書が詳しく紹介している。苦菜会は金森を代表する伝承行事で、蓮如の遺徳を偲んで毎年3月上旬、500年以上継続している。
説明板より
蓮如に関する伝説
蓮如が戦国乱世の時代を生きた湖国の人々の心を、いかに深く、強くつかんでいたかを知るものとして蓮如に関する伝説がある。「蓮如ぶきの屋根」もその一つであるが、現在分かっているものだけで、近江18市町で32話もある。
説明板より