沖縄の怖い話『ガーナー森』
沖縄の怖い話『ガーナー森』
【ガーナー森付近の歴史】
ガーナー森は市指定の文化財(市指定名勝・天然記念物)〔指定年月日:昭和49年12月2日〕。現在は国場川河口周辺の大半が埋め立てられ、ガーナー森も地続きになり市街地に囲まれているが、戦前は国場川河口にある小島のひとつであった。また、数ある島のひとつでもあった奥武山(おうのやま)には、当時、龍洞寺があり、あたりは松がうっそうと生えていたといわれている。
奥武山からガーナー森にかけての景色は、中山八景のひとつ「龍洞松濤(りゅうどうしょうとう)」としても知られており、数々の小島や漁舟が湖に浮かび夕日で照らされる様はさまざまな書物に謡が残されている。
ガーナー森の名称の由来は諸説あり、ガーガーとうるさい鵞鳥(ガチョウ)がいたためとか、ガーナー=たんこぶの意など、定かではない。
また、ガーナー森にはナハキハギが群落する北限地でもあり、那覇市の天然記念物に指定されている。
【ガーナー森の話】
琉球王朝の尚敬王(しょうけいおう,1700~1751;琉球王国第二尚氏王統第13代国王,在位1713~1751年)の時代、那覇市の国場川近くにある森で、とても大きなガーナーというマジムンが暴れまわっていた。
大きすぎるため人々は止めることができずに逃げ惑うばかりだった。北にあった真玉橋近くの集落に被害が及びそうになったとき、見かねた神さまは、退治するため、天からマジムンの尾に向かって岩を落とした。一つ目では止まらず、三つ目まで落とすと、やっとその動きを止めることが出来たという。
しかし、マジムンは動けなくなったあとも口から魔風を吹き出して害を成すので、真玉橋の人々はガーナーに向かってイリヌシーサーというシーサーを設置して祀ることで封印した。
そして時が経ち、ガーナーは森になり、ガーナー森(ガーナームイ)とよばれるようになり、戦前までは国場川の中にある小島だったが、戦後の埋め立てによって現在は市街地に囲まれた場所に残っている。
【ガーナー森とシーサー】
ガーナー森のある方向を睨んでいる真玉橋のイリヌシーサーと根差部のシーサーは今でも残っており、悪いことから村民を守ってくれているといわれている。