桧隈寺跡

桧隈寺跡
檜隈寺跡は、神社の境内にあり、塔・講堂・回廊跡と推定される建物跡を残し、礎石が遺存する。伽藍は西を正面とし、塔を中心に右に金堂、左に講堂があり、金堂・講堂は塔側を正面とする、特異な配置となっている。出土瓦から七世紀前半~八世紀初頭に建立されたとみられる。昭和54年からの発掘調査によって、金堂·講堂とその基壇.塔·門·回廊·仏堂などが検出されている。これらの伽藍配置は塔の北に講堂があり、南に金堂を置くという特異な配置で,かつ瓦積基壇という工法は近江、山城、そして朝鮮半島の寺院で多く用いられており、日本への導入も渡来系氏族との関係が指摘されている。また、瓦が大量に出土しており、講堂の規模は飛鳥寺や法隆寺西院の講堂に匹敵する。創建年代は出土した瓦などから7世紀後半~8世紀初頭にかけてと考えられている。その他に平安時代の遺構からではあるが、金銅製飛天の破片が出土をみており、東漢氏の中心氏族檜隈氏の氏寺として建立された当寺の出土遺物としてふさわしいものである。現在、阿知使主を祀ったとされる於美阿志神社や、重要文化財である平安時代に造られた十三重石塔が現地にある。また、このあたりに宣化天皇の盧入野宮があったといわれているが、定かではない。
昭和54年からの発掘調査によって、金堂・講堂とその基壇・塔・門・回廊・仏堂などが検出されている。これらの伽藍配置は塔の北に講堂があり、南に金堂を置くという特異な配置であり、かつ瓦積基壇という工法は、近江、山城、そして朝鮮半島の寺院で多く用いられており、日本への導入も渡来系氏族との関係が指摘されている。また、瓦が大量に出土しており、講堂の規模は飛鳥寺や法隆寺西院の講堂に匹敵する。創建年代は出土した瓦などから7世紀後半~8世紀初頭にかけてと考えられている。その他に平安時代の遺構からではあるが、金銅製飛天の破片が出土をみており、東漢氏の中心氏族檜隈氏の氏寺として建立された当寺の出土遺物としてふさわしいものである。現在、阿知使主を祀ったとされる於美阿志神社や、重要文化財である平安時代に造られた十三重石塔が現地にある。また、このあたりに宣化天皇の盧入野宮があったといわれているが、定かではない。
(引用:http://www.asukabito.or.jp/spotDetail2.html・http://sakuwa.com/yw52.html)