県指定・飛騨東照宮

県指定・飛騨東照宮
 〈県指定〉昭和47年3月17日
 〈所有者〉東照宮
 〈所在地〉西之一色町3丁目1004番地
 〈時代〉文化15年(1818)
 〈員数〉1棟
  本殿(1棟)方2.73m、霊廟建築、銅平板葺
  唐門(1箇所)桁行1.82m、梁間3.94m、向唐門造、銅平板葺
  透塀 延長62m、亜鉛鍍鉄板葺
 金森第3代重頼(しげより)が元和2年(1616)、高山城内に徳川家康を祀った東照宮を奉(ほう)祀(し)したが、延宝8年(1680)現在地に遷座した。諸国が勧(かん)請(じょう)した東照宮は、全国で100数十箇所を数え、寛永年間(1624~1644)家光の東照権現に対する崇敬と幕府勢力の伸張に伴なって建立されたものが多い。その後金森氏が元禄5年(1692)に出羽へ移封になってからは、荒廃してしまったが、これを嘆いた金森の子孫重任が神社の再建を志した。時の郡代芝与市右衛門正盛(18代)がこれに賛同し、町人の協力を求め、神社を再建したのである。大工棟梁は水間相模宗俊、彫刻は谷口与鹿の師である中川吉兵衛が受け持ち、文化15年(1818)4月上棟が行なわれた。
 東照宮は再建の時から高山の町人が深くかかわり、景勝の地にあるため祭礼だけでなく遊覧の場所としても親しまれてきた。明治の初めに書かれた『斐太後風土記』には、東照宮での遊覧の図が描かれている。
 昭和36年、本殿と唐門の屋根を杮(こけら)葺(ぶき)から銅板葺に改修し、昭和50年には石垣と石段を修理した。
 建物外観を見ると、唐門を取り込んでイチョウ透かしの透塀が巡らされている。この一連の配置と建築様式は桃山時代に完成した廟建築の典型であり、飛騨では唯一の建物である。本殿は切妻造りで平側に唐破風造りの向拝をつけ、正面屋根に千鳥破風をすえる。千鳥破風とは、屋根面にのせる小形の入母屋破風のことで、破風の三角形を千鳥とみなしている。透塀や唐門、独立した本殿の建築様式は、全国の東照宮と似た形式である。
 権現造りは本来、拝殿と本殿とを石敷の相の間で連結し、屋根は連続する形式だが、本建物の形式は簡略化されたものと考えられている。地方藩主や寺院が建立したものには、権現造とならず本殿を拝殿・石の間から切り離して独立させたものが見られる。
参考文献
『高山の文化財』30~31頁 高山市教育委員会発行 平成6年

 

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