石橋廃寺塔心礎

石橋廃寺塔心礎
飛騨には、14箇所以上と全国屈指の密度で古代寺院がありました。これは、古代に木工技術者を都へ派遣することで税を免除された、全国唯一の制度である「飛騨工制度(ひだのたくみせいど)」が成立する背景となりました。
国府地区は、その中でも特に多く古代寺院が見つかっている地区です。石橋廃寺はそのうちの一つで、桜野の地に造られた奈良時代前期の寺院です。塔心礎は広瀬町岡村健守の庭園にあり、手水鉢に利用されていたものです。礎石が見つかっており、塔心礎上面の柱座は長径1.2m、短径0.8mで平坦化し、中央に直径27cm、深さ9.5cmの舎利孔があります。礎石の大きさから、三重塔がそびえ建っていたものと思われます。現在は寄贈を受け、広瀬古墳の横に移設されています。石橋廃寺跡と光寿庵跡では、共に都で働く官人を描いた瓦が出土していることからも、飛騨匠と都とのつながりがわかります。
(引用:https://www.tabido.jp/ja/article/647/)