飛騨の版画

飛騨の版画
1 飛騨版画の祖・武田由平  1892生~1989没
  武田由平(1892年、冬頭町生まれ)は、1916年から1929年まで13年間、馬場小学校(東小学校)で先生をしていた。学校に初めて版画を取り入れた先生。
  彫刻刀は一般に売っていなかったので、作ったという。
  色彩版画が主で、面(めん)によって深い世界を表わしている。

2 守洞春   1909生~1985没
   1909年に高山市馬場(ばば)町で生まれた。
   守は1916年頃、小学校で武田由平の教えを受けて、秘(ひそ)かに画家を目指した。1924年15歳の時に、名古屋市の呉服商に入店し、奉公のかたわら、皆が寝たころの深夜に版画の勉強をした。1934年、25歳の時に高山に戻って呉服商と書道塾を営み、1941年、32歳の時から版画を専門とした。
   1955~1965年代、各学校で版画が盛んとなって、高桑(たかくわ)了(りょう)英(えい)、沖野(おきの)清(きよし)、袖垣治彦(そでがきはるひこ)らの先生が教えた。これらの先生たちは武田由平、守洞春に指導を受けている。
   守の主流は色彩版画。題材は飛騨の風土や京都の名所が多い。
   流れるような線と、遠近法を取り入れて動くような空間を表わした。

3 飛騨版画
  ・良い指導者(しどうしゃ)がいた。
  ・飛騨の人たちは、木を彫り、細工することになじんでゆける。
  ・飛騨(ひだの)匠(たくみ)を皆が意識している。
  ・冬は長く黒と白の世界が広がる。白黒の版画と同じ風景。