飛騨春慶

飛騨春慶

 慶長年間(1596~1614)高山城下で、神社仏閣の造営工事に携わっていた大工棟梁、高橋喜左衛門が仕事中に、たまたま打ち割った材の批目の美しさに心を打たれ、その板を使って風雅な盆を作り、金森可重の子重近(金森宗和)に献上した。重近はその木目に感動し、御用塗師の成田三右衛門に木目の美しさを生かして漆を塗るよう命じた。三右衛門は素地を生かした透漆で、その盆を塗り上げた。
成田三右衛門義賢(晴正)は京都で塗師をしていたが、お抱え塗師として飛騨に入国して春慶塗を考案し、その子成田三右衛門正利(三休)もお抱え塗師となり春慶塗の改良に貢献した。飛騨が幕領になっても飛騨春慶塗は地場産業として存続する。
 飛騨春慶塗という独特の漆器が生まれ育ったのは、飛騨が良材の産地であった背景と、伝統的に自然の樹木の美しさを知りつくし、木の魅力を引き出す木地師の優れた技があったからである。
春慶漆は、原料漆に透明度の高い日本産の漆を使い、精製するときに荏油などを混合することで光沢と透明度をより一層良くする。この透明度の高い透(すき)漆(うるし)が下地の表情を美しく魅せ、時を経るごとにその彩りを変化させながら、透明度をさらに増していく。木地は板物と、轆轤(ろくろ)による挽物(ひきもの)に分けられるが、飛騨春慶塗は板物の加工技術に特徴が見られ、「角物」と「曲物」がある。木肌の美しさを醸しだす木地師と、木肌の美しさを引き出す塗師の二者一体の共同芸術で成り立っている。

参考文献
『新・飛騨の匠ものがたり』109~111頁 (協)飛騨木工連合会発行 平成14年