七里壁と旧勝山三町の景観
七里壁と旧勝山三町の景観 七里壁は大野市の西勝原から永平寺町鳴鹿まで続く河岸段丘で、九頭龍川に沿って七里(28キロ)にわたっている。最も顕著なかたちで出現しているのが勝山町で、近世城下町を描いた絵図には七里壁上部には家臣 […]
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七里壁と旧勝山三町の景観 七里壁は大野市の西勝原から永平寺町鳴鹿まで続く河岸段丘で、九頭龍川に沿って七里(28キロ)にわたっている。最も顕著なかたちで出現しているのが勝山町で、近世城下町を描いた絵図には七里壁上部には家臣 […]
平泉寺にかかわる堂舎・石碑・史資料 平泉寺にかかわる諸史資料は町内・町外を問わず非常に恵まれている。町内には関連する堂舎や石碑が多く平泉寺町町づくり委員会により建てられた59の石碑は、余すところなく平泉寺の名所・旧跡地を […]
白山禅定道と河上御前の御開帳 白山と泰澄 泰澄の一生を記したものに『泰澄和尚伝記』がある。これは天徳元年(957)ころ、天台宗の僧淨蔵が語った泰澄についての事項を、その弟子神興が書き留めたものといわれている。それによると […]
史跡白山平泉寺旧境内と平泉寺墓地 古代末から中世の白山・平泉寺 山岳寺院として出発した平泉寺は、比叡山延暦寺末となることで越前国内での地位を不動のものとし、中央にも知られるようになった。在地有力武士団である斉藤氏、さらに […]
九頭龍川 源は油坂峠あたりで大野市を流れ勝山市下荒井附近で真名川と合流し下流の三国で日本海に注ぐ。ここでは勝山市域内を流れる九頭龍川を紹介する。平泉寺町壁倉区・大渡区・遅羽町下荒井当たりを上流、勝山橋附近を中流、荒鹿橋・ […]
九頭龍川に流れ込む河川 ここで紹介しているのは九頭龍川右岸の白山山系から流れ込む河川を紹介している。すべての河川を取り上げているわけではない。また町ごとになっているが複数の町を流れるため大まかな区分になっている。あわせ […]
勝山市の伝統行事・祭礼 走りやんこ その起源は火消勢揃駆出と考えられる。近世の19世紀中頃から3月20日下河原で股引をはき火事装束で勢揃駆出しが行われるようになる。 近代に入り『大野郡誌』に「やんこ」として紹介されている […]
勝山市の神社 白山への越前側の登山口(馬場)をひかえる平泉寺町は、地元であるだけに村社の4分3が白山神社である。しかし市内全体での割合はほぼ5割である。数の上では白山神社は48社、次いで八幡神社が11社、神明神社が6社と […]
勝山市 明治22年(1889)の市制・町村制の施行で現勝山市域(大野郡北部)は、平泉寺・猪野瀬・村岡・野向・北谷・荒土・北郷(以上九頭竜川右岸7村)、鹿谷・遅羽(九頭竜川左岸2村)の9村と勝山町の1町9村体制となった。し […]
法輪寺・聖徳太子の御子山背大兄王が建立 法輪寺は斑鳩の里でも北方にあり、三井(みい)という土地の名によって三井寺とも呼ばれています。 三井の地名は古く、聖徳太子が飛鳥の里より三つの井戸をこの地にお移しになったところから起 […]
近江神宮 天智天皇6年(667年)に同天皇が当地に近江大津宮を営み、飛鳥から遷都した由緒に因み、紀元2600年の佳節にあたる1940年(昭和15年)の11月7日、天智天皇を祭神として創祀された。 太平洋戦争の終戦後である […]
飛騨匠の史跡 飛騨国分寺、飛鳥~奈良時代の史跡 国指定重要文化財(建造物)国分寺本堂 単層入母屋造、銅板葺 四方廻縁 桁行12.4メートル 梁間8.66メートル 向拝3.33メートル 奈良時代当時、七重搭、金堂、仁王門な […]