岩手県盛岡の金森氏遺構(第7代頼錦の菩提寺)
岩手県盛岡の金森氏遺構(第7代頼錦の菩提寺) 金森兵部の碑 金森兵部は少(しょう)輔(ゆう)頼錦(よりかね)と言い、美濃郡上藩(現岐阜県)38,000石の藩主であったが、宝暦8年(1758)に領民騒(そう)擾(じょう)の […]
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岩手県盛岡の金森氏遺構(第7代頼錦の菩提寺) 金森兵部の碑 金森兵部は少(しょう)輔(ゆう)頼錦(よりかね)と言い、美濃郡上藩(現岐阜県)38,000石の藩主であったが、宝暦8年(1758)に領民騒(そう)擾(じょう)の […]
金森氏第6代頼旹、第7代頼錦の菩提寺 慈恩寺 当寺は、八幡城主遠藤慶隆が開基で、大本山妙心寺から半山禅師を迎えた。境内には遠藤慶勝らの霊廟や、金森左京(可英(ありひで)・第4代)の墓、金森頼錦(よりかね)(台近(よりち […]
金森氏6代頼旹、第7代頼錦の郡上八幡城下 山形から郡上へ国替え ①頼旹から頼錦(よりかね)へ (①は『金森史』一三四~一三七頁より) 元禄十年(一六九七)六月、幕府は金森頼旹(よりとき)に出羽国上山から、美濃国郡上八幡へ […]
金森長近の美濃市城下町 最初の美濃国の姿 美濃市の町並みは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。東西方向の2筋の街路と南北方向の4筋の横丁からなる町並み。「目の字通り」といわれる。 金森長近は関ヶ原の戦い […]
金森家累代供養塔 金森家殉死者の墓 京都へ改葬された金森家の墓地跡に立つ供養塔の左右に、主君に殉死した家臣の墓石が集められている。 向かって左の内側の2基は、元和元年(1615)閏6月3日没した金森家第2代可重(ありしげ […]
飛騨から山形へ国替え 金森氏第六代頼旹が転封を命ぜられたのは、元禄五年(一六九二)七月二十八日。同年八月十八日、関東郡代伊奈半十郎が飛騨代官兼務となった。高山城在番を命ぜられたのは金沢藩主前田加賀守綱紀で、在番奉行を永井 […]
金森長近を祀る高山市の金龍神社祭礼と城山の銅像 金龍神社 金龍神社は、芝郡代が長近の法号にちなむ「金龍権現」の神号を得て、東照宮境内に勧請したのが始まりと言われる。 昭和17年(1942)森高山市長、東照宮社司、氏子諸氏 […]
金森氏第4代頼直の菩提寺・大隆寺 妙高山大隆寺の歴史 ○承応2年(1653)、第4代金森頼直が創立、開山は京都紫野大徳寺前住「禅海宗俊」。京都金龍院の末寺となる。臨済宗としての大隆寺である。 ○第3世乾舟妙一も大徳寺の前 […]
駿府城下の金森屋敷 ① 駿府城下町の建設 (①は『静岡県史 通史編 三(近世一)』静岡県発行 一九九六年 より) 「駿府城下町割絵図(天保2年写)」(静岡市蔵)矢印が金森長門守屋敷 慶長十二年(一六〇七)一月、徳川家康 […]
大坂の陣・金森氏の配置場所 ① 冬の陣 大坂冬の陣は、慶長19年(1614)10月、豊臣側では戦争準備に着手し、全国から浪人を集めて召し抱え、その兵力は10万人に及んだ。 家康は10月11日駿府を出発、23日には京都 […]
関ケ原の合戦場・金森氏の布陣場所 三成の決起と家康の陣営固め 慶長5年(1600) 6月18日 家康、伏見城を発ち会津遠征に向かう。 7月11日 三成、佐和山城で吉継に家康討伐を打ち明ける。 25日 家康、小山で三成 […]
肥前名護屋城(佐賀県唐津市)の金森氏布陣場所 ① 文禄・慶長の役 ◇文禄の役 文禄元年(1592)4月~文禄2年(1593)に休戦した。 ◇慶長の役 慶長2年(1597)の講和交渉決裂によって再開され、慶長3年(1598 […]