かたがり地蔵
白山町地内の県道沿いに安置されている。凝灰岩製の地蔵菩薩坐像。形態は半跏趺像。明治32年までは、不動明王像とならんで鶴来今町の舟岡山の麓の岩塊に掘られていた磨崖仏。七ヶ用水造成工事により、岩から切りはがされ現在の場所へ安置された。もともと岩塊にかたがって彫られていたため「かたがり地蔵」の名称となった。切とられた岩は、高さ約2.7m、幅約2.7m、厚さ約1.1mを測る。像は高さ1.4m、幅1.05m、厚さ0.65mを測る。彫り込みの深さは、最深部で25㎝を測る。右手に錫杖を持つ。顔部は岩の性質から表現されていない。像の向かって右側には長方形の凹みと陽刻された小さな五輪塔群がみられる。いずれも像の掘方の外側にあり、後に刻まれたものと見られる。上段のものは左腕の横に1基あり、高さ43㎝を測る。中段には、はっきり確認できるものが2基あり、高さ30㎝を測る。中段には、はっきり確認できるものが2基あり、高さ30㎝を測る。さらに像寄りに不整形のものが1基見えるが、五輪塔か否か判断しがたい。下段は像の足下に6基ある。中央に4基、そして1基分の空間をおいてむかって右に2基ある。塔の規模は上段のものが最も大きく、下へ行くに従って小さくなっている。形状を見ると地輪は低く、水輪は扁平、火輪は縦長で軒反りが顕著な特徴が窺える。刻出は室町時代後期とみられる。この地蔵は、小石を供ええると足の病気が治り、箸を供えると歯痛が治ると言い伝えがあり、人々の信仰の対象となっている。また、白山を開山した泰澄が自らの姿を彫った像ともされ「泰澄像」としても親しまれている。
メタデータ
かたがり地蔵