石川県立白山ろく民俗資料館
石川県は、昭和41年(1966)より手取川ダムの建設を推進するなかで、過疎化が進む上流の白山ろくの地域振興をはかる計画を進めてきました。特に、白山ろくは、白山信仰や出作り農家をはじめとする特有の山村文化を温存している地域であり、その文化遺産の重要性を認め、民俗資料の調査・収集を行い、民俗資料館の設置を策定しました。
石川県立白山ろく民俗資料館は、白山ろくの自然環境のなかで生み出された、歴史・考古・民俗・信仰などの文化遺産の展示を主目的としています。また、それに関する資料を調査・研究し、県民の知的要請にこたえる学習の場として活用できるようにつとめています。(引用:http://www.pref.ishikawa.jp/hakusanminzoku/kannai/shisetsu.html)
資料集
036_039_石川県立白山ろく民俗資料館
白峰地区
白峰村(しらみねむら)は、石川県の南に位置し白山の登山口として知られた村であった。また、恐竜の化石が大量に出土している桑島化石壁がある事から、化石の村としても有名。村域の東半分が白山国立公園(1962年指定)で、日本有数の豪雪地帯である。地理的・歴史的に他の加賀地域と隔絶されてきたために白峰弁(ジゲ弁)という特殊な方言が発達している。2005年2月1日に、野々市町を除く石川郡を構成する町村及び、松任市と合併し、白山市になった。
資料集
035_038_白峰地区
岩瀬家
美しい山村風景の中で300年変わらぬたたずまいを残す岩瀬家では、先人の暮らしや歴史を肌で感じることができます。300年も前に5層建ての合掌造りを建てた先人の知恵は圧巻で、明治時代までは35人もの大家族が暮らしたと伝えられており、合掌造り最大といわれるその威容を物語っています。
訪れる人々をやさしく迎える岩瀬家では、囲炉裏端で合掌造りの説明を聞いたり天井裏を見学することができる他、おみやげコーナーも用意されています。長きに渡り守り続けられてきた岩瀬家の遺構は、今もなお昔のまま山人の歴史を語り続けています。(引用:https://www.info-toyama.com/spot/41005/)
資料集
034_037_岩瀬家
劔神社
劔神社の創祀は悠久の昔、北に仰ぐ座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を祀り〝劔大神〟と称えたことに始まります。
神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王は、劔大神の御神威を頂き当地方を治めることができたことを感謝し、現在の地に社を建て〝劔大明神〟と仰いだことを社記は伝えています。奈良時代より祈願の霊場と尊ばれ、朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受けてきました。
特に織田信長公は先祖が当社の神官であったことから、劔神社を「氏神」として厚く崇敬されました。
(引用:https://www.tsurugi-jinja.jp/)
資料集
033_036_劔神社
泰澄寺
泰澄寺は越前国麻生津(現在の福井市三十八社町)に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。泰澄寺の創建は奈良時代の養老元年(717)、泰澄大師が生誕したこの地に両親の為に開山したのが始まりと伝えられています。泰澄大師は飛鳥時代の白鳳12年(683)に父親三神安角、母親伊野氏の娘の2男として生まれ、持統6年(692)に道昭聖人が当地を訪れた際に才能を見抜き、11歳、又は14歳で越知山に登り修行を重ねたそうです。
泰澄寺は泰澄大師生誕の聖地として信仰を集めた事で寺運が隆盛し境内には36の建物が建立され越の大師の根本道場として広く知られるようになりました。戦国時代に織田信長の兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失しその後衰退します。境内には大師の産湯の池、雷の池、駒の爪、座禅石、白山権現社、大師堂など泰澄大師縁の史跡が点在し、泰澄大師が愛用したと伝わる鉄鉢を所有、本尊である十一面観音像は天平8年(736)に泰澄大師自ら彫り込んだものを安置したと伝えられています。泰澄寺は福井市の景観形成上重要な価値があるとして平成13年(2001)に福井市都市景観重要建築物に指定されています。泰澄寺が所有する木造僧形坐像は平安時代前期に制作、像高34.1cm、一木造、彫眼、古色仕上げ、泰澄自作の墨書、元々は大虫神社(福井県越前市)に安置されていましたが、明治時代の神仏分離令により大虫神社から仏教色が一掃され、破棄を恐れた信者の一人が自宅に持ち帰り、近年になり泰澄寺に奉納、平成23年(2011)に福井県指定文化財に指定されています。山号:白鳳山。宗派:真言宗智山派。本尊:大日如来、十一面観世音菩薩。
(引用:https://www.fukureki.com/fukui/taisou.html)
資料集
032_035_泰澄寺
村上家
約350年前の建築当時の様式を伝える貴重な合掌造り家屋で、民族資料なども展示しています。五箇山地方の民家のうち、古い時代の形式を改造されずに
残している建造物がこの「村上家住宅」です。
この種の家屋を一般に「合掌造り」と呼んでいますが、その中でも最大規模の農家で、一重4階、切妻造り茅葺、戸口は妻入り、間口は35尺2寸、奥行は67尺5寸あります。
(引用:http://www.murakamike.jp/about.html)
資料集
031_034_村上家
映像資料
越中五箇山(相倉集落)
菅沼合掌造り集落ともに、1970年(昭和45年)に国の史跡指定を受け、1994年(平成6年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定。1995年(平成7年)に世界文化遺産に登録された相倉合掌造り集落には、20棟の合掌造り家屋が現存しています。田畑、石垣、雪持林など懐かしい景観に囲まれ、昔ながらの生活が息づく、山間の小さな集落です。*撮影スポットは集落駐車場の登り口から段々畑沿いに徒歩5~6分。高台からは周辺の山々に抱かれるような集落の全景が一望できます。
(引用:http://gokayama-info.jp/sightseeingspots/gokayama05.php)
資料集
030_033_越中五箇山(相倉集落)
映像資料
越中五箇山(菅沼集落)
富山県の南西端にある南砺市・五箇山には、9戸の合掌造り家屋を今に伝える菅沼合掌造り集落があります。その家屋は、いくつもの歳月を重ねて、冬の豪雪に耐えうる強さと、生活の場と養蚕などを生産する仕事場を兼ね備えた合理性を持つ建物です。
そのたくましく美しいたたずまいを筆頭に、日本の原風景ともいうべき山村の景観も含めて、1995年12月に岐阜県白川郷、五箇山相倉とともにユネスコの世界文化遺産に登録されました 周辺の山林をも含めた地域が世界文化遺産に指定されているため、観光地化されていない、ありのままの自然を残しているところが魅力。
遙か昔にタイムスリップしたかのような不思議な感覚を味わえます。また、集落内には江戸時代の主産業を今に伝える「塩硝の館」や「五箇山民俗館」があり、五箇山の歴史と伝統にふれることもできます。
(引用:http://suganuma.info/about)
資料集
029_032_越中五箇山(菅沼集落)
映像資料
;
朝日観音福通寺
泰澄が717年に開いた古刹。泰澄は無病息災のために正観世音菩薩を、災難厄除けのために千手観音菩薩を作り、そして五穀豊穣・万民快楽のために稲荷・八幡の両鎮守神を安置されました。観音堂からは一年を通して白山を見ることができ、泰澄も修行の折り、この場所から白山を遥拝したことでしょう。
(引用:http://www.town-echizen.jp/feature/Vol-1/page02.php)
資料集
028_031_朝日観音・福通寺
八坂神社
社伝によると、八坂神社は約1800年前に開かれたとされ、安置されている十一面女神坐像は、頭部は十一面観音、体部は女神という珍しいお姿です。同じく収蔵殿には、国の重要文化財に指定されている平安仏像群五躯も安置されています。7月には八坂神社独自の祭り、獅子渡御・祇園祭・水無月祓が催されます。
(引用:http://www.town-echizen.jp/feature/Vol-1/page02.php)
資料集
027_030_八坂神社