県指定・野首家
〈県指定〉昭和37年2月12日
〈所有者〉高山市
〈所在地〉上岡本町1丁目590番地 飛騨民俗村構内
(旧所在地 片野町林)
〈時代〉元禄以前
〈員数〉1棟
主屋(1棟)桁行15.2m、梁間10.8m、切妻造、両面下屋付属、長榑葺石置屋根
この建物は、元禄8年(1695)の検地帳や当時の絵図に記載されている家と、建物面積、位置が一致していた。元禄検地以前の建物と推定される。元禄検地水帳に「しものくび 間口八間半 奥行六間 屋舗云々 八兵衛」と記載され、19代目の野首秋蔵も、通称「片野の八兵衛」と呼ばれた。昭和37年、野首氏から本建物の寄付を受け、3月に現在地へ解体材を集積した。同時に、解体調査を行ない、昭和40年10月から翌年2月までかかって復元修理を実施したのである。その際「オエ」や「ニワ」の床板を撤去し、裏側の縁側なども取り除いて旧形態に復元をした。
建物内部は、土座生活の「オエ」が中心に位置し、右側に「デイ」、「オク」、「ナカオク」、「ダイドコ」とカギ形に並ぶ。左側には「マヤ」、「ニワ」が配置されている。土台はなく、垂木は藤蔓(つる)で縛り、壁は板張りで窓は少ない。構造材も化粧材もほとんどアカマツが主で、一部クリを用いて飛騨の農家らしい建築部材となっている。柱の加工は片刃の釿ハツリである。梁や桁の加工は江戸中期後に発達したと思われる「はびろ」ハツリではなく、飛騨型の「まんきち」斧でハツリ、その加工跡を残している。板類の加工は大(おお)鋸(が)引(び)きのあと1枚鉋削りで仕上げてあるので、大きな逆(さか)目(め)を残している。
建物の外観は、飛騨の中央部に発達した榑葺(くれぶき)石置屋根葺き下(おろ)し付である。小屋梁が母屋桁と併行した架構法は、軒の高さを制限されたり、低い建物を建てる場合に採用される架構法で、構造上直交した梁より弱いはずだが、止むを得ない架構法で、この地方でも古い建物に多く見られる。旧田中家住宅とともに、飛騨では最も古い民家の1つである。
参考文献
『高山の文化財』26~27頁 高山市教育委員会発行 平成6年
関連資料
1-2-4 県指定・野首家
資料集
019_228_野首家