史跡-2 荏野文庫と田中大秀墓
史跡-2 荏野文庫と田中大秀墓 荏(え)野(な)文庫土蔵は国学者田中大秀の文庫蔵で、荏名(えな)神社の境内にあり、弘化2年(1845)、火災と鼠(そ)害(がい)に備え池の中に建てられている。天保15年(1844)6月29 […]
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史跡-2 荏野文庫と田中大秀墓 荏(え)野(な)文庫土蔵は国学者田中大秀の文庫蔵で、荏名(えな)神社の境内にあり、弘化2年(1845)、火災と鼠(そ)害(がい)に備え池の中に建てられている。天保15年(1844)6月29 […]
史跡-1 荏名神社神橋とその周辺 荏名神社は江名子川と塩谷川の合流地点に鎮座する。大きな岩が存在する神域は、古来稲置の森と言われて小さな祠があった。文化12年(1815)飛騨が生んだ国学者田中大秀は延喜(905~)の昔に […]
飛騨の里-6 飛騨の里・行事 飛騨の里は野外博物館として季節によっていろんな伝統行事が行われている。入館者は花もち、しめ縄づくり、わらじ作り、サルボホ作りなど制作を楽しんでいる。雛様、端午の節句、巨大こいのぼりの展示、車 […]
飛騨の里-5 飛騨の里・景色 飛騨は、谷筋が違うと雪の質、量も違い、また太平洋側と日本海側では雪の量が全然違う。そのため同じ飛騨の中でも、建物や冬のソリなどの民具の形が違っていて、全国的にみて大変珍しい風土である。 昭和 […]
飛騨の里-4 飛騨の里・大野家 大野家は益田郡阿多野郷野麦村(高山市高根町野麦)にあった。妻入りの民家は、飛騨では高根町の野麦、日和田、猪之鼻などの集落に点在するだけである。 入口の土間から家の中央を、裏まで抜けた大きな […]
飛騨の里-3 飛騨の里・道上家 〈県指定〉昭和50年7月17日(旧所在地 飛騨市宮川町加賀沢・かがそ) 〈時代〉江戸時代末期 桁行17.7メートル、梁間9.4メートル、入母屋造、茅葺、北・南面下屋附属板葺 この家は、越中 […]
飛騨の里-2 飛騨の里・匠神社 飛騨の里構内の山側に、飛騨匠を祀(まつ)った匠神社がある。石段や狛犬、本殿、それを覆う「覆殿(おおいでん)」の建物で構成されている。 本殿は飛騨市河合町保(ほ)にあった「鈿女(うずめ)神社 […]
飛騨の里-1 バッタリ小屋、水車小屋 水を利用し、天秤のように動く唐臼を、飛騨地方では「ばったり」という。杵が上げ下がりするときに出る「バッタバッタ」という音から名づけられたという。 米や稗をゆっくりと精白する臼で、少し […]
天領時代-5 江名子川に架かる橋・下流からその2 金森氏は高山城下町をつくる際、東側の防御として自然の河川の江名子川を掘とした。空町と呼称される武家屋敷の場所東側を流れていて、北流する。 江名子川は、神通川水系の 1級河 […]
天領時代-4 江名子川に架かる橋・下流からその1 金森氏は高山城下町をつくる際、東側の防御として自然の河川の江名子川を掘とした。空町と呼称される武家屋敷の場所の東側を流れていて、北流する。金森氏は現在の左京町辺りで西方向 […]
天領時代-3 五ケ村用水取り入れ口 五ヶ村耕地用水路は、五ケ村用水堰堤の左岸側から取り入れられ、大野郡花里村、西之一色村、上岡本村、下岡本村、七日町村の五ヶ村の農業用水であった。明治6年には森佐兵衛らがこの用水を使って織 […]
天領時代-2 三町用水、神明用水 高山城下町をつくるとき、国主となった金森長近は南北に長い通りの商人町を3本つくった。長近は城下町全体の都市計画をする中で、商人町は東側から一、二、三番町の順に整備を進め、三番町は最後の方 […]