金森氏上山への国替え道中記「北浜偶嘯」の現地を訪ねる ~盗人神様、合崎から乗鞍岳、位山~
江戸時代の越中街道は桐生町の史跡万人講から北上し、松本橋で宮川を渡り、松本町の直線道路(県道460号)を通っているが、金森家臣団はこの道を通っている。直線道路の中ほどに盗人神様と言われる小さな加茂神社がある。
祭神は加茂別雷(かもわけいかずち)大神、白山比咩(しらやまひめ)神で、水難除、豊穣、国土安穏の御利益があるとされている。宮川の水難から田畑を守ってもらおうと、京都の上賀茂神社から祭神を招いて祀ったといわれる。創建は寛政元年(1789)とされ、盗人神様の伝説がある。
「ある時、よんどころなき事情で高山の町でこそ泥をした男が、追われて松本村へ逃げて加茂の森に身を隠した。盗人は小さな祠に命乞いをした。すると加茂の神は扉を開けて、人一人入れるはずもない祠の中に盗人をかくまった。村人たちは、盗人は神様にかくまわれたに違いないと信じ、以来この森を盗人神様と呼んでその神徳をたたえるようになった」という伝説である。
ところでこの盗人神様の事を記した元禄5年の文献がある。『北浜偶嘯』という金森氏の上山への国替え道中記で、古くから盗人神様があったことが分かる。
その道中記の中で、「賊神(盗人神様)とかや云う処にいたれば、加賀の羽林家 の卒伍(兵卒)多くつらなりて我が古城に行くは道の程わづらわしくて、かたはらの薮が根によりて聊(いささか)あゆみをとゞめ、其の行き過ぐるを待ち得て一鞭を加をれば三川の橋にいたる。」と書いている。
また道中記では位山を振り返って見たとあるが、一之宮の位山か、位山の旧称を持つ乗鞍だけなのか検討がされている。