素玄寺本堂(市指定文化財)
素玄寺本堂(市指定文化財)
所在地 高山市天性寺町39番地
所有者 素玄寺
指定年月日 昭和49年12月13日
構造形式 単(たん)層(そう)入(いり)母(も)屋(や)造(づくり) 銅(どう)平(ひら)板(いた)葺(ぶき)
素玄寺は、慶長13年(1608)8月12日、京都伏見で没した高山城の初代城主金森長(なが)近(ちか)の菩提を弔うために、第2代可(あり)重(しげ)が建てた曹洞宗の寺院である。長近の法号「金竜院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」にちなんで、素玄寺と称した。
当時にのこる文政2年(1819)の書上書によると、寛永年間(1624~1644)に炎上後、寛永12年(1635)高山城三ノ丸にあった評議場が移築されたとある。
化粧屋根裏の正面1間通しの板廊下は、元は入口土間であった。さらに1間半の長廊下を隔てて、中央に大間と内(ない)陣(じん)、その右側に4室、左に2室の平面を有するこの本堂は、もと大名の屋形を物語るにふさわしい書院造の遺構である。
高山藩主金森氏ゆかりの寺として知られ、金森長近が用いていた軍扇や采配等のほか、肖像画を所蔵している。寺内の観音堂にある馬頭観音は飛騨三十三観音霊場の4番札所本尊となっている。
説明板より
〈市指定〉昭和49年12月13日
〈所有者〉素玄寺
〈所在地〉天性寺町39番地
〈時代〉安土桃山時代(16世紀)
〈員数〉1棟
本堂(1棟)桁行22.8m、梁間15.1m、単層入母屋造、銅平板葺
素玄寺は、慶長13年(1608)8月12日、京都伏見で没した金森長近の菩提を弔うために第2代可重が建てた。長近の法号「金龍院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」にちなんで、素玄寺と称したのである。
当寺に残る文政2年の書上書によると、寛永年間(1624~1644)に炎上後、寛永12年(1635)高山城三ノ丸にあった評議場が移築されたとある。
化粧屋根裏の1間通しの板廊下は、もと入口土間であった。1間半の長廊下を隔てて、中央に大間と内陣、その右側に4室、左に2室の平面を有するこの本堂は、もと大名の屋形を物語るにふさわしい書院造りの遺構である。
参考文献
『高山の文化財』54~55頁 高山市教育委員会発行 平成6年