位山神社周辺
飛騨支路・位山神社周辺
位山神社の由緒(山之口村誌による)
今から約250年前、山之口村の百姓で農業の間に杣稼ぎをなす、文吉という者が、位山街道を幕府の役人が絶えず往来するのみでなく、高山方面に所用のある一般人の通行も頻繁であり、また山稼ぎをなす人も多数あるので、皆の安穏を祈念して自分で2尺位の白木丸太に神像を彫刻し、石築きの祠を造り、大山衹命と称し祭祀したのが始まり。天保年間に至り、村内協議の上、小さな社殿を建て守護してきた。
人里から遠く離れ大きな木立ちが連なり昼なお暗き神秘的な場所だけに、通行する多くの人々を和やかにし安心感を与えていたが、図らずも、明治2年秋位山神社下社の空祠へ大山衹命の、御神像を移し、位山神社と称して祀りこみ、明治6年8月社殿を再建し、大正12年5月、昭和38年5月、昭和56年7月と相次ぎ改築して今日に至った。
村人や道行く人の崇敬深きことに変わりなく、お祭りに使用する神前の、小幕、中幕、大幕、提灯、幟等は、明治末期、大正末期に今の高山市内の方々より、寄進されたものであって、位山神社の威徳の程が深く偲ばれる。 ※神社説明板より
山之口の歴史 やまのくち下呂市萩原町
山ノ口とも書く。益田(ました)川支流山之口川の上流に位置し、北端は分水嶺位山(1,529m)。急峻な山に囲まれ、その山峡を曲折しながらさかのぼる山之口川に沿って旧来の街道が位山(くらいやま)峠を越して北方へ通じる。この道には古代の飛騨国府へ通じる官道の名残をとどめる。地名の由来は位山の口の意という(後風土記)。
〔近世〕山之口村 江戸期~明治16年の村名。飛騨国大野郡久々野(くぐの)郷のうち。
〔近代〕山之口村 明治16年~昭和31年の大野郡の自治体名。位山村より分村して成立。
<引用文献>
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三編集『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川春樹発行 昭和55年
山之口村の森林
位山道は美林の中を通っている。この森林は、以前村有林で会った。
昭和31年8月町村合併により山之口村が萩原町となり村有林は山之口財産区として承継されることになった。財産区有林は公共事業の地元負担財源として経済的依存度は極めて強く保育手入と共に権利関係の近代化を進めた。
昭和58年に財源区解消となり法人化を図り生産森林組合を設立した。山村地域開発を目指し大規模林道工事が昭和55年に着工、昭和60年一部完成開通を迎え今日までの発展に感謝の念を捧げ山之口生産森林組合が昭和60年に碑を建てている。
*説明版より