【研究論文】郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける地域資源の記録・管理法の研究
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブでは、郡上白山文化遺産の世界遺産登録への整備と新たな観光資源の発掘を目的とし、建造物、建築物群を含めた伝統文化遺産の新たな観光資源の発掘、衰退する白山文化遺産の記録、白山文化遺産の県域(岐阜・石川・福井)を超えた白山文化遺産デジタルアーカイブの構築を進めている。
しかし従来の地域資源のデジタルアーカイブでは、記録した地点や時間が不明で、活用することが困難であった。そこで、記録や管理の方法について研究することにより、活用しやすい記録・管理の方法を開発する。
第1章 緒 言
1.問題の所在
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブでは、郡上白山文化遺産の世界遺産登録への整備と新たな観光資源の発掘を目的とし、建造物、建築物群を含めた伝統文化遺産の新たな観光資源の発掘、衰退する白山文化遺産の記録、白山文化遺産の県域(岐阜・石川・福井)を超えた白山文化遺産デジタルアーカイブの構築を進めている。
しかし従来の地域資源のデジタルアーカイブでは、記録した地点や時間が不明で、活用することが困難であった。そこで、記録や管理の方法について研究することにより、誰もが活用しやすい記録・管理の方法を開発する。具体的には、歴史研究者や文化学者、教師や学生、観光産業の関係者、地域住民、さらには行政や政策立案者が含まれる。例えば、歴史研究者や文化学者は、正確な年代や場所の情報を基に地域資源の歴史的背景や変遷を研究することができる。教師や学生にとっては、具体的なデータに基づいた教育資料を作成し、授業での活用が可能となる。観光業者は、詳細な文化資源の情報を提供することで観光客を引き付け、地域の魅力を効果的に伝えることができる。地域住民は、自分たちの住む地域の文化遺産について深く理解し、誇りをもつことができる。そして、行政や政策立案者は、これらのデータを基に地域振興策を立案し、文化資源の保存と活用を進めるための戦略を計画することが可能となる。
これらの取り組みにより、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、地域の文化資源を守り、広める手助けをし、地域社会の発展に役立つことが期待される。
本研究では、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける地域資源の記録および管理方法の最適化を目的とし、具体的には、次の3つの目標を達成することを目指している。
(1) 地域資源の詳細な記録方法の確立
多方向撮影や多視点での情報収集を活用し、地域資源の詳細な記録方法を確立する。これにより、郡上白山文化遺産の全体像を正確に把握し、保存することが可能となる。
(2) 効率的な管理システムの構築
地域ごとの分類および日毎の管理方法を導入することで、効率的な管理システムを構築する。このシステムにより、特定の地域や時期に関連するデータを素早く検索・アクセスできるようにする。
(3) 世界遺産への登録支援
郡上白山文化遺産の世界遺産登録を支援するためのデータベースを構築する。詳細なデジタルアーカイブを提供することで、世界遺産に必要な証拠資料や情報を整理・提供し、登録プロセスを支援する。
これらの目的を達成することで、郡上白山文化遺産の保存と活用に貢献し、将来の研究や教育活用、観光において価値ある資料を提供することが期待される。また、世界遺産への支援を通じて、郡上白山文化遺産の国際的な認知度と保護を強化することが目指される。
2.文化遺産デジタルアーカイブの意義
文化遺産を保存することは、その歴史的、文化的な価値を伝えるために重要である。特に、物理的な劣化や災害から文化遺産を守るためには、デジタルアーカイブが重要な役割を果たす。
伝統的な文化遺産は、時間が経つにつれて劣化する。紙の文書、木で作られた建物、布製品などは、温度や湿度、虫によって傷みやすい。また、火事、地震、洪水などの災害による破壊リスクも高いため、物理的な保存には限界がある。
デジタルアーカイブは、物理的な劣化を防ぐための良い方法である。デジタルデータは、簡単にコピーでき、違う場所にバックアップを保存することで、災害時のリスクを減らすことができる。高解像度のスキャンや3Dモデリングを使って、細かい記録を残すことができる。現物がなくなっても、デジタルデータを通じてその姿を後の世代に伝えることができる。
デジタルアーカイブは、文化遺産へのアクセスを大きく向上させる。これにより、たくさんの人が文化遺産を知ることができ、地域外の人々にもその価値を伝えることができる。
物理的な遺産は、その場所に行かないと見ることができない。しかし、デジタルアーカイブはインターネットを通じて世界中からアクセスできる。遠方に住んでいる人や、身体的に現地訪問が難しい人も、デジタルアーカイブを通じて文化遺産に触れることができる。検索機能などの使いやすいコンテンツを提供することで、利用者が必要な情報に素早くアクセスできるようにする。バーチャルツアーや3Dモデルを使うことで、より臨場感のある体験を提供し、利用者の理解を深めることができる。
デジタルアーカイブは、教育にも大きな役割を果たす。学校や大学と協力して、文化遺産を教材として使うことで、次の世代に伝えることができる。歴史や文化を学ぶときに、文化遺産のデジタルデータを使うことで、より具体的に理解することを助ける。インタラクティブなコンテンツを作ることで、学生が自ら学ぶ環境を提供し、興味を引き出すことができる。
大学や研究機関でも、デジタルアーカイブは貴重な研究資料になる。過去の文献や資料を簡単に検索してみることができるため、研究が効率的になる。共同研究や国際的な研究プロジェクトでも、デジタルデータを簡単に共有できるため、研究の進みが早くなる。
デジタルアーカイブは、観光にも新しい可能性をもたらす。文化遺産をデジタル化して、観光資源として使うことで、地域の魅力を広く伝えることができる。デジタルアーカイブを使って、文化遺産を紹介するウェブサイトやアプリを作ることで、観光客の関心を引き、訪問を促すことができる。ソーシャルメディアを通じてデジタルコンテンツを広め、より多くの人に地域の魅力を伝えることができる。観光地でのデジタルガイドやAR技術を使うことで、観光客に対してより良い体験を提供できる。デジタルアーカイブを使った展示やインタラクティブな体験を通じて、観光客の満足度を高め、再び訪れることを促すことができる。
デジタルアーカイブは、文化遺産の保存、アクセス、教育、観光において大きな意味をもち、地域文化の発展に役立つ。本研究では、これらの意義を考え、具体的なデジタルアーカイブの方法とその実施についてさらに探求する。
3.二次利用
デジタルアーカイブのデータは、一度保存されると、いろいろな形で使い直すことができる。これにより、その価値がもっと高くなる。二次利用は、教育、研究、観光など、さまざまな分野で役立ち、地域文化の普及と発展に貢献する。
学校や社会教育では、デジタルアーカイブのデータは貴重な教材となる。歴史や文化を学ぶときに、具体的な資料として扱うことができる。インタラクティブなコンテンツを通じて、学生の興味を引き、学習効果を高めることができる。
デジタルアーカイブは、歴史学、文化人類学、考古学などの研究分野で重要な資料となる。高解像度の画像や3Dモデルを使って、詳細な分析や比較研究ができる。国際共同研究などにも使われ、学術的な知識を深めることに役立つ。
観光業界では、デジタルアーカイブのデータは観光プロモーションに使われる。バーチャルツアーやAR体験を提供し、観光客に新しい体験を提供する。デジタルコンテンツを通じて、地域の魅力を広く発信し、観光客を引き寄せることができる。
(1)二次利用の具体例
郡上白山文化デジタルアーカイブでは、以下のような具体的な方法で二次利用ができる。
郡上白山文化デジタルアーカイブのデータを使って、教育用のデジタル教材を作る。歴史や文化を学ぶためのビデオ教材やインタラクティブな学習アプリを提供する。地元の学校と協力して、地域の歴史や文化をテーマにした授業を行う。
デジタルアーカイブのデータを使って、大学や研究機関と共同で研究プロジェクトを進める。歴史的な建造物や祭りの詳細な記録をもとに、学術論文や研究報告を作成する。研究の成果をデジタルアーカイブに戻し、新しい知識を広く共有する。
郡上白山文化遺産をテーマにした観光プログラムを作る。バーチャルツアーやAR体験を通じて、観光客に地域の魅力を体験してもらう。地元の観光協会と協力し、デジタルコンテンツを使った観光キャンペーンを行う。
(2)二次利用の課題と対策
二次利用には、いくつかの課題がある。これらの課題を解決するために、適切な対策が必要である。
デジタルアーカイブのデータを二次利用する際、著作権や利用許可の問題が起こる。適切な利用許可を取り、著作権を尊重することが大切である。著作権を管理するためのガイドラインを作り、利用者に伝える。
デジタルアーカイブを作成するときに、著作権の問題は重要である。著作権は、作品を作った人の権利を守るための法律で、デジタルアーカイブで使うコンテンツにも関係する。著作権は、作品を作った人が自分の作品をどう使うか決める権利を守るものである。デジタルアーカイブに入れる映像、写真、文書、音声などのコンテンツは、すべて著作権で守られている。デジタルアーカイブは、著作権を守りながらコンテンツを集めて公開するために、正しい使い方をし、許可を取る必要がある。こうすることで、著作権者の権利を尊重しながら、コンテンツを広く公開できる。
著作権法は、デジタルアーカイブでコンテンツを使うための基本的なルールを決めている。以下に重要なポイントを示す。著作物とは、アイデアや感情を創作的に表現したもので、文芸、学術、美術、音楽などが含まれる。デジタルアーカイブに入れるコンテンツは、多くが著作物にあたる。著作権者は、著作物を作った人や、その権利を受け継いだ人である。デジタルアーカイブの運営者は、コンテンツを使う許可を著作権者から取る必要がある。著作権には、複製権、公衆送信権、展示権、頒布権など、いろいろな権利がある。デジタルアーカイブでは、これらの権利を正しく扱うことが求められる。
デジタルアーカイブで使われるデータは、正確で信頼できるものでなければならない。データの質と信頼性を確保するためには、定期的にデータをチェックして更新することが必要である。例えば、新しい情報が入った場合や、既存のデータに誤りが見つかった場合には、すぐに修正し、最新の情報を提供する。このようにして、利用者が安心してデータを使えるようにすることが大切である。
また、デジタルアーカイブを二次利用する際には、利用者にその方法や技術についての知識が必要である。しかし、利用者の中には、二次利用に関する知識や技術が足りない人もいる。そのため、そうした利用者には教育とサポートを提供することが重要である。具体的には、デジタルアーカイブの使い方を教える研修やワークショップを開くことで、利用者が効率的にアーカイブを活用できるように支援する。
さらに、利用者からの意見やフィードバックを集めて、サービスの改善に役立てることも大切である。利用者がどのような点で困っているのか、どのような機能が必要なのかを把握し、それに基づいてサービスを改善する。これにより、デジタルアーカイブの利用者満足度を高め、より多くの人々に活用してもらえるようになる。
例えば、定期的にアンケートを実施し、利用者の意見を集めることが考えられる。アンケートの結果を分析し、必要な改善点を見つけ出し、その改善を実行する。また、利用者との対話を通じて、具体的なニーズや要望を直接聞くことも有効である。こうした取り組みを通じて、デジタルアーカイブの質を高め、信頼性を確保することができる。
(3)今後の展望
二次利用を進めることで、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの価値をさらに高めることができる。
教育、研究、観光以外にも、デジタルアーカイブのデータをさまざまな方法で使う計画を立てる。例えば、地域の発展やコミュニティ活動に使うことが考えられる。新しいアイデアや技術を取り入れて、利用の幅を広げる。
デジタルアーカイブのデータを海外に提供し、海外の教育機関や研究機関との連携を強化する。国際共同研究や教育プログラムを通じて、郡上白山文化遺産の価値を世界に広める。多言語対応のコンテンツを増やし、世界中の人々が使えるようにする。
二次利用で得た収益をデジタルアーカイブの運営資金にするなど、長期的に運営できる仕組みを作る。デジタルアーカイブの価値を最大限に引き出し、長く続けることを目指す。パートナーシップを強化し、共同プロジェクトや資金を集めるチャンスを広げる。
二次利用は、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの可能性を広げ、地域の文化を守り広めることに大いに役立つ。これにより、地域の文化遺産が次の世代に伝わることが期待され
第2章 郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける記録・管理方法
1.白山信仰と白山文化
富士山・立山と並ぶ日本三名山の一つ「白山」。雪をいただき、光を浴びて輝く姿に、古来より人々は白山を「白木神々の座」と信じ、崇めてきた。また、農耕に不可欠な水を提供する山の神としてだけではなく、日本海を航行する船からも、航海の指標となる海の神として崇められていた。北陸は、『日本書紀』の時代には「越の国」と呼ばれており、白山はそこにそびえる白き山という意味をこめて、古くは「越のしらやま」と呼ばれていた。古来より白は神聖な色であったことから、平安時代には「越のしらやま」は都人にとって憧れの山となり、当代一流の歌人たちの歌にも白山の名を見ることができる。
日本では、もともと「山」に対して二つの信仰が存在してきた。一つは遠くから眺めて神秘を感じ、山神に感謝を捧げる「遥拝(ようはい)」で、北陸道筋には、白山を眺めるための「遥拝所(ようはいじょ)」が設けられていた。もう一つは、山中に分け入って厳しい修行を積み、宗教的境地を目指す「修験」で、白山には全国から修験者(山伏)が集まった。どちらの信仰においても、白山ほど霊峰という冠が似合う山はなく、神々しいまでの美しさは多くの人を魅了し続けている。
(1)白山信仰の始まり
養老元年(717年)、越前(福井県)の僧「泰澄(たいちょう)」が初めて白山に登拝し、翌年山頂に奥宮を祀った。以来、神々しい山の神は人々の憧れとなり、白山信仰は急速に全国に広まっていった。白山登拝が盛んになると、加賀(石川県)、越前(福井県)、美濃(岐阜県)には、その拠点となる馬場(ばんば)が設けられ、多くの人々で賑わった。
明治時代を迎えると、神社と寺院を区別させる神仏分離令が発令され、仏像や仏具が白山の頂より下ろされることとなった。それらの仏像は「白山下山仏」として現在も白山の山麓の白山本地堂や尾添白山社などに安置されている。
白山信仰は、単なる宗教的な信仰に留まらず、地域文化に多大な影響を与えている。そして農耕儀礼として重要な役割を果たしている。毎年、五穀豊穣を祈る祭りや行事が行われ、地域の農民たちは白山神社に参拝し、豊作を祈願する。これらの儀礼は、地域住民の生活と密接に結びついており、農業のサイクルと共に白山信仰が深く根付いている。白山信仰に基づく祭りや行事は、地域全体で大切にされており、住民同士の結びつきを強化する役割を果たしている。この祭りには多くの観光客も訪れ、地域経済の活性化にも貢献している。
(2)白山文化
白山信仰に関連する文化は多岐にわたるが、以下の具体例を通じてその特徴を説明する。
白鳥おどりは、岐阜県郡上市白鳥町で行われる伝統的な盆踊りで、白山信仰と結びついている。白鳥おどりは、地域住民にとって重要なイベントであり、毎年多くの人が参加する。この踊りは、地域の一体感を高めると同時に、白山信仰の象徴として大切にされている。
白山信仰と白山文化は、地域住民の生活と深く結びついており、文化的遺産としての価値が非常に高い。本研究では、これらの文化遺産をどのようにデジタルアーカイブ化し、保存・普及させるかを引き続き検討する。
2.白鳥おどりと白鳥の拝殿踊り
(1)白鳥おどり
清流長良川の最上流に位置する白鳥町(岐阜県郡上市)は、その昔、富士山、立山と並ぶ三名山の一つ、白山への信仰の東海側の拠点「美濃馬場」として、登拝者は「山に千人」「麓に千人」といわれるほどにぎわった。
郡上の盆踊りは、念仏踊りや風流踊りを源流としながら、白山民謡文化圏において、白山信仰との関わりの中で成立したと考えられる。白山中宮長滝寺や石徹白の白山中居神社には、様々な修行者、登拝者たちが往来し、彼らが伝えた念仏踊りや歌念仏と白山を誉めるショウガ(唱歌)が結合して、白鳥おどりの中で最も古い「場所踊り」になったと思われる。
享保8年(1723年)の長滝寺経聞坊「留記」7月9日の記事に「盆中お宮にて踊り申す事、奉行より停止の書状到来」という白山中宮長滝寺における盆踊り停止命令があり、この記事により逆にそれまで境内での盆踊りが慣習となっていたことがわかる。
江戸中期以降の諸資料には、白山中宮長滝寺をはじめ、郡上の寺社境内において、盆踊りが毎年行われ、近郷からも踊りに往来していたことが記されている。盆踊りの内容・種目については、資料がなく不明だが、おそらく「場所踊り」を基本とし、越前及び荘川方面等から伝わった白山民謡文化圏の種目が踊られていたと推察される。
江戸中期以来昭和前期まで、郡上の盆踊りは拝殿踊りとして続いた。神社の拝殿の中央には悪霊除けの花笠に由来する切子灯籠が吊り下げられ、美声自慢の若者たちが音頭を取り合い、板敷きの拝殿の床で下駄の音を鳴り響かせ、近所の若い衆も往来し、輪をつくって踊った。
明治維新(1868年)後、政府が推し進めた急速な欧米化政策は、盆踊りや村芝居等の民俗的風習を否定するものであり、これを受けて岐阜県は明治7年(1874年)盆踊り禁止の布達を出した。
このような禁令にもかかわらず、盆踊りは廃絶することなく細々と受け継がれた。大正末期に伝統芸能の復活の機運が高まると、白鳥町でも盆踊り保存と伝承の動きが出たが、満州事変から太平洋戦争が激化するなかで消えていった。
戦後、各地で盆踊りの復活の機運が高まると、昭和22年(1947年)「白鳥踊り保存会」が設立され、白鳥神社などで拝殿踊りとして踊り継がれてきた白山民謡文化圏の多くの踊りの種目の中から、代表的ないくつかの踊り種目を選んで「白鳥おどり」として整備した。
昭和30年代に入ると、白鳥町はこの踊りを観光に生かそうと考え、切子灯籠を街頭に吊るし、笛、太鼓、三味線などの鳴り物を入れて、踊り屋台を囲んで、街頭で踊るようになった。神社での拝殿踊りの伝統を生かした白鳥おどりは、同じ郡上の盆踊りでも八幡町の郡上おどりとは異なる特色をもち、「神代(ドッコイサ)」「世栄(エッサッサ)」などのテンポの速い、活動的な踊りは、若者をはじめ多くの人々に愛好されている。
白鳥おどりは、全国的な民謡ブームに乗って年々盛大になり、踊りの回数も増え、昭和40年代からは、期間も7月下旬から8月下旬までになり、特にお盆の3日間は、徹夜で踊られる。奥美濃しろとりの夏の風物詩として、そして後世に保存伝承すべき貴重な民俗芸能として踊り継がれている。
白鳥おどり発祥祭では、郡上宝暦義民太鼓が上演される。「郡上宝暦義民太鼓」は、江戸時代、郷土のために犠牲となった義民たちの遺徳をしのび、その功績を長く後世に伝承することを目的として昭和50年に創作された太鼓である。郡上藩宝暦騒動の発端から農民の勝利までを、農民決起・傘連判状太鼓/ 直訴太鼓/歩岐島騒動・乱闘太鼓/天下泰平・踊り太鼓の4場面で構成し、勇壮な太鼓の響きに合わせ、掛け声も勇ましく鬼気迫る演技をする。
郡上一揆とも呼ばれる郡上藩宝暦騒動は、郡上金森藩(郡上郡と越前国大野郡の一部)での年貢の税率の引き上げが発端となり引き起こされた。年貢の税率の引き上げに反対した農民たちは、死罪覚悟で江戸藩邸にまで訴えにいったり登城途中の老中の駕籠を止め直訴したりした。しかしそれも功を奏さず、やむなく江戸評定所の 「目安箱」に訴状を入れる。その結果、老中はじめ幕府指導者数人が免職となっただけでなく、金森藩主は取り潰しとなった。江戸時代におきた多くの一揆の形態のなかでも藩主だけでなく幕府要人まで裁きが及んだのは郡上の一揆だけであった。
この一揆で犠牲になった人々は、宝暦義民として、今も郡上の土地と人々の心の中で生き続け、宝暦義民太鼓は白鳥おどり発祥祭や毎年10月に郡上市白鳥町で開催される「ふるさとしろとり夢祭り」で披露されるほか、海外での公演も行うなど今では有名な太鼓となっている。
(2)白鳥の拝殿踊り
拝殿踊りの古い姿を保存伝承するために「白鳥拝殿踊り保存会」が組織され、毎年8月17日白鳥神社及び8月20日野添貴船神社において、楽器、太鼓を伴わない本来の拝殿おどりが催される。
「白鳥の拝殿踊り」は、平成13年(2001年)、岐阜県重要無形民俗文化財に指定され、次いで平成15年には国選択無形民俗文化財に選ばれた。
(a)場所踊り
江戸時代の盆踊りの中心的な踊りで、8種目の中で最も古い踊りである。かつては郡上市内の八幡町以北に分布し、明治中期ごろまでは盛んに踊られていたが、競争を境に廃れて今ではほとんど踊られていない。この踊りを知る古老によると、一晩中踊り明かしたと言い、動作は単純素朴、速度のゆるやかな踊りで、長時間踊り続けることが容易だったということである。
(b)ドッコイサ(神代)
囃し言葉から呼ばれている種目名である。この「ドッコイサ」の囃し言葉を持つ踊りは、隣接の奥越前と岐阜県内の武儀郡板取村で踊られている。またこの種目は、越前に隣接する滋賀県湖西に発したものが伝来したものだとも言われている。農作業に疲れた一時、肩に手をかけたり、馬の背に手を乗せたりして「ドッコイサ」を歌いながら、一日の労働の終わりを喜び合った情景を思いとることができる。
(c)エッサッサ(世栄)
奥越前や岐阜県内の武儀郡板取村や大野郡荘川村にまで広がっている白山民謡文化圏奥越前系の代表的な踊り種目である。踊輪の中で歌い手が音頭を取りながら逆回りに踊る。全体的にテンポが速い白鳥の拝殿踊りの中でも、特にテンポが速い。
(d)ヨイサッサ(老坂)
白山民謡文化圏奥越前系の代表的な踊り種目である。花づくし数え歌に続いて、宝暦騒動における名主善右衛門と娘おせきの物語が、口説きで歌われる。この踊りでは、歌い手が踊輪の中で音頭を取りながら、逆回りで踊る。
(e)猫の子
近世農家では、もみを食べる害獣であるネズミを捕る猫が飼われていた。歌詞にもネズミを捕る猫が唱われており、この踊りは子猫の所作を真似た踊りといわれている。作業歌から盆踊りに転化したものと思われる。奥越前から石川県白山山麓にまで流布している白山民謡文化圏奥越前系の代表的な種目であり、岐阜県内では郡上の大和町・八幡町・美並村、さらに武儀郡の板取村と洞戸村にも伝承されている。
(f)シッチョイ
隣接の奥越前和泉村から大野市山間部、さらに平坦部にまで流布している種目で、岐阜県内では白鳥町しか踊られていない白山民謡文化圏奥越前系の代表的な種目の一つである。白鳥地区と大和町徳永のお寺づくし数え歌が歌われる。
(g)ヤッサカ(八ッ坂)
古くは、この地方で家屋を建てるのに先立ち、近所隣りの村人が集まり、石搗の労働奉仕をする習わしがあった。その時の歌が「ヤッサカ」であったという。また一説には、この地方の養蚕が盛んであった頃、生糸を紡ぐ糸引き娘が作業の時に歌ったともいわれる。いずれにしても労働歌から踊り歌になったものである。越前の大野市真名川流域、武儀郡板取村でも踊られている白山民謡文化圏奥越前系の代表的な曲の一つである。
(h)源助さん
江戸時代のお座敷歌であったと思われる種目で、白山民謡文化圏本来の種目ではないと思われる。三河・越前にもあり、発祥・伝承経路は明らかでないが、大正期頃、愛知県の製糸場へ女工に行っていた人たちが郷里へ伝えたようである。現在岐阜県内では、白鳥町と高鷲町のみで踊られている。白鳥地区では、この踊りを「場開きの踊り」としている。
(3)文化遺産の保存と継承
白山文化は郡上地域において、重要な文化的背景をもっており、白鳥おどりと白鳥の拝殿踊りもその一部である。これらの踊りをデジタルアーカイブにより長期保存することで、白山文化の保存と継承が実現できる。これらの踊りの詳細な記録は、次世代の若者や研究者が学ぶための貴重な資料となる。踊りや背景をデジタルアーカイブとして残すことで、文化の継承が確実に行われる。
インターネットを通じて、世界中の人々が白山文化にアクセスできるようになる。これにより、郡上地域の文化が広く知られるようになる。デジタルアーカイブを通じて、事前に踊りの魅力を知った観光客が郡上を訪れる動機づけとなる。地域の文化イベントや祭りへの関心が高まり、観光客の増加や地域経済の活性化にもつながる。地域外の人々や外国人にも、これらの踊りの魅力を知ってもらうことで、他国の文化との交流が促進される。
自然災害やその他のリスクによって、伝統文化が失われる恐れがある。デジタルアーカイブは、そのようなリスクに対する保護手段として機能する。
デジタル化された資料や映像は、多方面での活用が可能になる。他の文化との比較研究や、デジタル技術を使った新しい表現方法の開発などに利用できる。
以上のように、白鳥おどりや白鳥の拝殿踊りなどの白山文化遺産をデジタルアーカイブすることは、文化の保存と継承、研究や観光の促進、災害対策など、多方面で郡上地域とその文化遺産に貢献する重要な取り組みとなる。白山文化の価値を高め、地域全体の文化的な魅力を広く伝えることができる。
3.岐阜県・石川県・福井県の白山禅定道と白山三馬場
奈良時代、越前国(福井県)の僧・泰澄が、天空に現れた貴女(白山神)のお告げを受けて、養老元年(717年)に白山の登頂を果たし、修行し、白山の神々の姿を感じ見たと言われている。そして、それまで白山を遠くから遥拝していた人々が、山頂へ登る登拝という祈りの形への移行のきっかけももたらした。「霊峰白山には神仏が坐す」禅頂と呼ばれる頂上へ至る修行の道。それが禅定道である。禅定道沿いにはかつて信仰の対象となった仏像を納めた諸堂社・ 宿(宿泊施設)跡が残されている。禅定道の大部分は、現在も登山道として活用・保全されている。
加賀禅定道は、石川県白山市三宮町の白山比咩神社から同市中宮の笥笠(けがさ)中宮神 社を経て、檜(ひ)の 新宮跡、天池(あまいけ)金剣宮跡を経て四塚山へ至り、大汝が峰山頂を越えて白山山頂(御前峰)に至る。選定区間は、白山市尾添(おぞう)から白山山頂までである。 尾添からは、尾根沿いの登山道となり、夏修行の拠点となった檜新宮跡や天池金剣宮跡、巨大な積石塚である四塚などの遺構を見ることができる。
美濃禅定道は、岐阜県側から修行の到達点である禅頂(白山山頂)を目指す白山信仰の歴史にもとづく道である。現在は白山国立公園内の登山道として引き継がれており、道中には国の特別天然記念物である石徹白の大スギや、修行のための行場や宿泊所を兼ねた室跡、泰澄大師等の伝説を秘めた地名などの旧跡が残されている。
越前禅定道は、平泉寺から法恩寺山を越えて白山伏拝に至り、ここから小原峠を経て、石川県白山市白峰一ノ瀬に着く。一ノ瀬からは、六万山を経て室堂平に達し、御前峰に登拝する。越前禅定道は、勝山市平泉寺町平泉寺から小原峠までが選定され、道に沿って関連する遺構が良好に残っている。
三方向から整備された禅定道の起点を馬場といい、現在の「白山比咩神社」「長滝白山神社・白山長瀧寺」「平泉寺白山神社」で、平安時代の末頃には、「三馬場」と呼ばれ、白山信仰の崇敬者たちが集まり、登拝していた。当時は神仏習合の時代であったこと、そして山岳信仰もあったことから、神と仏が融合しているのも白山信仰の特質である。さらに山頂を極楽浄土と見立てた「生まれ清まる」の願いから、魂が帰る新たに生まれる場所として、還暦や厄落としなど人生の節目に登山する動きもできた。
三馬場周辺の地域では、白山信仰に基づく祭りや行事が盛んに行われ、地域の文化的なアイデンティティを形成している。また、これらの祭りや行事は、観光資源としても活用されており、地域経済の発展にも貢献している。
白山三馬場の文化遺産を保存し、次世代に伝えていくためには、デジタルアーカイブの活用が不可欠である。これにより、地域の伝統文化が広く知られ、未来に渡って継承されることが期待される。
本研究では、白山三馬場の具体的な事例を通して、白山信仰とその文化遺産のデジタルアーカイブ化の意義と方法を探究していく。郡上だけでなく、石川県や福井県を含む広い地域で共有される白山文化は、それぞれの地域で独自の発展を遂げつつも、共通の歴史的背景や文化的要素をもっている。これらの地域全体をカバーするデジタルアーカイブを構築することで、白山文化の一貫性と全体像を把握することができる。広範なデジタルアーカイブを構築することで、各地域の文化の違いや共通点を明確にし、文化の相互理解が進む。白山文化に関する包括的な研究が可能となる。県域を超えたデジタルアーカイブは、観光資源としても大きな価値をもつ。各地域の観光客が他の地域にも興味をもつようになり、観光ルートが拡大されることで、地域全体の観光産業が活性化する。デジタルアーカイブを活用したプロモーション活動は、各地域の文化的魅力を広く発信する手段となる。これらの理由から、郡上だけでなく石川県や福井県を含む広域的なデジタルアーカイブを構築することは、白山文化の全体像を把握し、多様な文化と促進を図り、学術研究や観光産業の発展を支えるために非常に重要である。
(1)石川県:白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)
御鎮座2000年を超え、全国に3000社余りある「白山神社」の総本宮で、加賀一宮。菊理媛尊とともに伊弉諾尊・伊弉冉尊もお祀りし、菊理媛尊は結びの神として崇敬を受け、地元からは親しみを込めて「しらやまさん」と呼ばれている。境内は白山からの水が川となって流れ、澄んだ空気に満ちている。
白山比咩神社では、年間を通じて様々な祭りが行われている。春と秋には、五穀豊穣を祈る「祈年祭(きねんさい)」や収穫に感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」など、農耕のサイクルを基本とした祭りを行い、それ以外では、6月と12月に、半年間の罪・穢れを祓う大祓(おおはらえ)が行われる。また、神社の周辺では伝統的な工芸品や特産品が販売され、観光客にも人気がある。
(2)岐阜県:長滝白山神社
もとはひとつの社寺で、明治の神仏分離令前までは、「白山中居長瀧寺」と呼ばれていた。発令後も神仏習合の形態をそのままに、岐阜県における白山信仰の中心となっている。ご祭神は菊理媛尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊。明治32年(1899年)の大火の際にも、白山信仰を伝える宝物は住民の努力により焼失を逃れ、既存している。
毎年1月6日に長滝白山神社で奉納される六日祭は別名を「花奪い祭(はなばいまつり)」と呼ばれている。この祭りの中心となっているのは、奈良の東大寺等で行われた延年で、長滝の延年は長滝一山の神主・老僧が新年にあたり、国家安穏・五穀豊穣を祈る神仏混合の行事である。延年の舞は千余年の伝統にふさわしく、素朴で優雅な民俗芸能で、全国にも数箇所しか既存しておらず、この長滝の延年は国の重要無形民俗文化財に指定されている。この延年の途中から花奪いが始まり、拝殿土間の天井、高さ約6メートルに吊るされた桜・菊・牡丹・椿・芥子の五つの大きな花笠を勇敢な若者たちが3つぎ半の人梯を組んで落とすと、花を奪おうと揉み合いになる。この花を持って帰ると、豊蚕・豊作・家内安全・商売繁盛になると言われている。
(3)福井県:平泉寺白山神社
平泉寺白山神社は、福井県勝山市に位置する神社である。養老元年(717年)に泰澄大師によって開かれたとされ、白山信仰の重要な拠点となっている。泰澄大師が白山に登り、霊峰としての白山を開山した後、平泉寺は修験道の中心地となった。
広大な境内を覆う苔のじゅうたんと杉木立、参道に佇む結界石と拝殿へと続く石畳道。境内には泰澄が白山への道中に発見し、神のお告げを受けた「御手洗池」が、現在もこんこんと湧き出ている。中世には北陸有数の宗教都市として栄えたが、天正2年(1574年)の一向一揆の争乱で全山焼失。現在も発掘が進められている。
平泉寺白山神社では、春と夏に例大祭を執り行っている。春は多くの人で賑わう拝殿に、少女たちの舞の奉納が行われ、夏は泰澄大師の白山開山の日を偲んで行う。33年に一度、御開帳があり、今も引き継がれている。次回の御開帳は2025年(令和7年)5月。
4.地域文化遺産の保存・普及活動
(1) 長滝白山神社の宝印、最高シンポジウム
長滝白山神社は、郡上市の北部、白鳥町長滝に位置する。長良川鉄道白山長滝駅の西側から、西北方向に参道が伸び、参道沿いには、経聞坊(きょうまんぼう)、宝幢坊(ほうどうぼう)、阿名院(あみょういん)などの塔頭が建つ。太鼓橋を渡り、参道を進むと長滝白山神社と白山長瀧寺の境内に入る。境内の中央には、「正安四年〈壬寅〉那月日願主伝燈大法師覚海」の刻銘がある「石燈籠」(重要文化財(美術工芸品))1 基が据え置かれている。参道に正面を向けて、長滝白山神社拝殿、その奥には、中央に本殿とその左右に両脇社が建つ。拝殿東側には社務所と「白山長滝神社の大スギ」(県天然記念物)が位置する。「石燈籠」の西側には蓮池と白山長瀧寺本堂、東側には仏像を安置している白山瀧宝殿が建っており、神社と寺院が同じ境内地に配置された、白山信仰の神仏習合を今に伝えている。
(a)長滝白山神社の宝印、再興シンポジウム
令和6年(2024年)4月21日(日)13時30分より、長滝白山神社拝殿にて、長滝白山神社の宝印、再興シンポジウムが行われた。神社の歴史と文化を再評価し、現代におけるその意義を再確認するための重要なイベントである。このシンポジウムには、地域住民や学者などの参加者が集まった。
(b)シンポジウムの目的
長滝白山神社の宝印制度とその歴史的意義を再評価し、現代社会におけるその役割を探る。地域住民や関係者とともに、神社の文化遺産の保存と活用方法を検討し、将来的な取り組みを計画する。
(c)シンポジウムの内容
基調講演:戦国武将から吉原遊女まで広く利用された長滝起請文の意義
対談:瀬戸薫氏(瀬戸菅原神社宮司)、若宮多門氏(長滝白山神社宮司)
昔、日本では保証や契約などをする際に、神仏に誓約する「起請文」を取り交わした。家臣への領地安堵の証文や大名間の軍事同盟の締結・合戦の和睦の外交文書として起請文を用いた。起請文は、平安時代後期に生まれ、神仏に近いを立て破ったならば、神仏の罰を受ける旨を記した誓約書である。中世になると寺社の発行する「牛王宝印」という魔除けの護符の裏に書かれ、長滝白山神社では、「白山滝寶印」が押してある。
(d)シンポジウムの様子
(e)牛王宝印
平安時代から社寺が発行し、信者に授与した護符。牛の体内にできた五黄(胆石)や牛王(胃石)が、高貴薬として重用されたので、病魔除去にも効験があると信じられた。これを朱に混ぜて朱肉として印(宝印)を捺すので、牛王宝印や牛王と呼ばれるようになった。
社寺では、正月の修正会、2月の修二会など、初春の儀式の中で、社寺名を書いた(木版で印刷した)料紙の上に印を捺して作製し授与した。白山の美濃馬場では、修正会の正月6日に作製される護符であった。本来は「護る神」として、身体安全、病気平癒、水口祭(豊作祈願)に用いられていた。
(f)起請文
起請文(誓紙・誓詞)は、誓約の内容を記した「前書」と、誓約を違えた場合に罪をこうむる神仏の名を列記(勧請かんじょう)した「神文(罰文)」からなる。起請文に牛王宝印が用いられるのは鎌倉時代後期から。神文を書き継ぐことによって、「怒る神」に変化させられたと考えられる。護符や「一味神水」(団結のために焼却した灰を神水に浮かべて飲む儀式)により、残存資料は多くない。
(g)白山権現牛王宝印
延元元年(1336年)5月、美濃国茜部荘(現岐阜市)の荘民達が領主東大寺に誓約。至徳3年(1386年)10月、宗妙が大徳寺如意庵領尾張国松枝荘(現愛知県一宮市)に関して不正を行わないことを誓った。いずれも、「白山権現牛王宝印」を用いているが、このあと戦国期に用いられるのは、美濃長瀧寺から授与される「白山瀧宝印」が中心になっていく。
(h)徳川家康と白山瀧宝印
「白山瀧宝印」を最も有効に用いたのは、徳川家康。家康より先に今川氏が用いていた形跡があるが、残存史料は少ない。永禄4年(1561年)から松平元康、家臣への知行充行(ちぎょうあてがい)や本領安堵に多用する。「白山瀧宝印」のデザインは、二種類あり、入手系統が複数あった。元亀元年(1570年)10月、上杉謙信との密約を経て、天正10年、北条氏規(うじのり)の身体保護を誓うまで、「白山瀧宝印」を用いる。勧請神は、「富士・愛宕・白山」が中心。天正10年以降、「熊野牛王」を用いるようになり、勧請神も「伊豆、根両所権現、三嶋大社、八幡大菩薩、天満大自在天野神」の五神になる。伊豆、箱根、三嶋は源頼朝が崇敬。五社は御成敗式目(貞永式目)の起請詩。のちに、五社は江戸幕府が定める基本型(式目神文)になる。
(i)織豊政権と白山権現
白山宝印は用いなかったが、白山権現を「起請の神」として全国に定着させたのは、織豊政権である。織田信長は天正8年(1580年)の大阪本願寺との講話に、熊野牛王だが「八幡・春日・天満天神・愛宕・白山」の五神を勧請した。羽柴秀吉は天正7年(1579年)6月、中川清秀に兄弟の契約し、「八幡・愛宕・白山」を勧請した。霊社上巻起請文は、熊野牛王を3〜7枚使って、膨大な字数で全国の神仏を勧請する形式で、戦国末期に近江国で始まったと見られる。秀吉は文禄4年(1595年)の秀次事件の際に採用した。慶長4年(1599年)前田利家の死まで続いた。
(j)前田家と加賀藩の起請文
前田利家が「白山瀧宝印」を用いたのは、天正13年(1585年)に菊池武勝に対してのみであった。他の2通は「那智瀧宝印」に「愛宕・白山」を勧請した。1通は「霊社上巻」。前田利長は、「那智瀧宝印」3通に「富士・白山・愛宕」を勧請した。1通は霊社上巻。加賀藩士の役職就任・家督相続等の誓約書(起請文)に神文の残るものは僅かである。
(k)「白山権現」の広がり
佐竹・武田・毛利・細川・島津(琉球王国を含む)等の大名・家臣に倒多した。武田信玄は天文15年(1546年)7月、「春日」源助充ての誓詞に「富士・白山」とあり。直江兼続は慶長9年(1604年)10月、本多政重を婿養子に迎える起請文案に「あた子・はく山」とあり。
(l)白山牛王発行権をめぐる訴訟
寛永13年(1636年) 長瀧寺、二諦坊(にたいぼう)(遠江国浜松)の牛王発行を幕府に訴える。
寛永18年(1641年) 長瀧寺、二諦坊の三河・遠江・駿河における牛王配布を幕府に訴 える。
寛永21年(1644年) 幕府、二諦坊の三カ国配布を認め、越前国石徹白の配布を禁ず。
正保2年(1645年) 長瀧寺、再度出訴。一山全員七日間の護摩執行し、勝訴を祈願。
正保3年(1646年) 長瀧寺、二諦坊が新たに板木を起こし牛王礼を配布するを訴える。
正保4年(1647年) 長瀧寺の牛王配布に、二諦坊派が集団で暴行、檀那帳以下を押収 と訴える。
慶安元年(1648年) 二諦坊、家康以来の配布権を主張す。幕府、二諦坊を承認。
二諦坊は、この後、幕府滅亡まで毎年歳末、江戸城に登城拝礼。
寛保3年(1743年) 幕府、石徹白村・加賀国尾添村との相論に、越前平泉寺の主張を認める。敗訴した長瀧寺と石徹白村は牛王札の発行を禁止される。長瀧寺は、平泉寺の許可を得て、牛王発行を継続した。
宝暦10年(1760年)7月 長瀧寺、世上困窮により、平泉寺へ許状と板木の返納を申し 合わせ、毎年の金100疋納入の停止を申し入れる。
宝暦10年(1760年)9月 平泉寺の了承により、長瀧寺、「向後白山御礼・牛王等一切何方へも」配らないことを確約して、板木を返納する。
(m)牛王宝印と起請文の文化的意義
牛王宝印と起請文は、白山信仰の文化と歴史において大切なものである。これらは信仰の象徴であり、社会的な契約や約束の証拠として使われてきた。
牛王宝印と起請文は、神聖な儀式で使われ、信仰のシンボルとしての役割を果たしている。これにより、信者の信仰心が強まり、神聖な絆が生まれる。
起請文は、約束や契約の証拠として、個人や団体の間で信頼関係を築くために使われていた。これにより、社会の秩序が保たれ、誠実な関係が築かれる。
牛王宝印と起請文は、歴史的な文化遺産としての価値がある。これらの遺産は、地域の歴史や信仰を伝える貴重な史料であり、保存と研究が進められている。
(n)牛王宝印と起請文のデジタルアーカイブ
牛王宝印と起請文を保存し、デジタルアーカイブすることは、地域の文化を守り、広めるために大切な取り組みである。以下に、具体的な保存方法とデジタルアーカイブの方法を示す。
牛王宝印と起請文は、適切な環境で保存する。温度や湿度をきちんと管理し、劣化を防ぐための対策を行う。定期的に点検と修復を行い、保存する。
高解像度の写真やスキャンデータを使って、牛王宝印と起請文をデジタル化する。これにより、物理的な劣化のリスクを減らし、誰でもアクセスできる形で保存することができる。デジタルデータには、検索や閲覧が簡単になるようにメタデータをつけて整理する。
牛王宝印と起請文のデジタルアーカイブを利用して、教育プログラムや展示を行う。これにより、地域の歴史や信仰についての理解を深める。学校や博物館、図書館などと連携し、デジタルコンテンツを提供することで、地域の文化を広める。
(o)デジタルアーカイブにおける今後の展望
牛王宝印と起請文を保存し、デジタルアーカイブ化することは、今後続けていくべき重要な取り組みとなる。以下に、今後の計画を述べる。
牛王宝印と起請文だけでなく、関連する全ての文化遺産をデジタルアーカイブする。これにより、地域の文化遺産全体を理解できるようになる。
デジタルアーカイブを通じて、次の世代に地域文化を伝える取り組みを強化する。若い人たちが地域の歴史や信仰に興味をもち、積極的に関わることができる機会を提供する。
さらに、海外の大学や文化団体と協力し、国際的な視点で保存と研究を進める。これにより、白山信仰の文化遺産が世界中に広まっていくことが期待される。
牛王宝印と起請文は、白山信仰のシンボルであり、地域文化の大切な部分である。これらの遺産を保存し、デジタルアーカイブを通じて広く知らせることで、地域の歴史と信仰を次の世代に伝えることができる。
(p)長滝白山神社の宝印、再興シンポジウムの成果と影響
長滝白山神社の宝印、再興シンポジウムは、地域社会と白山信仰の未来に向けた重要なステップとなったと考えられる。
シンポジウムを通じて、長滝白山神社の歴史的意義が再評価された。これにより、地域住民の間で白山信仰に対する理解と関心が深まった。白山信仰の継承と発展に向けた具体的な方針が共有され、地域全体での協力体制が強化された。
(q)今後の展望
長滝白山神社の宝印、再興シンポジウムは、地域の文化を守り、次の世代に伝えるための大事な一歩である。以下に、今後の活動の方向性について述べる。
シンポジウムで得た成果をもとに、続けて活動を進めていく。定期的にミーティングを開き、進捗を確認しながら活動を改善していく。
地域内外の関係者との協力を強化し、幅広い協力体制を作る。大学や文化保存団体と一緒に研究やプロジェクトを進め、白山信仰の文化遺産を深く理解し、保存を進める。
国際的な視点をもち、白山信仰の文化遺産を世界に発信する。海外の大学や文化団体と連携し、共同プロジェクトや研究を通じて、白山信仰の価値を国際的に認識してもらう。
長滝白山神社の宝印、再興シンポジウムは、地域の歴史と文化を見直し、将来に向けた具体的な取り組みを計画する重要な機会となった。これにより、白山信仰の文化遺産が次の世代に渡って保存・継承され、地域社会の発展に役立つことが期待される。
(1)牛道再考プロジェクト
2024年7月21日(日)牛道再考プロジェクトとして、「牛道を歩こう!〜Walk On Oxroad」体験イベント 牛道ウォークトライアルイベントが開催された。牛道地区の地域資源の再発見を目的とした取り組みである。
古くからの地域名称である「牛道」を歩いて探る古道クエストである。牛道の旧道がどのような場所を辿っていたのか、どのような目的の路であったのかを知るための調査ウォークである。牛道の古道の探索とともに、この地域の歴史を深掘りするために行われた。
(a)プロジェクトのテーマ
古くから親しまれてきた地域名称である「牛道」が、地域から消えつつある。今や、小学校、派出所、郵便局にその名が残るのみである。1956年に白鳥町へと合併する前までは、白鳥の東部地域をカバーする一つの村であった。明治の町村制施行前には、この地域は牛道郷と呼ばれていて、牛道という名称はかなり古い呼称であったはずだが、それがいつの時代まで遡れるかははっきりしていない。
牛道の歴史を考える上で、重要なテーマは二つある。
① テーマ1「六ツ城と猪俣氏の歴史」
六ツ城の城主であったといわれる猪俣氏の来歴は、関東武士の源氏の一統といわれ、その祖先は小平六を名乗り、源平の合戦に名前を残している。当時、小平六がこの地に城を構えていたとするならば、その理由がなくてはならない。
鎌倉から京都へは、大きな山脈を越えなくてはならない中部日本で、山の峠や尾根道を越える軍用路が発達しており、郡上や飛騨の東部地域には「鎌倉街道」という呼称が残る旧道が多数ある。関東武士がこの地域に住み着いたのも、その軍事的重要性があったからかもしれない。平安期から、鎌倉期に変わる頃の地域の情勢から、その歴史を実証的に検証する必要がある。
② テーマ2「牛道の名称となった理由」
牛道(郷)という地名となった理由として、一般的に長滝白山神社との関係で語られることが多いが、それは強権付会の説と言わなくてはならない。「牛でたくさんの物資を各地に運んだ道であった」事実が、「長滝の山門をくぐれなかった」こととされ、「白山の神は牛が嫌い」という俗説が後付けされたと考えられる。牛道が、中世当時の東西社会をつなぐ主要幹線であったということは考えられないだろうか。牛道の街道としての重要さを、中世の地勢や史実から読み解いていく必要がある。
以上の二つのテーマを中心に地域の歴史を再考し、深掘りしていく。
(b)牛道地区の位置
牛道地区は、岐阜県郡上市白鳥町の東部に位置している。白鳥町は、長良川の上流にあり、北には白山連邦がそびえる。西に福井県大野市の穴馬地区があり、九頭龍川が白鳥町石徹白まで遡り、そこが源流である。東は飛騨へ抜ける山道があり、昔は牛と馬が行き来をしていた街道である。北へは富士、金沢へ行く街道が古くからあり、庄川が流れている。南へは長良川を下り岐阜、名古屋に出る。この地域は古くから交通の要衝であり、京都からの搦手(からめて)道として利用され、歴史の秘話も多く残っている。それは美濃馬場である白山中居長滝寺の「荘厳講執事帳(しょうごんこうしつじちょう)」の余白に書かれた、当時のお坊さんの落書きが第一級資料になる。
(c)猪俣小平六
白山山麓を流れる、長良川の源流に牛道川と阿多岐川があり、二つが合流する場所に六つ城はあった。猪俣小平六の城を、六ツ城という。猪俣小平六範剛は猪俣党の宗家で、剛勇無双とうたわれ、保元の乱(1156年)には義朝に従って白川殿を落とし入れ、平治の乱(1159年)では源義朝17騎の一人として悪源太義平に従い、待賢門で平重盛の500余騎と激しい攻防戦を展開している。勇壮華麗な戦いぶりは不朽の名作「平治物語」に描かれている。
小平六は、京に屋敷を構えてほとんどそこにいて、源頼朝に従って働いていた。そして平清盛の屋敷を行き来していた。
保元の乱では清盛と義朝は良き競争相手で、二人とも朝廷に入り込んでうまく仕事をしていたが、3年後の平治の乱では、二人は争うことになる。その下で、小平六は平清盛とよく話をしていた。平治の乱で、義朝ら一行は大垣の青墓に逃れてきた。その時、小平六もお暇を申し付けられ、六ツ城に帰ってきた。
宇治川の戦いでは、小平六は源範頼のもと、瀬田の側から京の義仲を攻めた。そこで、明宝の名馬、磨墨が先陣争いをした。明方(明宝)は、名馬磨墨の里というが、小平六が頼朝に、名馬が明方にいるという話をした。穴馬は牛道の西方に、明方は東側の位置にあり、それぞれ油坂峠と大洞峠で分かれているが、六ツ城はその中間にある。名馬磨墨を源頼朝に紹介した小平六は、関東に行き来する中で、明宝(明方)気良を通っていた。小平六はおそらく、関東と京を行き来するのに、この六ツ城が便利な中継地と考えたと推測される。六ツ城から飛騨高山の安房峠を越えて松本、軽井沢と東山道を行くと、武蔵の猪俣館に行くことができる。
また、猪俣小平六の末裔の猪俣五平次は戦国時代の豊臣秀吉や徳川家康の時代に名前が残っている。
(d)当時の長滝白山神社
奥州の藤原秀衡が白山信仰に熱心で、加賀、越前、美濃の三番馬の白山神社に藤原秀衡は梵鐘や狛犬を寄進している。長滝の宋版一切経は、平清盛と源頼朝、そして藤原秀衡が南宋から持ってきた。白山中宮長滝寺は、長良川の上流に位置し、檜峠(三国峠)を超えて石徹白の白山中居神社から白山へ登拝するところを美濃禅定道といい、当時は「上り千人下り千人九里八町雀の身踊り」と唄われ、多くの人が美濃馬場から白山へ登っていた。
長滝寺は当時、比叡山延暦寺の別院であった。猪俣小平六は、源義経を案内したことから、白山中宮長滝寺への出入りは自由だった。そして、六ツ城はその長滝寺の寺領の中にある。
(e)猪俣五平治と猪俣五平次
六ツ城は、猪俣五平治と猪俣五平次の名前が二代続き、同じ名の父と子が城主で続く。越前州が来襲し、大和の篠脇城を攻めた時、活躍した猪俣五平治、そして信長から秀吉の時代に活躍する息子、猪俣五平次の二人の記録が残る。猪俣五平治は篠脇城の戦いで名前が残り、猪俣五平次は小牧長久手の戦いで戦死している。
篠脇城の戦いは、1540年8月25日から9月23日の約1ヶ月間の戦いであった。長い期間こう着状態が続いたが、朝倉の背後から五平治と遠藤盛数が篠脇城を攻めて、挟み撃ちした。朝倉は中津屋から、大島の安養寺を避けて、油坂へ逃げた。別の者たちも、栗巣経由で牛道の羽土の山を伝いに油坂へ逃げて行った。油坂で安養寺の門徒衆と朝倉都が戦い、兵の死骸で、三日間通行ができなかった。人の血が油のように流れて、今も油坂と言われている。油坂は越前穴馬と美濃白鳥の県境にある。
戦いの時、東常慶が篠脇城主だった。そこから、東氏と遠藤氏の勢力分野が変わっていくことになる。猪俣五平次範隆の父、猪俣五平治義綱は、篠脇城を攻める越前衆を背後から襲い撃退した。その後、東常慶は、自慢の娘を猪俣五平治に嫁がせ、五平次を産んでいる。それは、五平次が東氏の血統を受けていることにもなる。この騒動について、白山中宮長滝寺の荘厳講執事帳には越前乱入と書かれているが、遠藤記では朝倉氏と書いている。朝倉氏は篠脇城を落とし、北陸の搦め手道として郡上から飛騨・越中への裏道を確保することを考えていた。朝倉勢は石徹白を迂回して、長滝寺に入り陣を置き、1ヶ月間侵攻したが、篠脇城を落とすことはできなかった。そこには、猪俣五平治と遠藤盛数の働きがあったと言われる。
(e)牛道旧街道
牛道旧街道は、その歴史を11世紀(1100年代)に遡ることができ、当時は京都への主要な道として機能していた。この時代、越前を上位とする道筋が重要視され、地域の交通網の中核を担っていた。しかし、400年後の15世紀(1500年代)になると、交通の要所が八幡へと移行し、新たな主要路が形成された。この時期には、恩地から那留、そして八幡へと至る道が主要な経路として発展した。
これら二つの異なる時代の旧道は、現代においてもその痕跡を残しており、歴史的な価値とともに地域の文化遺産として重要な役割を果たしている。現存するこれらの旧道は、歴史的な遺産として保存されるべき貴重な資源である。旧道の保存と活用を通じて、地域の歴史や文化を次世代へと伝えることができる。また、旧道を巡る観光資源としての活用も期待され、地域経済の活性化にも寄与する可能性がある。
牛道旧街道は、11世紀と15世紀の異なる時代における交通の要所として、地域の発展と変遷を象徴する重要な歴史的資産であり、現代においてもその価値を再評価し、適切に保存・活用することが求められる。
(f)成果と影響
プロジェクトの成果として、いくつかの重要な旧道の区間が再発見され、デジタルアーカイブとして保存された。これにより、地域の歴史的価値が再評価され、観光資源としての可能性も広がった。また、住民との協働により、地域社会の歴史に対する関心と理解が深まった。
現代では、車のための道路がメインとなり、旧道は次第に消えつつある。このような背景の中で、旧道をデジタルアーカイブすることには大きな意義がある。デジタルアーカイブを通じて、これらの歴史的な道を保存し、後世に伝えることができる。
(g)将来的な展望
今後は、デジタルアーカイブを活用して、牛道地区の旧道をテーマにした観光ルートの整備や、歴史教育プログラムの開発にも繋げることができる。また、継続的な調査と記録の更新を通じて、地域文化の保存と活用をさらに推進していく。
牛道地区の旧道探索プロジェクトは、地域の歴史的価値を再発見し、広く発信する重要な取り組みである。このプロジェクトを通じて得られた知見は、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの充実に寄与するだけでなく、地域社会の文化的資源としても重要な役割を果たすことが期待される。
第3章 郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける記録の方法
1.郡上白山文化遺産デジタルアーカイブ
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブでは、郡上白山文化遺産の世界遺産登録への整備と新たな観光資源の発掘を目的とし、建造物、建築物群を含めた伝統文化遺産の新たな観光資源の発掘、衰退する白山文化遺産の記録、白山文化遺産の県域(岐阜・石川・福井)を超えた白山文化遺産デジタルアーカイブの構築を進めている。
(1)アーカイブの背景と目的
岐阜女子大学のデジタルアーカイブ専攻では、長年にわたり研究・蓄積された「地域資源デジタルアーカイブ」を効果的に活用する。新たな価値を創造するため、「知的創造サイクル」を生かして地域課題を探求し、進化させ課題の本質を探り、実践的な解決方法を導き出す人材養成を目的としている。郡上白山文化遺産について、地域と連携をして開発を進め、地域資源デジタルアーカイブとしての構築を進めている。「地域創造サイクル」を実現するための「知識循環型デジタルアーカイブ」による新たな価値の創造について調査・研究することが目的である。
(2)アーカイブ計画
郡上白山文化遺産のデジタルアーカイブ(文化遺産の収集と調査、建造物・建築物群の歴史的な価値の調査、白山信仰の三馬場の調査)において「知の増殖型サイクル」を構成し、世界遺産への登録を支援する。これは、記録→活用→創造という循環サイクルのことをいい、これをデジタルアーカイブのサイクルとして捉えると、収集・保存した情報を活用・評価することにより、新たな情報を作り出すというサイクルとして捉えることができる。
郡上白山文化遺産の調査、建造物、建築物群の歴史的・文化的価値の調査ならびに白山信仰の三馬場の調査を綿密に行い、デジタルアーカイブ研究により、新たな観光資源の発掘を支援できる。
(3)実施内容
地域資源データベースのシソーラスや索引語(キーワード)の統一化をする。既存の地域資源データに新たな資料を追加し、オープンデータ化を進める。
地域の課題を抽出し、大学の知識を集約して知識循環型デジタルアーカイブを構築する。社会的経済効果と意識的効果を測定し、地域資源の活用効果を実証する。
地域資源デジタルアーカイブを活用し、学生が新たな価値を創造する知的創造サイクルを実証する。地域の課題に対する実施的な解決方法を研究し、地域に貢献する。
(4)地域への影響
社会経済効果の定量的な分析を通じて、地域の伝統文化政策の立案や財源確保に役立てる、地域資源デジタルアーカイブの知識循環型デジタルアーカイブモデルを構築し、地域の課題解決に貢献する。地域資源を有効に活用するための教育や研究を進め、地域の発展に寄与することを目標としている。郡上市の白山文化博物館では、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブを利活用したデジタルサイネージを展示している。
2.郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの記録・管理方法
高解像度カメラを利用し、建造物や祭り、行事の撮影をする。集めたデータには、細かい説明(メタデータ)をつける。これにより、データベース内で情報を探しやすくし、研究者や一般の人が必要な情報にすぐにアクセスできるようになる。
デジタルアーカイブには、地図の情報(GIS)を組み込み、各遺産の正確な場所を示す。これにより、ユーザーは地図上で遺産の場所を確認でき、現地を訪れる計画を立てるときにも便利である。
集めたデータは、ウェブサイトで管理される。データの保存、整理、検索機能を提供し、利用者が簡単にアクセスできるように作られている。
3.石川県・福井県の地域資源デジタルアーカイブ
(1)世界遺産への提案
平成18年11月29日、石川県、福井県、岐阜県、白山市、勝山市、郡上市の3県3市によって、世界遺産暫定一覧表記載候補提案書「霊峰白山と山麓の文化的景観」を文化庁に共同提案した。文化審議会文化財分科会世界文化遺産特別委員会より、世界遺産暫定一覧表に追加記載することが適当とされた文化遺産が公表されたが、「霊峰白山と山麓の文化的景観」は、課題を踏まえて、主題及び構成について引き続き検討していくことが必要な「継続審議」案件とされた。
世界文化遺産特別委員会より示された諸課題を解決し、再提案の内容の充実を図るため、学識経験者による専門部会を開催したほか、関係自治体による協議を重ねた。
平成18年度提案自治体のほか、小松市(石川県)、大野市(福井県)、高山市・白川村(岐阜県)が加わり、3県6市1村として、再提案書「霊峰白山と山麓の文化的景観-自然・生業・信仰―」を文化庁に共同提案した。
平成20年9月26日付け文化庁の発表により、「世界遺産暫定一覧表(暫定リスト)」への追加記載が適当とされず、現時点においては、世界遺産としての顕著な普遍的価値を有する可能性が高いとまでは評価されなかったため、「世界遺産暫定一覧表(暫定リスト)候補の文化遺産」のカテゴリー2として整理された。
(2)石川県のデジタルアーカイブ
石川県は、白山信仰が始まった場所であり、郡上市と同じように豊かな文化遺産がある。石川県では、デジタルアーカイブを使って、地域の歴史や文化を保存し、多くの人に広めている。
(a)白山比咩神社のデジタルアーカイブ
白山比咩神社は、白山信仰の中心となる神社で、古くから続いている。この神社の祭りや儀式、建物の詳細をデジタル化して、インターネットで公開している。高画質の写真を使っているため、参拝者や研究者は現地に行かなくても、見ることができる。
(b)地域文化のデジタル保存
石川県は、地域の伝統芸能や公言品のデジタルアーカイブも進めている。特に、加賀友禅や九谷焼などの伝統工芸品を詳細に記録し、教育資料として活用している。地元の博物館や美術館と連携し、デジタルコンテンツを作成してオンラインで公開している。
(c)石川県立図書館デジタルコレクション
SHOSHOは石川県立図書館が所蔵する約100万点以上の資料の中から、情報を素早く、簡単に、楽しみながら、見つけることができる資料検索サイトである。「さがす」、「手にとる」、「つかう」の3つの大きな特徴がある。
石川県図書館デジタルコレクションは、地域の歴史や文化に関する貴重な資料をインターネットで公開している。江戸時代に描かれた絵図や古文書など、さまざまな種類の資料をデジタル化し、高画質の画像と一緒に提供している。資料はテーマごとに整理されており、使いやすい検索機能で効率よく見つけることができる。使いやすいインターフェースで、誰でも簡単に資料にアクセスできる。これらの資料は、地域の歴史や文化に関する教育的な価値が高い。貴重な文化財を守るためにも役立っている。
(3)福井県のデジタルアーカイブ
福井県もまた、白山信仰と深い関わりをもつ地域であり、デジタルアーカイブを活用して地域文化の保存と普及を進めている。以下に福井県の具体的な取り組みについて述べる。
(a)平泉寺白山神社のデジタルアーカイブ
神社の歴史や建物、文化に関する詳しい情報や、高画質の写真がたくさん集められている。境内の案内図や、出来事の年表などの資料も豊富である。また、神社の歴史や文化の意味についても詳しく説明されている。情報はテーマごとに整理されており、誰でも簡単に探せるように設計されている。境内の案内や年中行事など、参拝者に役立つ情報も充実している。研究者や一般の人々にとって、貴重な情報源であり、教育や文化の普及にも大きく貢献している。
(b)デジタルアーカイブ福井
デジタルアーカイブ福井は、福井県文書館と福井県立図書館、福井県ふるさと文学館の3館共同のアーカイブシステムとして、2019年4月から運用を開始した。資料の目録情報を中心に、一部資料についてはデジタル画像を公開している。デジタルアーカイブ福井は、福井県の地域資料の総合的なデジタルアーカイブを目指しており、関係機関との連携・協働を進めている。
デジタルアーカイブ福井の参加館の所蔵資料を中心に、著作権保護期間が満了したものについては、資料画像右下にパブリックドメインマーク(PDM、著作権なし)を表示している。また、1968年以降に福井県広報課が撮影した広報写真については、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの「表示ライセンス」(CC BY、著作権者のクレジット表記を条件に利用可能)を表示している。このほか、明治時代の新聞画像の ウェブ公開や、福井藩関係資料の全文翻刻テキストのデータセットなど、オープンデータ化を進めている。
「デジタル資料」(福井県の行政刊行物のPDF版)は図書館OPACでも検索することが可能で、検索結果画面の「デジタルアーカイブを開く」ボタンから、「デジタルアーカイブ福井」の目録画面に遷移できる。これにより、OPAC検索からPDF閲覧までをシームレスで行うことができる。また、「人物文献検索」では、参考文献タイトルをクリックするとOPACの書誌情報に遷移し、当該資料の詳細な書誌や貸出状況を確認できる。
デジタルアーカイブ福井は、国立公文書館デジタルアーカイブ、国立国会図書館NDLサーチ、ジャパンサーチ、みんなで翻刻の外部機関との連携によって、福井県街・国外においても幅広く活用されている。
(c)FUKUI MUSEUMS デジタルアーカイブ
福井県内の博物館や美術館からの展示品、歴史的資料、文化財をデジタル化している。展示品や資料の詳細な画像を提供し、オンラインでの鑑賞を可能にしている。テーマ別や施設別に整理され、利用者が簡単にアクセスできるデザインである。利用者が特定の資料や情報を迅速に見つけられるよう、詳細な検索機能を提供している。福井県博物館協議会加盟施設の協力のもと、福井県立歴史博物館事務局により管理されている。サイト上で使用されている文章や画像の転載・使用は禁止としている。利用者は公正な利用を心がけることが重要である。
(4)郡上白山文化遺産デジタルアーカイブとの比較
いずれの地域も、白山信仰に関する文化遺産のデジタル化を積極的に進めている。高品質な写真を使って詳細な記録を残し、それを教育や研究のために活用している。地元の学校や大学と協力し、歴史や文化の学びに役立てている。また、デジタルアーカイブのコンテンツを観光の広報にも使って、地域の魅力を広めている。
テーマごとのデータ管理や、検索機能により利用者が簡単にアクセスできるように工夫している。利用者が著作権を侵害することなく、情報の活用ができるように配慮している。
石川県では古い絵図や古文書などの歴史資料を中心にデジタル化を進めている。福井県では歴史的な文書や新聞記事、写真など幅広い資料をデジタルで保存している。そして、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブでは、白山信仰や関連する文化全般にわたる広範な情報を集めている。石川県・福井県の県域を超えた文化遺産のデジタルアーカイブを行なっている。
(5)他地域との連携と未来展望
石川県や福井県と協力して、デジタルアーカイブ運営での知識や技術を共有し合い、互いの資料の質を向上させる。共同で白山信仰に関するプロジェクトを立ち上げ、複数の地域の詳細なデジタルアーカイブを一つの場所で見られるようにする。これによって、利用者が便利に資料にアクセスできる環境を提供する。
さらに、海外の大学や文化団体とも連携して、国際的なデジタルアーカイブの展開を目指す。白山信仰の文化遺産を世界に広く知ってもらい、国際的な関心を集める。郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、他の地域と連携し合いながら、地域の文化を守り、次世代に伝えるための重要な成果をあげることができる。
4.地域資源デジタルアーカイブにおける記録・管理の問題点
(1)記録方法の問題点
記録方法には次のような問題が存在する。まず、複数枚の画像が並べられている場合、記録した地点が不明瞭であることが挙げられる。これにより、どの写真がどの地点を示しているのか、具体的な場所の特定が難しくなる。また、写真に映っている対象物が何を示しているのかが明確でない場合もあり、情報の解釈に困難を伴うことがある。さらに、建造物を単体で撮影すると、その建造物が全体のどの位置にあるのか、周囲との位置関係が分かりづらくなる。このため、記録された画像が全体の文脈においてどのような意味を持つのかを理解するのが難しくなる。
一方向からのみ撮影された画像では、対象物の側面や背面の様子が分からないため、全体像を把握することができないという問題もある。位置情報については、Googleマップを使用することでおおよその場所を把握することは可能であるが、実際にその場所がどのような環境にあるのかを詳細に理解するのは難しい。たとえば、周囲の建物や自然環境、交通の状況などの文脈的な情報が不足していることが多い。
撮影日が記載されている場合、季節についての情報は得られるが、時間帯が不明であるため、光の状態や影の方向、周囲の活動状況など、撮影時の具体的な状況を把握するのが難しくなる。これにより、同じ場所で異なる時間帯に撮影された場合の比較が困難になるという問題が生じる。
さらに、資料に十分なメタデータが付与されていない場合、検索性が低下する。メタデータには、撮影場所や日時、撮影者、対象物の説明、関連する歴史的背景などが含まれるべきであり、これらの情報が不足していると、後で資料を検索・利用する際に大きな障害となる。メタデータの欠如は、デジタルアーカイブの利便性を損ない、貴重な情報が埋もれてしまう原因となる。
メタデータは、デジタルアーカイブの情報を効率的に管理し、利用者が必要なデータにアクセスしやすくするために欠かせないものである。メタデータは、デジタルオブジェクトに関する詳しい情報を提供し、保存、検索、アクセスを助ける。また、デジタルオブジェクトの特性や内容を説明する。これにより、データを効果的に管理することができ、アーカイブ内のデータの整合性を保つことができる。
利用者がデジタルアーカイブ内の情報を検索し、アクセスする際に大切である。適切なメタデータがあれば、利用者は必要な情報をすぐに正確に見つけることができる。
デジタルデータの長期保存には、メタデータが重要な役割を果たす。保存に関する情報やデータの更新履歴を記録することで、将来的にデータを利用しやすく、管理もしやすくなる。
(2)管理方法の問題点
次に、管理方法における問題点を指摘する。郡上白山文化デジタルアーカイブのページにデータが一括でまとめて管理されているため、データを開かない限り、そのデータが岐阜県、石川県、福井県のうちのどこで、いつ撮影されたものなのかがわからない。このような一括管理の方法では、個々のデータの特性や背景情報が埋もれてしまい、利用者にとって情報の探索や利用が非常に非効率になる可能性がある。
特に、撮影場所や撮影日時が明確に示されていない場合、特定の場所や時期に関する調査を行う研究者や、地域の歴史的変遷を追いたいと考える利用者にとっては、大きな障害となる。例えば、ある特定の遺跡や文化財がどのように変遷してきたかを追跡する場合、撮影データの時系列や地理的な位置情報が欠けていると、その研究の精度や信頼性に影響を与えることがある。
さらに、今後も記録データが増え続ける見込みであるが、それに伴い、データの検索や利用に時間がかかることが懸念される。データ量の増加に対応するためには、効率的な管理システムの導入が必要である。例えば、メタデータの充実や、データベースの検索機能の強化、ユーザーインターフェースの改善などが考えられる。これにより、利用者は必要な情報を迅速かつ正確に取得できるようになり、アーカイブの利用価値が向上する。
また、データの検索性を向上させるためには、タグ付けやキーワード検索の導入も有効である。具体的には、撮影場所、日時、対象物の種類、関連する歴史的出来事などの情報をタグとして付与し、利用者がこれらのタグを使ってデータを検索できるようにすることで、利用の利便性が格段に向上する。また、視覚的なサムネイルや地図上での表示機能を追加することで、利用者が直感的にデータの位置関係を把握できるようになる。
管理方法の改善には、定期的なデータの更新とメンテナンスも重要である。新しいデータが追加された際には、既存のデータとの整合性を確認し、必要に応じてメタデータの更新や修正を行うことで、アーカイブ全体の一貫性と信頼性を維持することが求められる。このように、効率的で使いやすい管理システムの構築と維持が、デジタルアーカイブの成功に不可欠である。
第4章 新たな地域資源デジタルアーカイブの記録・管理方法
1.新たな地域資源デジタルアーカイブの記録方法
上記の問題を解決するためには、多方向撮影や多視点撮影を行うことが重要である。これにより、詳細で正確な記録を作成できる。さらに、各画像や資料に詳細なメタデータを追加することが求められる。これによって、情報の検索性が向上し、データベースの分類やタグづけを行うことで、地域ごとの情報を簡単に参照できるようになる。また、撮影場所や日時の詳細な記録を含めることで、資料の文脈を明確にすることができる。これらの取り組みを通じて、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、情報の効率的な管理と利用を実現することが期待される。
(1)多方向撮影の重要性
多方向撮影は、地域資源のデジタルアーカイブにおいて非常に重要な手法である。特に、郡上白山文化遺産のような複雑な環境や建築物の詳細を正確に記録するためには、多方向からの視覚情報が不可欠である。多方向撮影の具体的な手法とその意義について述べる。
(a)多方向からの撮影手法
多方向撮影とは、対象物を異なる角度から撮影し、立体的かつ全方位的な情報を収集する手法である。この手法により、以下のような効果が得られる。
記録場所に入る前に、周囲8方向(北、東、南、西、北東、南東、南西、北西)を撮影することで、場所の全体像を把握する。これにより、対象物の周囲にある道路や建物との位置関係が明確になる。
正面だけでなく、周囲8方向からの呪法を得ることで、建物や環境の詳細がより分かりやすくなる。例えば、建物のデザインや材質、劣化状況などを詳細に記録できる。
撮影時にカメラの時間情報を利用することで、撮影日時とともに時間帯も記録する。これにより、同じ場所でも時間帯による影響(例えば、日照や影の変化)を把握することが可能となる。
(b)実際の撮影手順
事前準備
撮影場所の地図を確認し、どの方向から撮影するかを計画する。特に、重要なランドマークや目印となる建物をリストアップする。
周囲8方向の撮影
撮影場所に到着したら、まず周囲8方向を順番に撮影する。各方向の撮影時に、カメラの設定(解像度、露出、ホワイトバランスなど)を統一することが重要である。
対象物の撮影
記録する対象物に接近し、再度周囲8方向を撮影する。対象物の細部がわかるように、適宜ズームやマクロ機能を活用する。
時間情報の記録
撮影した画像には、必ず撮影日時と時間帯を記載する。これにより、後からデータを整理する際に時間的な変化を容易に追跡できる。
多方向撮影は、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおいて、対象物の立体的な理解と詳細な記録を可能にするための重要な手法である。この手法を活用することで、将来の研究や保存活動において価値あるデータを提供することができる。
(2)多視点撮影の重要性
文化遺産のデジタルアーカイブでは、多視点からの撮影がとても重要である。これにより、対象物の詳細な記録が可能になり、立体的な理解も深まる。単一の視点では見逃してしまう情報も広く記録でき、保存や普及の質を向上させることができる。
多視点から、さらに多角度からの撮影を行うと、対象物を立体的に記録し、3Dモデルとして再現することができる。利用者はそれをさまざまな角度から見ることができ、より詳細に観察できる。この方法は、文化遺産の詳細な調査や分析に非常に役立つ。特に、建物や彫刻、工芸品などの複雑な対象物に対して有効である。また、文化遺産の保存や修復の際にも、多角度からの撮影記録は重要である。元の状態を細かく記録することで、修復の際の貴重な参考資料となる。
(a)多視点撮影の方法
静止画撮影
高解像度カメラを使用して、対象物をさまざまな角度から撮影する。撮影時には、三脚や回転台を使用してカメラの位置を固定し、一定の間隔で撮影を行う。
ビデオ撮影
高解像度ビデオカメラを用いて、対象物を360度の視点から連続的に撮影する。ドローンを使用して空中からの撮影も行い、広範囲の記録を可能にする。ビデオデータは、視点の変化をリアルタイムで記録し、インタラクティブなコンテンツの作成に利用される。
(b)多視点撮影の活用と展望
多視点撮影は、さまざまな分野で使われていて、これからもっと進化することが期待されている。教育では、授業や研究で重要な情報源となる。実物を見なくても、詳しいデジタルデータを使って学ぶことができる。研究者たちは、3Dモデルを使って新しい発見をすることができる。
観光業では、多視点撮影は観光地の宣伝に使われる。バーチャルツアーやARにより、観光客の興味を惹いて、訪れるきっかけになる。SNSやネット広告でたくさんの人に宣伝できる。
文化遺産の保存や修理には、多視点撮影が欠かせない。細かいデータを残して、正確に修理することができ、文化遺産の長期保存に役立つ。
2.新たな地域資源デジタルアーカイブの管理方法
(1)場所ごとの管理方法
場所ごとの管理は、アーカイブないの方法を地域別に整理し、迅速にアクセスできるようにするための手法である。この方法により、特定の場所に関する情報をすぐに把握することが可能となる。
郡上白山文化遺産のデジタルアーカイブは、岐阜県、石川県、福井県などの地域ごとに分類する。この分類により、特定の地域に関連する情報を簡単に検索し閲覧することができる。
各地域内でさらに詳細なサブカテゴリを作成する。例えば、岐阜県内では郡上市、美濃市などの地町村単位で分類し、それぞれの文化遺産に関する情報を整理する。
アーカイブに地図を組み込み、各場所の情報を地図上で視覚的に確認できるようにする。これにより、ユーザーは地理的な位置関係を把握しやすくなる。
(2)日毎の管理方法
日毎の管理は、時間軸に沿って情報を整理し、季節や時間帯による変化を追跡するための手法である。この方法により、特定の時期における変化やイベントの影響を詳細に記録・分析することが可能となる。
全てのアーカイブデータに撮影日と撮影時間を記載する。これにより、同じ場所であっても異なる時期に撮影されたデータを区別できる。
一年間を四季に分け、それぞれの季節ごとにデータを整理する。例えば、春、夏、秋、冬ごとの風景の変化や文化行事の様子を記録する。
日毎の管理に加えて、撮影された時間帯(朝、昼、夕方、夜)も記録する。これにより、同じ日の異なる時間帯における環境や光の変化を比較することができる。
各データにタグをつけることで、特定の条件に基づいてデータを簡単に検索できるようにする。例えば、冬景色、紅葉、祭りなどでフィルタリングできるようにする。
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの効果的な管理は、場所ごとおよび日毎の管理方法に基づいて行うことが重要である。この手法により、地域資源の詳細な記録と簡単なアクセスが可能となり、将来的な研究や保存活動に貢献することができる。
第5章 新たな地域資源デジタルアーカイブの試行
1.新たな地域資源デジタルアーカイブの試行
デジタルアーカイブの運営と管理において、試行は重要なプロセスである。これにより、新しい技術や方法が実際に役立つかどうかを確かめることができる。以下に、試行の目的とその重要性について述べる。
新しい技術や方法を導入する際、理論だけではうまくいくかどうかわからない。実際に使ってみて、技術や方法が役立つかどうかを評価することができる。試してみることで、実際の運用で出てくる問題点を事前に見つけることができる。これにより、本格的に導入する前に問題を解決し、スムーズに運用できるようになる。試行により、技術や方法を最適化し、運用環境に合わせた調整を行うことができ、効率的で効果的な運用が可能になる。
このように、新しい技術や方法を試してみることは、デジタルアーカイブの成功にとって非常に重要である。試行を通じて得られる実践的な評価や問題点の発見、そして最適化と調整が今後の運用をスムーズにする。
(1)試行計画と実施
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける試行の計画と実施方法について、具体的な手順を示す。
試行の目的と目標を明確にし、試行計画を立てる。計画には、試行の範囲、期間、使用する技術や手法、評価基準などを含める。
試行で使用する技術や手法を選定する。例えば、高解像度の写真撮影や、メタデータの作成などが含まれる。選定した技術や手法について、事前に十分な練習をし、試行に備える。
試行中に収集したデータを詳細に記録する。これには、技術や手法の使用状況、発生した問題点、解決策などが含まれる。データは、のちの評価と分析のために整理して保存する。
試行終了後、集めたデータを使って評価を行う。まず、評価基準に従って新しい技術や方法がどれだけ役立ったかを分析する。データを見ながら、どこを改善すればもっと良くなるかを考える。見つけた改善点に対して、具体的な改善策を実行する。このプロセスを通じて、新しい技術や方法をさらに改善し、次の運用に生かしていく。
(2)試行の具体例
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける試行の具体例を以下に述べる。
新たな地域資源デジタルアーカイブの記録手法を用いて、詳細な撮影を実施した。撮影場所は、白山比咩神社、白山名敵神社、平泉寺白山神社、白山中居神社、石徹白地域、白川郷の6箇所に及び、それぞれの場所で多方向撮影、多視点撮影を行った。
データ管理においては、岐阜県、石川県、福井県の各地域ごとに分類した。全てのデジタルアーカイブデータには撮影日と撮影時間を正確に記載し、後の参照や検索が容易となるよう配慮した。また、対象物や地点ごとに詳細なメタデータを加え、その内容には歴史的背景、文化的意義、建築的特徴などが含まれている。
(a)白山中居神社
白山信仰と共に栄えた白山麓の集落、石徹白にある白山中居神社。神が座す神域である白山と、俗世である人の住む里の境界にあるこの地には、神様が中居りされるという。神社の境内には、大日孁貴(おおひるめのむち)はじめ諸々の神様が祀られ、縄文の古より山を降りてきた神が依り代とした磐境(磐境)に、いにしえからの信仰の姿が感じられる。
白山を開いた泰澄大師が養老年間に社城を拡張したと伝えられ、宮川のせせらぎと樹齢200年から1,000年の150本にもおよぶ杉の大木に囲まれた静かな場所にある。
本殿正面「粟に鶉(うずら)」「竜と脇障子」の彫刻は県の重要文化財に指定されており、周辺の150本を超える巨木の森「白山中居神社の森」および、背面にひろがる「ブナ原生林」、「浄安杉」は県の天然記念物となっている。
(b)石徹白地域
石徹白(いとしろ)は白山周辺に広がる白山国立公園の南山麓に位置する小さな集落である。石徹白は平安時代から鎌倉時代にかけての白山信仰が盛んな時代には「上り千人、下り千人、宿に千人」と言われるほど修行者の出入りで栄えた土地であり、近世(明治)まで神に仕える人が住む村としてどの藩にも属さず、年貢免除・名字帯刀が許されたところである。ゆえに「中世的支配体制」が明治になるまで維持され独自の文化が形成された。
最奥の「上在所集落」は夏は修験者や白山参詣の道案内と宿坊を営み、冬は「御師」として各地に信仰を広め御礼を配ることを生業とする人々の住むところであった。
古い土地柄から文化財が多く、中でも「大師堂」にある「虚空像菩薩」は国定重要文化財に指定されている。これは当時奥州を支配していた「藤原 秀衡」の寄贈とされ小さな村ながらも白山信仰の重要な拠点であったことがうかがえる。
また、最近の研究で「源 頼朝」の追尾を受けた「源 義経」が奈良吉野山から奥州平泉への逃避行の途中石徹白に逗留し、雪解けを待ち脱出した可能性があるとも言われ、石徹白に残る伝承にもそれを示唆する記述が見受けられる。
標高700メートルの高地にある集落のため夏は涼しく、昼夜の温度差により主要農産物であるとうもろこしは糖度がとても高くなる。石徹白産のとうもろこしは好評で今や日本中に出荷されている。冬は毎年3メートルを越える雪が積もり、ウィンタースポーツを楽しむ人々には絶好のロケーションである。郡上市白鳥町にある四つのスキー場のうち三つが石徹白に集中している。
反面、地域の生活者には厳しい雪国生活が強いられる。昭和30年代までは210戸1200人強の人々が住んでいたが、平成19年度の統計では117戸329人の内145人(44%)が65歳以上の高齢者と、過疎・高齢化が進んでいる。
(c)白川郷
白川郷は、日本の岐阜県に位置する美しい歴史的な村であり、その独特な建築様式で知られている。特に有名なのは「合掌造り」と呼ばれる伝統的な茅葺き屋根の家屋である。この名前は、両手を合わせた形に似ていることから名付けられた。合掌造りの家屋は、豪雪地帯の厳しい気候に対応するために設計されており、急勾配の屋根が雪を自然に滑り落ちやすくする機能を持つ。また、厚い茅葺き屋根は断熱効果が高く、冬の寒さから住民を守る役割も果たしている。
白川郷の集落は、数百年にわたる歴史を持ち、農業を中心とした生活が営まれてきた。特に稲作と養蚕が主要な産業であり、合掌造りの家屋は、養蚕に適した広い屋根裏部屋を持っていることが多い。この地域の文化や伝統は、住民たちによって大切に守られ、現在も多くの家屋が当時のままの姿で保存されている。
1995年には、五箇山とともにユネスコの世界遺産に登録された。その独特な建物や景観だけではなく地域に根ざした文化なども併せて世界遺産として評価されたと言われており、特に白川郷の集落では今も実際の生活の場として使われているところに、他の集落群との違いがある。世界遺産に登録されたことにより、国際的な観光地としての認知度が高まり、多くの観光客が訪れるようになった。訪問者は、古い家屋を見学したり、地元の伝統文化や工芸品を体験したりすることができる。また、四季折々の風景も魅力の一つであり、特に冬の雪景色や春の桜、秋の紅葉は多くの人々を魅了している。
白川郷は、観光地としての発展と共に、地域の伝統や自然環境を守るための取り組みも行われている。地元の人々は、観光と環境保護のバランスを取りながら、持続可能な地域づくりを目指している。このような努力により、白川郷はその独特な文化と美しい景観を次世代に伝えていくことが期待されている。白川郷は日本の伝統的な建築様式や文化を体験できる貴重な場所であり、その歴史や自然の美しさは多くの人々を魅了する。
(d)多方向撮影の試行
長滝白山神社の表参道駐車場を含む複数の地点において、多方向撮影を実施した。表参道駐車場に限らず、境内の主要な場所や周辺地域に至るまで、各角度から高解像度の画像を取得し、詳細なデータを収集した。これにより、神社全体の包括的な記録が可能となり、地域資源の詳細なデジタルアーカイブデータを記録することができた。
(e)多視点撮影の試行
平泉寺白山神社の拝殿を含む神社全体を対象に、多視点撮影技術を用いて記録を行った。具体的には、拝殿だけでなく、境内の主要な建物や施設、周辺地域の各地点を異なる角度から撮影し、詳細なデータを取得した。この手法により、神社全体の構造やデザインの詳細を包括的に記録することが可能となった。
(f)メタデータ
対象物や場所ごとに詳細なメタデータを記載することにより、情報の管理と検索が飛躍的に向上する。メタデータには、対象物の名称、位置情報、関連する文化・歴史的背景などが含まれ、デジタルアーカイブの利便性を高めるための重要な要素である。また、時間情報を付加することで、記録された対象物や場所の時間的な変遷が明確になる。この時間情報をもとに距離間隔を計測することで、歴史的な道筋や経路の変遷を詳細に追跡することが可能となる。以下に、平泉寺白山神社の二の鳥居にて実施した具体的な事例を示す。
二の鳥居
この鳥居は両部鳥居で、神仏習合の形式である。鳥居は一向一揆で消滅したが、1778年(安永6年)に再建された。中央の額には「白山三所大権現」と書かれており、中御門天皇の皇子・天台座主・公遵法親王の筆と伝えられている。鳥居の中央に屋根がついているのはこの額を護るためである。額内の三所とは白山の御前峰、大汝峰、別山 を指している。二の鳥居をくぐると白山神社拝殿が見える。
2.考察
試行を通じて、新しい技術や方法の改善点が明確になった。以下に、試行で学んだことについて述べる。
多方向から撮影することで、場所全体の様子を把握することができた。これにより、対象物とその周囲の道路や建物との位置関係がわかるようになった。
多視点で撮影することで、対象物の詳細な記録ができ、立体的に理解することが可能になった。しかし、複雑な場所では多視点からの撮影が難しい建物もあった。
場所ごとや日毎の管理により、地域資源の詳細な記録と簡単なアクセスが可能になった。
試行で見つかった改善点をもとに、技術や方法をさらに改善していく。これにより、本格的に導入する際のリスクを減らし、スムーズな運用が可能になる。試行で得られた成功事例を参考にして、新しい技術や方法の導入を進めていく。これにより、デジタルアーカイブの品質と効率が向上する。
試行結果を使って、他の地域やプロジェクトにも技術を広める。これにより、地域文化の保存と普及がさらに広がることが期待される。
試行は、デジタルアーカイブの運営において重要なプロセスであり、継続的な改善と最適化を支える基盤となる。郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの発展には、試行を通じた実践的な評価と改善が不可欠である。
3.未来展望
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの進化は、地域文化の保存と普及において新しい可能性をもたらす。未来に向けた展望として、次のポイントがある。
(1)最新技術の活用
AI技術を使って、デジタルデータを自動で分類したり、検索機能を強化したりする。例えば、AIが画像や映像の内容を自動でタグ付けし、利用者が必要な情報を素早く見つけられるようにする。ARとVR技術を使い、文化遺産をバーチャル体験できるようにする。これにより、現地に行けない人でも郡上白山文化遺産を体験できるようになる。
(2)グローバルな発進と連携
デジタルアーカイブの内容を多言語で提供し、国際的なアクセスを促進する。これにより、海外の研究者や観光客も郡上白山文化遺産にアクセスしやすくなる。海外の学術機関や文化保存団体と連携し、一緒に研究を進める。これにより、郡上白山文化遺産の価値が世界中で認識されるようになる。
(3)持続可能な運営
デジタルアーカイブの二次利用を通じて収益を上げ、その収益をアーカイブの運営に再投資する。例えば、教育機関や観光業と提携して、コンテンツのライセンス販売を行うことができる。また、地方自治体、企業、非営利団体との協力により、デジタルアーカイブの運営資金や技術支援を確保する。
(4)地域社会との協働
デジタルアーカイブの成功には、地域社会との協力がとても大切である。地域の人々や地元の団体と一緒にデジタルアーカイブを運営することで、地域全体で文化遺産を守る意識を高めることができる。
地域住民を対象にしたワークショップを開き、デジタルアーカイブの大切さや使い方について学ぶ機会を提供する。住民の意見を取り入れることで、アーカイブの内容や質を向上させる。
デジタルアーカイブの運営やデータの収集に参加できるボランティアプログラムを実施し、地域の人々が積極的に参加できるようにする。
地元の小中学校や高校と協力し、デジタルアーカイブを授業に取り入れる。これにより、学生が地域の歴史や文化を学び、文化遺産の大切さを理解することができる。
(5)未来のビジョン
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブが、地域文化の大切な場所になる。地域の歴史や伝統を保存し、次の世代に伝えることができる。地域の人々や観光客がデジタルアーカイブを通じて郡上白山文化遺産に触れ、学び、共有できる場所を提供する。
新しいデジタル技術を常に取り入れて、デジタルアーカイブの内容と機能を向上していく。これにより、利用者にとって魅力的で価値のあるコンテンツを提供し続ける。また、長く安定して運営できる仕組みを作り、持続可能な運営を目指す。
郡上白山文化デジタルアーカイブが、地域と世界を繋ぐ役割を果たす。地域の文化遺産を世界に発信し、国際的な交流を促進する。海外の研究者や観光客が郡上白山文化遺産にアクセスし、地域の魅力を理解することで、世界との文化交流が進む。
このように、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、未来に向けたビジョンを実現することで、地域の誇りと文化遺産を次の世代に伝え、地域社会の発展に貢献することが期待される。
第6章 結言
1.研究成果
(1)地域資源の詳しい記録方法の確立
本研究では、郡上白山文化遺産を詳しくデジタル記録するために、多方向撮影と多視点撮影の技術を使った。これにより、従来の方法では見えなかった細かい部分や様々な角度からの情報を得ることができた。例えば、対象物をいろいろな角度から撮影することで、立体感や質感、色などの特徴を正確にデジタル化し、保存することができる。この新しい方法は、郡上白山文化遺産についての理解を深め、将来の研究者や一般の人々にとっても役立つ情報源となることが期待される。
(2)効率的な管理システムの構築
地域資源を効率よく管理するために、データを地域ごとに分け、日ごとに管理する方法を試行した。これにより、特定の地域や時期に関連するデータをすぐに検索してアクセスできるようになり、管理の効率が大幅に向上することが期待される。例えば、データベースのフィルタリング機能を使って、特定の時期に行われた行事や活動、関連する文化財の情報をすぐに見つけることができる。これにより、データ管理の一貫性と透明性が確保され、地域資源を効果的に活用できるようになる。
(3)世界遺産への登録支援
郡上白山文化遺産の世界遺産登録を支援するために、詳しいデジタルアーカイブを作成した。このアーカイブには、登録に必要な証拠資料や情報を整理してわかりやすく表示する方法を試みた。具体的には、文化遺産の価値を示すための歴史的背景や地域の特性などの情報をまとめ、登録に必要な資料を提供した。これにより、郡上白山文化遺産のデータが世界遺産登録プロセスで重要な役割を果たすことが期待され、地域文化の国際的な認知度向上にも貢献することが見込まれる。
今回の研究を通じて、郡上白山文化遺産の詳細な記録方法、効率的な管理システム、そして世界遺産登録支援のためのデジタルアーカイブの構築に成功した。これにより、郡上白山文化遺産の保存と活用が進み、将来の研究や教育活動、観光業においても価値ある資料を提供する基盤が整ったと評価できる。また、世界遺産登録への支援を通じて、郡上白山文化遺産の国際的な認知度と保護を一層強化することが期待される。
2.今後の課題
(1)長期保管の必要性
デジタルアーカイブの長期保管は、デジタルデータの劣化や技術の進化に対応し、文化遺産を未来に伝えるために不可欠である。
物理的な文化遺産は、時間とともに劣化しやすい。デジタルデータは劣化のリスクが少ないが、適切な管理が必要である。長期的に保存することで、次世代にわたって地域の文化遺産を伝えることができる。
デジタル技術は急速に進化しており、現在のフォーマットやメディアが将来的に利用できなくなる可能性がある。長期保管においては、最新の技術動向を追い続け、データの移行や更新が必要となる。
(2)長期保管の方法
デジタルデータは、定期的にバックアップを作成し、異なる場所に保存する。これにより、災害やシステムのトラブルからデータを守る。バックアップは、自動システムを使って定期的に行い、常に最新の状態を保つ。
データを複数のサーバーやデータセンターに分散して保存し、一つの場所にトラブルが起きてもデータが失われないようにする。クラウドストレージサービスを利用して、地理的に離れた場所にもデータを保存する。
技術の進化に応じて、データフォーマットを新しいものに更新する。古いフォーマットのデータは、新しいフォーマットに変換し、互換性を保つ。定期的にフォーマットの互換性をチェックし、必要なら変換作業を行う。
専任のスタッフがデータの状態を定期的に監視し、問題が発生した場合は迅速に対応する。データの整合性や可用性を保つための保守作業を行い、アクセスログを分析して不正アクセスやデータ改ざんの兆候がないかをチェックする。
(3)クラウドベースの管理方法
今後の管理の一環として、クラウドベースの管理方法の導入を検討することを強く推奨する。クラウドベースのシステムを使うと以下のような利点がある。
クラウドベースのシステムは、必要に応じてデータの保存容量や処理能力を簡単に増やすことができる。これにより、季節ごとにデータ量が増減する場合でも、問題なく対応することができる。
クラウドサービスは、大きな初期投資をしなくても使い始めることができる。使用した分だけ料金を払うため、予算に応じた運用が可能である。例えば、AWS(Amazon Web Service)のS3(Simple Storage Service)やGoogle CloudのGoogle Storageは1GBあたり約2.5円から利用できる。自分でサーバーを管理するコストや手間も省けるため、運用費用を節約できる。
クラウドサービスはデータの安全性が高く、データがなくなるリスクを最小限に抑えられる。定期的なバックアップや複数のデータセンターに保存されるため、災害時にもデータを簡単に復旧できる。また、24時間365日の監視体制が整っており、システムが常に安定して動く。
インターネットを使ってどこからでもデータにアクセスできるため、場所やデバイスに関係なくデータを利用できる。研究者や教育者、観光客など、いろいろな人がデータに簡単にアクセスできる。アクセス権限の管理も簡単で、セキュリティを保ちながら必要なデータを提供できる。
(4)セキュリティとデータ保護
クラウドベースのデータ管理で、セキュリティとデータ保護はとても大切である。データの安全性を守るために、以下のような対策を取る必要がある。
データを保存するときや送るときに、暗号化を行う。これにより、不正なアクセスやデータ漏えいを防ぐ。クラウドサービスの提供者が提供する暗号化サービスを使って、データの秘密を守る。
誰がデータにアクセスできるかを厳しく管理する。特定のユーザーやグループにだけアクセスを許可し、不正なアクセスを防ぐ。多要素認証(MFA)を導入し、セキュリティを強化する。パスワードに加えて例えば、スマホに送られるコードなど、別の認証方法を使うことで、セキュリティを高めることができる。
クラウド環境を24時間365日監視し、不審な活動を素早く見つけるようにする。セキュリティ問題が発生したときにすぐに対応できる体制を整える。
誰がいつデータにアクセスしたかなどの記録(ログ)を定期的にチェックして、セキュリティ状況を確認する。
これらの対策を実施することで、クラウドベースのデータ管理が安全で信頼できるものになる。
(5)メンテナンス
クラウドベースのシステムは、開発後も継続的なメンテナンスと管理が必要である。
新しい機能を開発したときは、それがきちんと働くかどうか徹底的にテストする。テスト専用の環境を作り、バグや問題点を事前に見つけて修正する。ユーザーからの意見を集めて、システムをより良くする。
開発した新機能を実際に使う環境にリリースする。リリースの手順を自動化することで、新しい機能を素早く確実に提供できる。リリース後もシステムの動きを監視し、問題が起きたらすぐに対応する。
定期的にシステムのメンテナンスを行い、セキュリティアップデートやバグ修正を適用する。これにより、システムの安定性と安全性を保つ。利用者のニーズや技術の進化に応じて、定期的にシステムを更新する。
システムが故障した時のために、リカバリプランを準備しておく。バックアップデータを使って、迅速に復旧できるようにする。障害発生時の対応手順を明確にし、関係者がすぐに対応できるようにする。
クラウドベースのデータ管理は、郡上白山文化遺産デジタルーアーカイブの運営において多くの利点がある。適切な対策を取りながら、クラウド技術を最大限に活用することで、地域文化の保存と普及を効果的にサポートすることができる。
3.投資価値
【財務大臣向けサマリー】
郡上白山文化デジタルアーカイブは、地域の歴史と文化を保存し、デジタル化を通じて広く普及させること、白山文化の世界遺産への登録支援を目的としています。本プロジェクトは、教育、研究、観光の各分野で利用され、地域振興と経済効果をもたらすことを目指しています。文化遺産のデジタル化により、長期的な保存と広範なアクセスが可能になる。地域住民や教育機関、研究者が活用できる豊富な資料を提供します。
デジタルアーカイブを活用した観光プロモーションにより、国内外からの観光客を誘致します。バーチャルツアーやAR体験を提供し、地域の魅力を発信します。
地域の歴史や文化を学ぶための教材として、学校や大学で活用されます。研究者による詳細な分析や国際共同研究の基盤となります。
(1)プロジェクトのコスト概要(年間)
・クラウドストレージ
¥1,200,000:データの保存と管理にかかる費用(1TBあたり約¥10,000/月)
・ソフトウェア開発
¥10,000,000:インターフェース開発、機能追加、テスト
・技術者の人件費
¥30,000,000:フルスタックエンジニア、クラウドアーキテクト、データベース管理者、UI/UXデザイナー
・運用費
¥5,000,000:システムの管理、セキュリティパッチ、システムアップデート
・プロモーション費用
¥3,000,000:観光プロモーション、広告、イベント開催
・教育・ワークショップ
¥2,000,000:地域住民や学校向けの教育プログラム、ワークショップ
合計:¥51,200,000
(2)収益予測と経済効果
・観光収益
バーチャルツアーやAR体験を通じて観光客を増加させ、年間10,000人の増加を見込む。一人当たりの観光消費を¥20,000とすると、年間収益は¥200,000,000。
・教育プログラム
学校や大学での利用により、教育機関からの利用料を年間¥5,000,000と見積もる。
・研究プロジェクト
国内外の研究プロジェクトへの参加費用やデータ利用料を年間¥10,000,000と見込む。
・その他の収益
デジタルアーカイブのコンテンツライセンス販売や企業スポンサーシップによる収益を年間¥10,000,000と見積もる。
合計収益予測:¥225,000,000
・投資総額:¥512,000,000
・年間収益予測:¥225,000,000
初年度の収益が予測通りに達成されれば、初期投資は1年以内に回収可能です。デジタルアーカイブの持続的な運営と更新により、長期的な収益が期待できます。観光収益の増加や国際的な研究プロジェクトへの参加により、地域経済全体に対する影響が広まることが見込まれます。地域文化の保存と普及を通じて、次世代にわたる文化遺産の継承が可能となります。地域住民や学生の教育資源として活用され、地域全体の文化的価値が向上します。郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、地域文化の保存と普及、観光振興、教育・研究の促進において多大な効果を発揮するプロジェクトです。初期投資は高額ではあるものの、短期的な投資回収が可能であり、長期的には持続可能な利益をもたらすことが期待されます。地域経済の活性化と文化的価値の向上に貢献するため、是非ともこのプロジェクトへの投資をご検討ください。
参考文献
以下は、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの研究において参考にした文献や資料の一覧である。これらの参考文献をもとに、アーカイブの構築と運営に関する知識を深め、具体的な実践方法を確立した。
・後藤忠彦,2022年,デジタルアーカイブの利活用基礎,岐阜女子大学大学院 文化創造学研究科
・後藤忠彦,2018年,デジタルアーカイブの資料収集・撮影・記録の基礎,岐阜女子大学 デジタルアーカイブ研究所
・岐阜女子大学デジタルアーカイブ研究所,2017年,地域文化とデジタルアーカイブ,樹村房
・久世均・櫟彩見,2018年,デジタルアーカイブ特講,岐阜女子大学大学院文化創造学研究科
・デジタルアーカイブによる新たな価値創造推進事業
https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2022/11/2e95012b14fd2b6d5087ea7d651bd2a1.pdf
・岐阜県奥美濃石徹白公式ホームページ
https://itoshiro.net/map/map0414.html
・平泉寺白山神社
https://heisenji.jp/
・一般社団法人白川郷観光協会
https://shirakawa-go.gr.jp/
・白山中居神社
https://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=1541&shrname=%E2%96%A0%E7%99%BD%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E5%B1%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%96%A0
・白山比咩神社
https://www.shirayama.or.jp/
・岐阜奥美濃白鳥踊り
https://shirotori-gujo.com/html/odori.htm
・ぐるっと白山
https://www.g-hakusan.gr.jp/
・白山市公式ホームページ
https://www.city.hakusan.lg.jp/
・石川県図書館デジタルコレクション
https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/digicolle
・デジタルアーカイブ福井
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/dafukui.html
・郡上市公式サイト
https://www.city.gujo.gifu.jp/
・白鳥観光協会
https://www.shirotori-gujo.com/
・岐阜県学校間総合ネット
https://www.gifu-net.ed.jp/
謝辞
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、地域資源のデジタルアーカイブにより、世界遺産登録への整備と新たな観光資源の発掘を目的とした重要な取り組みです。本研究では、地域資源の詳細な記録と効率的な管理システムの確立、そして世界遺産登録の支援を目指してきました。本研究が、郡上白山文化遺産の保存と活用に貢献することが期待されます。
ご協力いただいたすべての関係者に感謝するとともに、今後も引き続き、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの発展に努めて参ります。