観光と「おもろそうし」勝連城
勝連城跡は、勝連半島にある標高約98mの丘陵に築かれた東西に細長いグスク(城)である。
北は金武(きん)湾を囲む北部の山々やうるま市の島嶼(しょ)地域の島々が見え、南には知念半島や中城湾、世界遺産の中城跡が一望できる景勝地である。
勝連城跡は1972年に国指定史跡に指定され、2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして首里城跡などとともにユネスコの世界遺産に登録された。
勝連城10代目按司の阿麻和利(最後の城主)は15世紀の琉球王国において勝連半島を勢力下に置いていた按司で、護佐丸・阿麻和利の乱により首里王府への反逆者とされているが、首里王府が編纂した歌集「おもろさうし」では、阿麻和利について肝高(きむたか/ちむたき、気高い/心豊かなどという意味)と表現され、現在でも市民に敬愛されている。
尚泰久王は王女 百度踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせており、その後、勝連城で起こる数々の出来事は組踊や現在版組踊にもなっている。
琉球最古の歌謡集「おもろさうし」には、勝連(現在の沖縄県うるま市勝連地区)を日本本土の鎌倉に例えた歌をはじめ、勝連の繁栄や、勝連地域に繁栄をもたらした10代目城主である阿麻和利を讃える歌謡(第12章47歌中12歌)が数多く残されている。
観光と「おもろさうし」_勝連城跡
沖縄の怖い話『七色ムーティ』
【真玉橋(まだんばし)の歴史】
真玉橋は1522年に首里城と那覇港、那覇の防御を目的として、第二尚氏第三代国王尚真の時代に国場川に架けられた橋で、琉球王府時代には首里と島尻地方を結ぶ交通の要でもあったが、川の氾濫や沖縄戦で何度も破損、破壊が繰り返された。
【真玉橋にまつわる怖い話『七色ムーティー』】
当時、木で造られた真玉橋は、大雨のたびに洪水で流されていた。そのため、1707年、尚貞王の時代に丈夫な石で造り替えることになった。
だが、建設中に大雨が降ると造りかけの橋が流され工事はなかなか進まなかった。困り果てた役人が、ユタ(民間霊媒師)をたずねると、「完成させたければ、子年生まれで七色の元結(七色ムーティー)をした女性を人柱にすることだ。」と告げられた。役人は告げられた女性をいたるところで探したが、条件にあった女性は見つけられなかった。
ある日、そのユタも子年生まれであることが役人の耳に入ったため、再びユタを尋ねると、ユタの元結が七色に輝いていた。ユタは「誰かが私を陥れようとしている」と訴えたが、聞き入れられず人柱として埋められてしまった。
(参考:豊見城市商工会とみぐすく,豊見城の民話「真玉橋の人柱伝説 ― 七色ムーティー」,http://www.tomi-shoko.or.jp/tomi_minwa,[アクセス 2023/11/03])*諸説あり
沖縄の怖い話_『七色ムーティ―』
【研究】令和6年度岐阜県私立大学地方創生推進事業
~DXで実現する地域のデジタル人材育成事業~
事業概要
〇地域産業や地域社会を担う人材確保のため,デジタル・グリーン等成長分野に関するリスキリングを推進する,このためにリスキリング教育のための「Multi Campus One Digital University」を新たに構築し,地域人材の育成カリキュラムを開発し実践する。
(注)「Multi Campus One Digital University」とは,DX(Digital Transformation)時代における“新たな学び”の創出により,デジタル技術を活用し,学びのあり方やカリキュラムを革新させると同時に,リスキリング文化を革新し,時代に対応した新たなリスキリング教育システムである。
〇本システムにより,全ての講座をいつでもどこからでも受講できるようなオープンなデジタルユニバーシティの構築することにより,新たな雇用機会を創出し,地域に必要な人材確保の新たな展開を実現する。
事業内容
〇少子高齢化社会において,人手不足が深刻化している地方や中小企業ではデジタル化は急務であるが,それを進める人材は少なく採用に苦慮している。このため,現有人材をデジタル人材化するための教育が各企業で進んでいる。
〇2022年秋の段階で,DXに取り組んでいる企業のうち8割以上が従業員のリスキリングに取り組んでいる。
〇総務省も,人への投資を推進しており,官民連携でリスキリングに取り組む自治体が出てきている。地域に必要な人材の確保のため,地方自治体が企業のデジタル人材育成を支援する動きは,今後も活発化すると予想される。
〇企業内研修とは異なり,民間企業や個人向けに学習の機会を提供するには複雑な仕組みが必要である。本学が計画する,①誰もが学べる環境を整備する,②人々が学びたいテーマの教育を準備する,③誰が何を学んだか知識が身についたか進捗を確認するなど,すべてを企業内で行うことは難しい。
〇それを一気通貫で実現できるのが本学が構想する「Multi Campus One Digital University」である。「Multi Campus One Digital University」では,高度な指導者によるカリキュラムの開発やe-Learning配信システムを用いて学習環境を提供する。
〇本システムにより,全ての講座をいつでもどこからでも受講できるようなオープンなデジタルユニバーシティの構築することにより,新たな雇用機会を創出し,地域に必要な人材確保の新たな展開を実現する。
〇これまでの産業構造が根本的に変化したことにより,かつての主力産業の衰退や業務のロボット化・デジタル化が一気に進んだ。それに伴い,企業は大量の余剰人員を抱えることになった。しかも多くの企業は,斜陽に差し掛かっているこれまでの事業の延長線上ではなく,新たな事業を開拓できるイノベーション人材を求めている。
〇その一方で,急速に進んだDXに対応できるIT人材不足は深刻な状況に陥っている。例えば,これまでテレビを主力商品として開発・製造していたメーカーが,テレビの生産をストップさせ,代わりにロボット技術の開発に事業移管する,といったイメージである。
〇こういった場面で直面するのが,もう必要のなくなったスキルしか持たない従業員の処遇と,新事業で必要とされる新たなスキルを持つ人材の不足である。その時,余剰となった人材を再教育(リスキリング)して再配置し,新たな雇用機会の創出につなげるというのがリスキリングの考え方である。
〇リスキリングが重視されているもうひとつの理由として,DXへの対応がある。DXとは単なるデジタル化・効率化ではなく,企業の製品やサービス,ビジネスモデル,そして組織そのものを変革させることである.事業構造の変化に伴い,これまでと全く違うスキルがすべてのプロセスにおいて求められることになる。
〇DXは一部のIT技術者だけが対応すれば良いというものではない。今いるすべての従業員たちが,会社の変化を理解し,新たな知識やスキルを身に付け,新しい仕組みに順応して業務を行い,利益を上げていく。
〇企業がDXに本気で取り組もうとする時,すべての従業員のリスキリングが求められる。自社の従業員が現在保有しているスキルは何か,これから必要となるスキルは何か。それを可視化させ,ギャップを埋めるリスキリングプログラムを用意する必要がある。
大学等における課題解決に向けたこれまでの取組状況
〇地域における大学の使命は,地域における新たな価値の創造による新たな文化と雇用の創出である。そのためには,地域の大学は知の拠点としての機能を有し地域で活躍できる人材の育成が重要である。
〇また,上記の地域資源デジタルアーカイブをという教育リソースと日本の著名な専門家を招聘した下記のような研修講座を実施してきた。
①デジタルアーカイブin岐阜2022・2023の実施
令和5年2月11日(土) 受講者:72名(県内20名)
令和6年2月11日(土) 受講者:55名
②高校生のためのデジタルアーカイブクリエータ資格取得講座
第1期:令和4年 8月27日(土) 受講者:2名
第2期:令和4年12月17日(土) 受講者:43名
第3期:令和5年 8月19日(土) 受講者:35名
第4期:令和5年12月16日(土) 受講者:27名
③高校生のための準デジタルアーキビスト資格取得講座
令和4年4月~7月 受講者:29名
令和5年4月18日~令和5年2月20日 受講者:24名
④社会人のための準デジタルアーキビスト資格取得講座(e-Learning)
令和5年2月11日~2月26日 受講者:35名
令和6年2月11日~2月25日 受講者:55名
この他にも,本学の教育リソースを活用した教員対象の免許状上進など様々な講座を行い教員のリスキングを行っている。
〇 研 究
また,本事業を実施するために本学として次のような研究を現在進めている。
①個別最適化され,創造性を育む学修への転換
○学習者たち一人一人に個別最適化され,創造性を育む学びの実現のための“新たな学び”をデザインする。また,未来社会を見据えて育成すべき資質・能力を育むための“新たな学び”やそれを実現していくための“新たな学びの空間(学修環境)”を形成するためにICTを効果的に活用する。
②効果的で効率的・魅力的な教育方法への転換
○カリキュラムを効率的に教えるために,学習者の特徴や与えられた環境,教育リソースなどを考慮し,最も効果的で効率的・魅力的な教育方法を選択する.そのことにより,実行と評価を繰り返すことで,授業の成果を高める。
③学習者における自律的なオンライン授業への転換
○教えない研修を実現するためには,自律的な学習者となることが重要であり,その自律的な学習者における自律的なオンライン授業を実現する。
◆計画事業の具体的な実施内容
〇本事業では,岐阜県における地域人材の育成事業として次のような課題を設定している。
〇AIやDXによる業務効率化,脱炭素化が進むこれからの時代,社会で活躍し続けるためには,常に知識・スキルをアップデートして変化に対応することが必要である。
〇そのための学びのあり方として,リカレント,リスキリングといった社会人の学び直しへの関心が高まっている。
〇一方で,学び直しに興味はあっても,学費の負担や時間の確保がネックとなり,二の足を踏んでいる社会人は少なくない。
〇そこで,産業界や社会のニーズを満たすリスキング教育プログラムの開発・提供を行い,社会人のスキルアップやキャリアアップ,キャリアチェンジを後押しする。
〇本リスキング教育プログラムのコンセプトとして,時代の潮流に即した最先端で,各分野において最先端の知見を有する講師により,スキル修得を目指したコンテンツを活用し,いつでもどこでも学習できる環境であるオンデマンドな学習環境を構築する。
〇令和6年度,リスキリング教育プログラムとして開発する内容は以下の通りである。
① AI人材の養成
超スマート社会(Society 5.0)の実現に向け,AIを活用して社会課題を解決し,新たな価値を創造できる人材の活躍が期待されている.世界的にAI人材不足が深刻化するなか,各企業の間で優秀なAI人材の争奪戦が行われており,AI人材育成に対するニーズが高まっている.ここでは,次のような内容でAI人材育成を行う。
講座の内容(予定)
人工知能(AI)入門
⑴ AIとはなに?
⑵ AIで何ができるか?
⑶ 「人工知能をつくり出そう」
⑷ 人工知能 概論
⑸ 「生成AIの仕組みと社会へのインパクト」
⑹ 「AIと人間の学び」
⑺ 「人とAIの学習研究から考えるこれからの教育」
⑻ 「人工知能(AI)とデジタルアーカイブの現状と未来」
⑼ 進化するAIと変わる著作権・肖像権 他
② デジタルアーキビストの養成
デジタルアーキビストとは,文化・産業資源等の対象を理解し,著作権・肖像権・プライバシー等の権利処理を行い,デジタル化の知識と技能を持ち,収集・管理・保護・活用・創造を担当できる人材のことをいう。
また,ビジネスのボーダーレス化の進行,来たる超スマート社会(Society 5.0)に向けて,知的財産人材の業務は,これまで主流であった知的財産に関する専門知識を活かす業務だけでなく,ルール形成やビジネスモデル構築等の業務にも拡大しており, 「ビジネス・知財総合戦略」を担える知的財産人材の必要性が高まっている.ここでは,デジタルアーキビスト資格と絡め知的財産人材の育成を行う。
デジタルアーカイブ概論
講座の内容(予定)
⑴ デジタルアーカイブの基礎
⑵ デジタルアーカイブ開発と活用プロセス
⑶ デジタルアーカイブの評価とメタデータ
⑷ デジタルアーカイブの利活用
⑸ デジタルアーカイブによる地域活性化
⑹ デジタルアーカイブと知的財産権
⑺ ジャパンサーチとデジタルアーカイブ活用基盤
⑻ 世界のデジタルアーカイブの発展とその活用
⑼ デジタルアーカイブと法制度の現在地点 他
③ 学校DX戦略コーディネータの養成
学校DX戦略コーディネータは,学校や教育機関においてデジタルトランスフォーメーション(DX)戦略の計画,実施,および評価をし,効果的に推進する役割を担う専門家であり,次の能力を育成する。
〇 学校DX戦略コーディネータは,教育機関のデジタルトランスフォーメーションの方向性を決定し,具体的な戦略や目標を策定する.これは,教育プロセスの効率化,生徒の学習体験の向上,教育成果の最大化などを含むことがある。
〇DXプロジェクトの計画,予算,スケジュール,リソースの調整,および進行状況のモニタリングを担当します.さまざまな関係者と協力して,プロジェクトの成功を確保する。
〇教育分野における最新のデジタルツールやテクノロジーの選定と導入を調整し,教育プロセスや学習環境の向上を促進する。
〇ステークホルダー連携: 学校DX戦略コーディネータは,教師,学生,保護者,教育委員会,地域社会などのステークホルダーと連携し,DX戦略の成功に向けて協力する。
〇DXイニシアティブの成果を評価し,データに基づいて戦略の調整や改善を行う.教育成果や効率性の向上を追求する。
〇デジタル教育環境においてセキュリティリスクを管理し,生徒のデータやプライバシーを守る役割も担う。
学校DX戦略コーディネータ概論
講座の内容(予定)
⑴ 教育DX時代における新たな学び
⑵ 21世紀に求められる学力と学習環境
⑶ 主体的・対話的な深い学びの実現
⑷ 学習目標とその明確化
⑸ 学習目標のデザイン
⑹ 教えて考えさせる授業の展開
⑺ 協働的な学びのデザイン
⑻ 「教えないで学べる」という新たな学び
⑼ 遠隔授業のデザイン手法 他
〇令和7年度には,地域産業や地域社会を担う人材確保のため,特にグリーン等成長分野に関するリスキリングの推進に資する教育リソースを開発し,地域人材の育成カリキュラムの開発・実践する。
◆計画事業の実施により見込まれる地域への影響
〇本システムは,全ての講座をいつでもどこからでも受講できるようなオープンなデジタルユニバーシティの構築することにより,新たな雇用機会を創出し,地域に必要な人材確保の新たな展開を実現する。新し,時代に対応した新たなリスキング教育システムである。
〇本システムにより,全ての講座をいつでもどこからでも受講できるようなオープンなデジタルユニバーシティの構築することにより,新たな雇用機会を創出し,地域に必要な人材確保の新たな展開を実現する。
◆計画事業の成果普及に関する取組予定
①社会人のリスキングのための「Multi Campus One Digital University」を構築する。
②「デジタルアーカイブin岐阜」の開催(予定)
従来,県内各地で行ってきた「デジタルアーカイブin岐阜」を本年度も実施する.岐阜県内の企業や地域の人々に対してリスキリングの内容・有用性について周知すると共に,本事業の成果を普及する。
③「リスキリング講習会」の開催
岐阜県内の企業や地域の人々に対してリスキリングの機会を提供すると共に,本事業の成果を普及する。
◆事業スケジュール
上記の計画事業の実施内容に沿って,「Multi Campus One Digital University」を構築し,DX時代における“新たな学び”の創出により,デジタル技術を活用し,学びのあり方やカリキュラムを革新させると同時に,リスキリング文化を革新し,時代に対応したリスキリング教育システムを確立する.
スケジュール(予定)
5- 7月 リスキリング教育カリキュラムの構築
8-10月 Multi Campus One Digital Universityの構築
11-12月 e-Learningコンテンツの作成
1- 3月 「デジタルアーカイブin岐阜」の開催
「リスキリング講習会」の開催
【令和6年度】(予定)
① AI人材の養成
・AI人材の養成に関する講座カリキュラムの開発(15講座)
・e-Learning教材の開発(15講座)
・受講者50名
② デジタルアーキビストの養成
・デジタルアーキビストの養成に関する講座カリキュラムの開発
・e-Learning教材の開発(15講座)
・受講者50名
③ 学校DX戦略コーディネータ養成
・学校DX戦略コーディネータの養成に関する講座カリキュラムの開発
・e-Learning教材の開発(15講座)
・受講者50名
【令和7年度】(予定)
① GX人材養成
GX人材の養成カリキュラムの開発
・e-Learning教材の開発(15講座)
・受講者50名
② 環境学・食品学の人材養成
環境・食品に関する養成カリキュラムの開発
・e-Learning教材の開発(15講座)
・受講者50名
③ ドローン人材の養成
ドローンの活用に関する養成カリキュラムの開発
・e-Learning教材の開発(15講座)
・受講者50名
資料
4.Multi_Campus_One_Digital_University構想__私立大学地域創生推進事業
令和6年度岐阜県私立大学地方創生推進事業会議
1.第1回 令和6年度岐阜県私立大学地方創生推進事業会議
資料
金森氏上山への国替え道中記「北浜偶嘯」の現地を訪ねる ~盗人神様、合崎から乗鞍岳、位山~
江戸時代の越中街道は桐生町の史跡万人講から北上し、松本橋で宮川を渡り、松本町の直線道路(県道460号)を通っているが、金森家臣団はこの道を通っている。直線道路の中ほどに盗人神様と言われる小さな加茂神社がある。
祭神は加茂別雷(かもわけいかずち)大神、白山比咩(しらやまひめ)神で、水難除、豊穣、国土安穏の御利益があるとされている。宮川の水難から田畑を守ってもらおうと、京都の上賀茂神社から祭神を招いて祀ったといわれる。創建は寛政元年(1789)とされ、盗人神様の伝説がある。
「ある時、よんどころなき事情で高山の町でこそ泥をした男が、追われて松本村へ逃げて加茂の森に身を隠した。盗人は小さな祠に命乞いをした。すると加茂の神は扉を開けて、人一人入れるはずもない祠の中に盗人をかくまった。村人たちは、盗人は神様にかくまわれたに違いないと信じ、以来この森を盗人神様と呼んでその神徳をたたえるようになった」という伝説である。
ところでこの盗人神様の事を記した元禄5年の文献がある。『北浜偶嘯』という金森氏の上山への国替え道中記で、古くから盗人神様があったことが分かる。
その道中記の中で、「賊神(盗人神様)とかや云う処にいたれば、加賀の羽林家 の卒伍(兵卒)多くつらなりて我が古城に行くは道の程わづらわしくて、かたはらの薮が根によりて聊(いささか)あゆみをとゞめ、其の行き過ぐるを待ち得て一鞭を加をれば三川の橋にいたる。」と書いている。
また道中記では位山を振り返って見たとあるが、一之宮の位山か、位山の旧称を持つ乗鞍だけなのか検討がされている。
金森氏上山への国替え道中記「北浜偶嘯」の現地を訪ねる ~高山~飛騨境まで~
写真は4月の新緑が美しい国道360号の景観で、概ね越中東街道沿いを通っている。金森氏は上山への国替えの際、家臣団はこの越中西街道を通っている。
国府町上広瀬「追分」で、越中東街道(神岡経由)と越中西街道(飛騨市宮川町経由)に分岐している。金森家臣団は越中西街道を通った。
<北浜偶嘯に記される宿泊地全体>
10月2日 高山出発 *新暦では11月9日
2~11日 古川に10日滞在、出立準備 (10班に分けて順次出発したと思われる)
12日 三川原 泊り (飛騨市宮川町)
13日 楡原 泊り (富山県富山市楡原)
14日 滑川 泊り (富山県滑川市)
15日 泊 泊り (富山県下新川郡朝日町)
16 日 糸魚川 泊り (富山県糸魚川市)
17、18日 今町泊り 1日公事あり (新潟県上越市) *旧直江津市
19日 鉢崎 泊り (新潟県柏崎市米山町)
20日 出雲崎 泊り (新潟県三島郡出雲崎町)
21日 地蔵堂 泊り (新潟県燕市分水町地蔵堂) *舟
22日 臼井 泊り (新潟県新潟市南区臼井) *舟
23日 大仏 泊り (新潟県新潟市東区河渡本町辺り)
24日 黒川 泊り (新潟県胎内市)
25日 玉川 泊り (山形県西置賜郡小国町玉川)
26日 沼沢 泊り (山形県西置賜郡小国町沼沢)
27日 赤湯 泊り (山形県南陽市赤湯)
28日 上山到着 (山形県上山市) *新暦では12月5日
*実質18日(今町で2泊を含む)の旅
金森氏上山への国替え道中記「北浜偶嘯」の現地を訪ねる ~雪の高山~富山~
写真は1月の厳しい国道360号で、概ね越中西街道(飛騨市河合、宮川町を通る道)沿いを通っている。金森氏は上山への国替えの際、家臣団はこの越中西街道を通っている。
<金森氏の国替え>
金森氏第6代頼旹は寛文9年(1669)に生まれ、幼名を万助といい、同12年3月5日に家督を継いだが、幼少であったため左京近供が後見人となった。貞享2年(1685)西之一色の山王宮を再興し、元禄元年(1688)江名子の錦山稲荷を再建した。元禄2年(1689)6月、第5代将軍綱吉の側用人(そばようにん)となったが同年8月解任され、元禄5年(1692)7月28日、出羽上ノ山へ転封を命ぜられた。しかし、それからわずか5年後の元禄10年(1697)美濃郡上八幡へ再転封となっている。
<金森氏の国替え道中>
上山へ移動する金森氏武士団一行は家族を含めて4千人以上、元禄5年(1692)10月2日(新暦11月9日)に高山を出発、120里(約480㎞)の行程を歩き、同月28日(新暦12月5日)、上山に到着している。1日あたり6時間半歩く悲惨な旅であった。この道中を記したのが『北浜偶嘯(ほくひんぐうしょう)』である。
<道中の宿所>
高山~富山へは越中西街道を通った。途中の文童子街道と言われる道は厳しく、羊の腸の様に曲がりくねって厳しかったと道中記は記している。古川に10日滞在して、家臣団は10班ぐらいに編成されて順次出発。最初の宿泊は三川原(飛騨市宮川町)で次は楡原(富山県)であった。
金森氏の顕彰
一般財団法人金森公顕彰会が金森氏の顕彰事業を展開している。令和6年は金森長近公生誕500年にあたる。毎年9月1日には金森長近公を祀る金龍神社で例祭が行なわれる。城山二之丸公園には金森長近公の銅像(昭和57年建)がある。
飛騨国主となった長近は、初め「鍋山城」(高山市漆垣内町)に城下を構えたが、城下町を発展させるには不便なため、天神山古城(現在の城山公園)の場所に城を築くことにした。
城の建築は天正16年(1588)から始めて、慶長5年(1600)までの13年間で本丸と二之丸を完成させ、その後3年かけて三之丸が築かれている。高山城の標高は686mほどで、山頂からは高山盆地が見渡せる良い地形である。本丸には御殿風の秀麗な建物が建てられた。織田信長の安土城に似る作り方で、軍事的機能を最優先させた形の城とは異なる。
金森氏の飛騨における山林支配は重要な産業で、たくさんの収入があった。また商業の発展、鉱山の発見と開発なども、金森長近の功績である。
慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦の時、長近は3万8千石の大名であったが、倍近くの6万石並みの大名と同じ数の兵隊を出すことができたという。豊かな山林と鉱山を持っていたからである。
岸和田の史跡
<金森家と岸和田の小出家>
金森宗和に「菊」という妹は、大阪府堺市郊外の陶器藩主の小出三尹(こいでみつただ・みつまさともいう)に嫁いでいる。菊は金森氏第2代・可重の娘。
三尹の子である小出有棟(宗)も、金森家から金森氏第3代重頼(しげより)の子「辻」を嫁に迎えた。さらに、宗和の子七之助は小出家から嫁を迎えている。
このように金森家と小出家とは深い姻戚関係にあったので、大坂夏の陣の際には可重が小出本家・岸和田城の加勢に軍勢を出している。また、三尹は宗和に茶道を学び、有棟も父より宗和流茶道を引き継いだ。二人とも宗和流茶道の流派の系統図に載っている。
<陶器藩>
中世に陶器城が設けられたが、慶長9年(1604年)、小出三尹(こいでみつまさ)がここを拠点(写真)として陶器藩1万石の初代藩主になっている。小出本家の甥・小出吉英が自分の所領を、叔父である三尹に陶器藩として1万石分与したのである。
<小出分家の菩提寺 高倉寺>
陶器藩小出氏の菩提寺は堺市高倉台にある真言宗の寺で、景雲2年(705)、高僧行基開創の古刹。高倉天皇(在位1168~1180)が当寺にお出ましになったことから高倉寺の名を賜ったという。応仁の乱や織田信長の焼き討ちなどで荒廃したが、その後真海僧正らが復興に努め、小出三伊が陶器藩主になると高倉寺に帰依して代々の祈願所とし、諸堂の修理や改築に尽力した。境内の廟墓には三尹、有棟ら代々の墓が建ち並んでいる。
高倉寺には当初四十九院の塔頭があったが、今日まで存続している唯一の坊舎が宝積院。この院に小出家の過去帳が有りそこには有棟の妻・辻の名前が記載され、本堂に位牌があるが、三尹の継室・菊の名前、位牌は無い。
郡上八幡の史跡
金森氏第6代頼旹は元禄2年(1689)6月、第5代将軍綱吉の側用人(そばようにん)となったが同年8月解任され、元禄5年(1692)7月28日、出羽上ノ山へ転封を命ぜられた。しかし、それからわずか5年後の元禄10年(1697)美濃郡上八幡へ再転封となっている。
元文元年(1736)5月23日没、郡上における金森氏は頼旹の跡を孫の頼錦が継いだが、郡上宝暦騒動により、宝暦8年(1758)12月25日に改易となった。
郡上郡121か村(村高2万4千石)と越前国内で69か村(村高1万5千石)の合計3万9千石を治めることになった。宗祇水(頼錦遺構)、左京神社(金森左京屋敷跡)、郡上慈恩寺(金森家菩提寺)など金森氏に所縁のある遺構がある。
金森氏の飛騨攻め
天正13年(1585)、長近は豊臣秀吉の命令で飛騨の三木氏を攻め滅ぼした。翌年、長近は飛騨国3万8千石の国主となっている。
7月下旬、秀吉から飛騨攻略の命を受けた金森長近の軍勢は、越前大野城を出発した。 石徹白村において、軍勢は二手に分かれ、一隊は長近自身が率いて、石徹白長澄を先導とし、白川郷尾上郷村から中野・岩瀬を経て牧戸に向かい、他の一隊は、長近の養子可重が率い、美濃郡上郡長瀧を経て野々俣村へ進み、内ヶ嶋氏の属城たる牧戸城を挾撃する態勢をとった。
8月6日には岩瀬橋において尾上((神))備前守氏綱と戦い、金森方は苦戦に陥ったが、郡上の両遠藤氏の援兵を得て、ようやく8月10日に牧戸城を攻め落した。
牧戸の旧城主であった川尻備中守氏信は、内ヶ嶋氏に背いて、越前に逃れ、金森氏の部下に加わっており、同様に江馬・鍋山・牛丸など没落した飛騨の名家の人々が、金森氏に属して、道案内の役を勤めていた。