天龍寺文書 第1294号 天龍寺奉行次第
1294 天龍寺奉行次第
奉行之次第
真乗院
一番 華徳院 南芳院 喜春軒 栖林軒
陽春院
二番 宝寿院 松岩寺 寿寧院 宝泉庵
鹿王院
三番 昭慶院 維北軒 蒼玉院 永明院
慈済院
四番 宝篋院 西芳寺 崇恩寺 養清軒
五番 地蔵院 三秀院 瑞応院 蔵光庵
文禄甲午年八月二日
(解説) 文禄年間に天龍寺に関係のある塔頭が天龍寺の行事を行った史料である。

関連資料
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dapro2022-01-17 09:46:122022-08-21 09:44:08天龍寺文書 第1294号 天龍寺奉行次第沖縄の有用植物:ゴーヤー
【説明】ゴーヤーはウリ科で、沖縄県を代表する夏野菜として有名である。沖縄県は全国生産量1位であり、県内では今帰仁村や糸満市、宮古島市が主要産地である。
茎は細長く、成長すると長さ4~5mになる。茎からつるを伸ばしながら成長し、巻きひげによって他の物に巻きつく。葉は円形で柔らかく淡緑色であり、花は黄色である。果実は長楕円系で長さは20~50㎝、両端が尖っており、多数の細かいイボに覆われているのが特徴である。
普段見慣れている緑色の果実は未熟な状態であり、沖縄県ではゴーヤーチャンプルーや和え物として食べられている。熟すと外側は橙色になり軟化して裂開する。中には赤い果肉に包まれた種がある。この果肉は甘く、柿のような味わいであり、昔は水菓子の代わりとして食べられていた。
ゴーヤーは沖縄県で食べられるのが一般的であったが、近年では、ビタミンCやカリウムなどが豊富で健康に良いとされ、本土でも食べられるようになってきた。また食用の他にも、「緑のカーテン」としてガーデニングでも近年知られるようになってきた。
【特色】沖縄では古くから家庭にゴーヤー棚を作り、最も親しまれている家庭料理であるゴーヤーチャンプルーや和え物、天ぷら、ゴーヤーチップス、ゴーヤージュースなどで、食用として多く利用されている。ゴーヤー棚は食用の他に、夏の日差しを遮る役割もしており、現在ではグリーンカーテンとして、全国でも親しまれている。他にも近年では、ゴーヤー水と呼ばれる化粧水としても活用され、美容でも注目を集めてきている。また、葉を煎じた液をお風呂に入れると、あせもや湿疹に効果的であり、さまざまな生活の中で利用されてきた。
【古来の活用方法】
~ゴーヤーチャンプルー~
①ゴーヤーを洗い、両端を切り落とす。
②縦に半分に切り、中のわたをスプーンで削ぎ取る。
③ゴーヤーは2㎜程に切って軽く塩を振り、豚三枚肉は5㎜程に短冊切り、豆腐は水切りする。
④フライパンに油を入れて熱し、豆腐を手で適当にほぐして入れ、表面に焼き色がついたら一旦取り出す。
⑤油を足して豚三枚肉を炒め、肉から油が出てきたらゴーヤーを入れてさらに炒める。
⑥豆腐を再度入れ、塩で味付けをする。
⑦最後に溶き卵を流し入れ、全体を手早く混ぜて器に盛りつける。
資料(メタデータ)
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真由美加藤2022-01-13 18:33:582024-09-08 16:29:41沖縄の有用植物 ゴーヤー天龍寺文書 第52号 大宰帥世良親王遺領臨川寺領目録注進状案
52 大宰帥世良親王遺領臨川寺領目録注進状案
故大宰帥親王(世良親王)家御遺跡臨川寺領等目録
一 丹波国葛野庄 当御治世自去年十月之比、御
押妨、被付給主女房南御方云々、此所者、領家地頭中分地也、領家故親王家、御年貢二百余也、本家宝荘厳院、地頭荻野五郎入道云々、
一 和泉国塩穴荘 当御治世御押妨同前、給主四条宰相隆陰卿云々、領家故親王家、年貢六十、加雑物百計地也、本家春日社領,、地頭二宮右衛門次郎入道云々
一 同国若松庄 内大臣僧正道祐依競望申、去元徳三年二月十四日、不慮被下 綸旨之由、承及之間、巳仏陀施入之地、非分御綺之段、歎申之処、同二十五日被成綸旨於寺家了、而悪党楠兵衛尉(楠木正成)押妨当所之由、依風聞之説、称彼跡、当国守護御代官自去年八月之比、令収納年貢以下之条、不便之次第也、守護御代官于今当知行、当所領家故親王家、年貢三百石計、領家一円地也、本家仁和寺勝功徳院
一 伊勢国冨津御厨 年貢十貫計之地也、領主醍醐寺覚相院律師定超、本家故親王家、地頭名字不審
一 美濃国南宮社 当所者、故宮御加冠之時、二条前殿(二条兼基)依被奉行申之忠、可有殿一期御管領之由被申了、自前殿給人不知之、領家故親王家、本家南宮社、地頭請所、年貢二百貫、地頭宇津宮云々
(解説) 世良親王の遺領で、臨川寺に引き継がれた荘園名が書かれている。
文書に出てくる、和泉国若松庄の箇所に楠木正成が若松庄を押領したとの記載がのっている。この出来事が、後醍醐天皇と楠木正成をつないだきっかけになったと言われている。

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dapro2022-01-11 09:48:332022-08-21 09:44:27天龍寺文書 第52号 大宰帥世良親王遺領臨川寺領目録注進状案沖縄の有用植物:月桃
【説明】月桃(げっとう)はショウガ科ハナミョウガ属の多年生常緑草本で、熱帯や亜熱帯地域に生息し、密に束生している。野山などに自生しているものもあるが、家庭の庭などでもよく見られる。名前の由来は、花の房が三日月のような形をしており、花のつぼみが桃の実に似ていることとピンク色であることから、「月桃」とよばれるようになった。
沖縄の方言では「サンニン」とよばれ、独特で爽やかな香りがする葉には殺菌効果があるため、ムーチー(餅)を包む“ムーチーガーサ”として用いられ、沖縄ではとてもなじみがある植物である。茎は結束用として利用されることもある。
【特色】月桃は、葉や果実、茎のすべてがさまざまなものに利用できる。
殺菌や消臭、防虫効果があるため、葉はムーチー(餅)を包むムーチーガーサとしてや、葉から抽出されるエキスは防虫剤や芳香剤、化粧水やアロマオイルなどにも幅広く利用されている。また、果実と共に月桃茶としても活用される。月桃茶は、月桃の活用方法として最も知られており、古くから親しまれている。
【古来の活用方法】
~月桃茶~
①葉と実を良く洗い、水気を拭き取る。
②葉は2㎝程に切る。
③切った葉と実を広げて、3日程天日干しをし、良く乾燥させる。
※乾燥したら、湿気ないようにしっかりと閉じ、保存する。
④鍋に水と、乾燥させた葉と軽くほぐした実を入れ、沸騰させる。
⑤その後お好みの濃さになるまで煮出す。
資料(メタデータ)
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真由美加藤2022-01-09 22:31:502024-09-08 16:30:06沖縄の有用植物 月桃天龍寺文書 第110号 足利義詮御判御教書
110 足利義詮御判御教書
嵯峨臨川寺事、
後醍醐院 勅願、開山国師(夢窓礎石)寂場、 禅宗再興之聖跡、
君臣帰依之梵宇、信仰異他也、
仍雖為徒弟院、任東福寺之先例、可准十刹列之由、被仰門徒了、存其旨可被執務之状如件
文和三年正月二十六日
左中将(足利義詮)(花押)
当寺長老
(解説)
足利義詮が東福寺の先例に任せて、臨川寺を五山十刹制の十刹に加えるとした内容の文書。
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dapro2022-01-07 17:54:212022-08-21 09:44:49天龍寺文書 第110号 足利義詮御判御教書天龍寺文書 第111号 足利義詮禁制
111 足利義詮禁制
(端裏書)
「宝筐院殿」
禁制
臨川寺、付敷地山林
右軍勢甲乙人等、不可致乱入狼藉、且不可宿住、若有違犯輩者、可処罪科之
状如件
文和四年二月 日
(解説)
一〇九号文書と同じ時期に出された文書と思われる。
足利義詮が臨川寺への乱暴や狼藉を禁じるとともに、臨川寺での宿住も禁じている。
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dapro2022-01-07 17:52:042022-08-21 09:45:19天龍寺文書 第111号 足利義詮禁制天龍寺文書 第109号 足利尊氏禁制
109 足利尊氏禁制
禁制( 花押)(足利尊氏)
臨川寺付敷地山林
右軍勢甲乙人、不可致乱入狼藉、且不可宿住、若違犯者、為処罪科、可令注進交名之状如件
文和四年二月 日
(解説)
文和四年二月は、京都で南朝方と北朝方の軍勢が戦った時である。
足利尊氏がこの文書で、臨川寺への乱暴狼藉を禁止するとともに、臨川寺での宿住を禁じている。
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dapro2022-01-07 17:50:082022-08-21 09:45:35天龍寺文書 第109号 足利尊氏禁制天龍寺文書 第48号 後醍醐天皇綸旨案
48 後醍醐天皇綸旨案
故帥親王河端御旧跡所被擬僧院
也、可被住持者、天気如此、
仍執達如件
元徳二年十月二十五日
本元上人禅室( 元翁本元 )
解説)
亡くなられた世良親王の河端の住まいを禅宗(臨済宗)の寺にしなさい。そして、その寺の住職には、元翁本元がなるようにとの後醍醐天皇からの綸旨である。
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dapro2022-01-07 17:48:102022-08-21 09:45:51天龍寺文書 第48号 後醍醐天皇綸旨案天龍寺文書 第47号 大宰帥世良親王遺命記案
47 大宰帥世良親王遺命記案
大宰帥世良親王御遺命云
西郊河端別業改成禅院、寄付所領等、
令止住僧徒、可為閑居道行地之由発願、去五月比本元上人(元翁本元)参彼所之次令約諾畢、此病痾巳無憑、
於今者力不及事也、且以此趣可申入
禁裏、日来所存被聞食者、定無参差之儀歟、兼又母儀一期之間、件領等内一所可計進也、又両所姫宮共在
襁褓中、成長之時者、必可奉入釈門、是又日来所案也、此外事随宜可令計沙汰者
元徳二年九月十七日
大納言源(北畠親房)
此条々去十三日夜被仰置之、偏期御平減不能記置、不図大漸之間、為後日所染筆也、且今朝右大弁季房朝臣(万里小路季房)為勅使被尋御遺跡事、大概以此趣申禁裏畢
(解説)世良親王のご遺言により、河端の地を禅寺にする。そして、元翁本元を住持にするとの内容である。
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dapro2022-01-07 17:46:082022-08-21 09:46:07天龍寺文書 第47号 大宰帥世良親王遺命記案
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dapro2022-01-07 17:43:312022-08-21 09:48:04天龍寺文書 第1274号 臨川寺領山城国大井郷界畔絵図裏書写天龍寺文書 第698号 篠原長房書状(文書形式)
698 篠原長房書状
就御寺領物集女庄野之儀、
芳書令拝見候、様躰無案内之儀
候条、三向可申談候、
有様之上不可存疎意候、
仍青銅参十疋被懸御意候、
本望之至候、猶追而可得貴意候、
恐惶謹言
十一月十三日 長房(花押)
出官
奉行
単寮
臨川寺
雲居庵
御報
(解説)
永禄九年(1566)十一月十三日の文書と推定されている。篠原長房は、阿波国の三好氏の家臣。室町幕府十四代将軍の足利義栄を奉じて、畿内に上陸し、その存在感を示した。
この文書は、政情が安定しなかった京都周辺の状況を表したものである。
天龍寺領の山城国物集女庄(現在の京都府長岡京市周辺)の知行を引き続き天龍寺が望み、篠原が、その意を三好長逸に伝えたとある。
戦乱が広がるにつれて、天龍寺の寺領が、荒らされていくことになる。
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dapro2022-01-07 17:36:522022-08-21 09:46:28天龍寺文書 第698号 篠原長房書状沖縄の有用植物:ハイビスカス
【説明】ハイビスカスはアオイ目アオイ科フヨウ属の常緑低木で、荒地で野生化しているものもあるが、主に庭や生垣、公園などで見られる。
葉は直径5~10㎝前後、広い卵型で先が尖っており、光沢のある濃い緑色。花は直径5~15㎝前後、広い漏斗状(ろうとじょう)で縁にフリル状の可憐で大きな丸い花びらを5枚つけ、赤色である。花は毎日のように次々と咲く。
ハイビスカスは、沖縄方言で「アカバナー」とよばれ、県民に親しまれている。方言の名称のとおり、従来はハイビスカス(ブッソウゲ)といえば赤い花が一般的であったが、今では品種改良のおかげで白、桃、紫、黄色、オレンジなど、さまざまな栽培種があり、防風林等の他に食用、繊維用、観賞用などが栽培されるようになった。
現在では、ハイビスカスは沖縄を象徴する明るいイメージをもつ花であるが、「アカバナー」の他に沖縄方言で「グソーバナ」ともよばれている。“グソー”とは沖縄方言で「あの世」という意味であり、古来、“仏壇や墓前に供える花”とされていた。そのため、敷地内に植えるのを嫌がる人もいるようだ。
【特色】ハイビスカスは、古くから薬草として気管支炎や月経不順等に効果があるとされ、花や葉、根を煎じて服用してきた。湿疹や腫れ物には、花と黒砂糖を混ぜ、患部につけたり、目の腫れや痛みには花に熱湯を注ぎ、その液で目を洗浄したりとよいとされてきた。沖縄では身近にあるハイビスカスはさまざまな活用方法で昔から良く活用されていた。
【古来の活用方法】
~洗髪(シャンプー)~
①水が入ったバケツに葉や花を入れ、汚れをよく落とす。
②汚れを落とした葉や花をお湯につけ、揉み解す。
③その後すりつぶして、粘り気のある成分を抽出する。
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真由美加藤2022-01-06 14:58:032024-09-08 16:31:03沖縄の有用植物 ハイビスカス