石神遺跡
石神遺跡(明日香村飛鳥)―迎賓館―
水落遺跡とは東西大垣によって区切られるが、その北に広がるのが石神遺跡である。明治35・36年にはここから噴水石造物である須弥山石と石人像が掘り出されている。遺跡は大きくA~C期の3時期に区分されるが、A期が斉明朝、B期が天武朝、C期が藤原京期で、A期が最も建物のまとまりがある。遺跡は南限を水落遺跡との間の大垣で区切られ、ここから180m北で北限の大垣がある。遺跡の内は大きく東西ふたつのまとまりのある区画に分かれており、西区画は廊状建物で囲まれた遺跡の中心区画で南北110m、東西70mである。この中へは水落遺跡から銅管・木樋が延びてきている。一方、東区画はやや小ぶりで、南北50m、東西25m、やはり廊状建物で囲まれている。中には石組方形池もある。遺跡からは新羅土器や東国産の黒色土器なども出土しており、建物の配置や噴水石造物の存在、文献史料との対比から迎賓館的な施設と推定されている。
<引用文献>
明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の考古学図録④ 飛鳥の宮殿 ―古代都市“飛鳥”を探る―』明日香村教育委員会文化財課発行 平成17年
飛鳥水落遺跡(明日香村飛鳥)―漏刻―
飛鳥寺寺域の北西隣に水落遺跡がある。周囲に幅1.8mの石張り溝を四角く巡らした中の基壇上に4間四方の総柱建物がある。建物は掘立柱建築にみえるが、地下に礎石があり、礎石間も石で連結して、強固な建物を造っている。建物の中央には漆箱を据えた台石があり、これに向けて東から木樋や銅管によって給水している。水は建物内部で使用されたと考えられ、さらに西への排水路や北への給水路など、複雑な水路形態をしている。これらのことから、水を使った施設を内部に持つ、楼閣状建物が復原できる。また、遺跡の年代が斉明朝であることから、斉明6年(660)に記載のある漏刻である可能性が高く、建物内に水時計を設置していたと考えられる。さらにその後の調査で、この建物を囲むように廊状建物も見つかっている。
<引用文献>明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の考古学図録④ 飛鳥の宮殿 ―古代都市“飛鳥”を探る―』明日香村教育委員会文化財課発行 平成17年