大塚国際美術館
大塚国際美術館(おおつかこくさいびじゅつかん, 英語: The Otsuka Museum of Art)は、徳島県鳴門市の鳴門公園内にある、陶板複製画を中心とした美術館。運営は一般財団法人大塚美術財団。とくしま88景に選定。
1971年、大塚グループ各社の相談役だった大塚正士の下に、末弟の大塚正富(当時大塚化学技術部長、現・アース製薬特別顧問)らが訪れ、鳴門海峡に面した砂浜で採取した砂でタイルを作る事業を提案。コンクリートの原料として阪神方面に売られていた徳島の砂に付加価値を高めて販売することが、大塚や徳島県のためになるとの考えからであった。
1973年、タイルを製造する大塚オーミ陶業を大阪に設立するが、その年に第一次オイルショックが発生して景気が低迷。受注のなくなった大塚オーミ陶業の技術を生かすべく、陶板に絵を描いて美術品を作ることを思いつき、その技法を確立。後に大型美術陶板化に成功し、その技術の集大成と大塚グループの75周年記念事業として構想から、使用許可・完成まで10年の歳月をかけ、美術館の建設・設置に至った。
鳴門市を建設場所に選んだのは、第1に鳴門が大塚グループ発祥の地であること。第2に大鳴門橋や明石海峡大橋や神戸淡路鳴門自動車道が完成し、阿波踊り以外に特段集客能力のない徳島県に、人の流れをせき止める『ダム』の役目がある施設を、両橋が完成する前に建設したいと考えたからであった。
建設にあたり、所在地が瀬戸内海国立公園内であるため、建設許可だけで5年の歳月をかけた。景観維持と自然公園法により、高さ13m以内とするために、一旦山を削り取り、地下5階分の構造物を含めた巨大な建物を造ったうえで、また埋め戻すという難工事となった。
展示されている作品は、大塚オーミ陶業株式会社が開発した特殊技術によって、世界中の名画を陶器の板に原寸で焼き付けたものである。オリジナルの収集に拘るのではなく、自社技術を用いてふんだんに作品を複製・展示するという構想は、企業の文化事業としての私立美術館の中でも非常に特異な試みといえる。美術教育に資するべく、作品は古代から現代に至るまで極めて著名、重要なものばかりを展示しており、これらを原寸で鑑賞することでその良さを理解し、将来実物を現地で鑑賞して欲しい、との願いが込められている。
陶板複製画は原画と違い、風水害や火災などの災害や光による色彩の退行に非常に強く、約2,000年以上にわたってそのままの色と形で残るので、これからの文化財の記録保存のあり方に大いに貢献すると期待されている。 この特徴を生かし、大塚国際美術館では写真撮影が一定条件下で許可されていたり、直接手を触れられたり、一部作品を屋外に展示していたりする。屋外の庭園に展示されたモネの『睡蓮』などはその性質を生かした好例である。
もう一つの特徴として、今は現存しない作品(修復前の、レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』・戦火で失われたゴッホの『ひまわり』)や、戦災等で各地に分散されている作品(エル・グレコの大祭壇衝立)を復元するなどの試みも行われている。
板を組み合わせることで大型化にも対応でき、ミケランジェロの『最後の審判』も、オリジナルの展示環境(システィーナ礼拝堂)全体を再現した「システィーナ・ホール」に展示されている。このホールは2004年(平成16年)5月9日、衆議院議員の後藤田正純と水野真紀の結婚披露宴が行われ、2010年(平成22年)2月27日にも夫人が徳島出身である横綱白鵬の結婚披露宴も行われている他、2009年からは将棋の王将戦・松竹の歌舞伎なども開催されている。2018年(平成30年)12月31日には地元出身のシンガーソングライター米津玄師が第69回NHK紅白歌合戦に中継出演する際の舞台にもなった。
地域資源デジタルアーカイブ活用した探究学習の試行
探究学習とは,生徒自らが課題を設定し,解決に向けて情報を収集・整理・分析したり,周囲 の人と意見交換・協働したりしながら進めていく学習活動のことである.この探究学習では,生 徒の思考力や判断力,表現力などの育成を目的とし,高等学校では「総合的な探究の時間」など の科目において,探究学習を導入した授業が行われている.ここでは,地域資源デジタルアーカ イブを総合的な探究の時間での学習に生かし,効果的な実践したので報告する.
<キーワード> 探究学習,地域資源デジタルアーカイブ,総合的な探究の時間
1.はじめに
探究学習とは,生徒自らが課題を設定し,解決に向けて情報を収集・整理・分析したり,周囲の人と意見交換・協働したりしながら進めていく学習活動のことである.探究学習では,生徒の思考力や判断力,表現力などの育成を目的とし,小学校や中学校では「総合的な学習の時間」の科目,高等学校では「総合的な探究の時間」などの科目において,探究学習を導入した授業が行われている.
平成30年の高等学校の学習指導要領では, 総合的な学習の時間は,学校が地域や学校, 児童生徒の実態等に応じて,教科・科目等の 枠を超えた横断的・総合的な学習とすること と同時に,探究的な学習や協働的な学習とす ることが重要であるとしてきた.特に,探究 的な学習を実現するため,「1課題の設定→ 2情報の収集→3整理・分析→4まとめ・表 現」の探究のプロセスを明示し,学習活動を 発展的に繰り返していくことを重視してき た.
全国学力・学習状況調査の分析等において,総合的な学習の時間で探究のプロセスを意識した学習活動に取り組んでいる児童生徒ほど各教科の正答率が高い傾向にあること,探究的な学習活動に取り組んでいる児童生徒の割合が増えていることなどが明らかになっている.
また,総合的な学習の時間の役割はOECD が実施する生徒の学習到達度調査(PISA)に おける好成績につながったことのみならず, 学習の姿勢の改善に大きく貢献するものとし て OECD をはじめ国際的にも高く評価され
ている.そこで,高等学校においては,名称を「総合的な探究の時間」に変更し,小・中学校における総合的な学習の時間の取組を基盤とした上で,各教科・科目等の特質に応じた「見方・考え方」を総合的・統合的に働かせることに加えて,自己の在り方生き方に照らし,自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら「見方・考え方」を組み合わせて統合させ,働かせながら,自ら問いを見いだし探究する力を育成するようにしている.
2.総合的な探究の時間の目標
「総合的な探究の時間」のねらいや育成を目指す資質・能力を明確にし,その特質と目指すところが何かを端的に示したものが,以下の総合的な探究の時間の目標である.
第 1_目標 探究の見方・考え方を働かせ,横断的・総合的な学習を行うことを通して,自己の在り 方生き方を考えながら,よりよく課題を発見 し解決していくための資質・能力を次のとお り育成することを目指す. (1)探究の過程において,課題の発見と解決に必要な知識及び技能を身に付け,課題に関わる概念を形成し,探究の意義や価値を理解するようにする.
(2)実社会や実生活と自己との関わりから問 いを見いだし,自分で課題を立て,情報を 集め,整理・分析して,まとめ・表現する ことができるようにする.
(3)探究に主体的・協働的に取り組むととも に,互いのよさを生かしながら,新たな価 値を創造し,よりよい社会を実現しようとする態度を養う.
つまり,「総合的な学習の時間」を「総合的な探究の時間」に変更することにより,その目的や授業の在り方についても大きく変更することが求められている.そもそも,「探求」とは,探し求めると書くように何かを探し求め手に入れようとすることである.一方で「探究」とは,探し究めると書くように何かを探しながら究めていくことになる.特に究めるという言葉は学問を究めたり,真相を究めたりといった場合に使われる言葉で,「探求」と「探究」では目的が異なっている.
「総合的な学習の時間」と「総合的な探究の時間」の違いについて学習指導要領の解説には以下のように示している.両者の違いは(中略)「総合的な学習の時間」は,課題を解決することで自己の生き方を考えていく学びであるのに対して,「総合的な探究の時間」は,自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題を自ら発見し,解決していくような学びを展開していく.ということである.「総合的な学習の時間」が課題解決→自己の生き方の順であることに対し「総合的な探究の時間」はそれが同時であることが違いとしていえる.
3.地域資源デジタルアーカイブと探究学習
高度情報通信社会において,この世には情報があふれていると言われながら,意外に知らないのが自分の生まれ育った地域である.この地域の貴重な「文化資源」を記録し保存等を行うことを「地域資源デジタルアーカイブ」と呼んでいる.
しかし,このような地域資源デジタルアーカイブには,地域の人々の参加が必要となってくる.特に,地域の資料の収集,デジタル化には,地域の実情に応じた活動が重要であり,自分たちの身近な場でアーカイブをすべきである.
このためには,いかに地域の人々が自分たちの「文化資源」としていかに主体的に収集・整理することできるかが課題である.また,このような地域の人々や,大学,学校,社会教育施設などとの協働によるデジタルアーカイブの活動を,地域における探究的な学習の一環として捉えることが重要である.この,地域資源のデジタルアーカイブでは,自分の生まれた地域のさまざまな地域資源などをデジタルアーカイブすることにより,これまでに気付かなかったさまざまなものが,素材を通して見えるようになる.そのような意味で,この地域資源デジタルアーカイブは,このように地域のさまざまなことを再発見し,理解を深めていく上で大切な教育活動であると考えている.
4.おわりに
この地域資源デジタルアーカイブには,地域の人々の参加が必要となってくる.特に,地域の資料の収集,デジタル化には,地域の実情に応じた活動が重要で,今後,地域住民たちが身近な場で地域のデジタルアーカイブをすべきだと考えている.
このためには,地域住民自らが自分たちの「地域資源」としていかに主体的に発見・収集・整理することできるかが課題である.この度の高大連携における大学と高等学校との「共創」によるデジタルアーカイブの活動を,新しい学びの一環として捉えることは重要である.
ここでの「共創」とは,多様な立場の人たちと対話しながら,新しい価値を「共」に「創」り上げていくことである.デジタルアーカイブは,単なる記録ではなくて,研究成果,「知」を集積することがデジタルアーカイブに問われている.
あらゆる地域が地域としてのアイデンティティを確立するためにも,「知」の拠点としての地域資源デジタルアーカイブを含めた探究的なデジタルアーカイブを構築することが求められている.
これからの学びは,「競争」から「共創」の学びに着実に変化していく.これからの高校生にも課題探究という探究的な学びを,大学と高等学校が連携し,お互いに対話しながら,新しい価値を「共」に「創」り上げていきたいと考えている.
参考文献
(1) 久世均:遠隔教育特講,2022.7,岐阜女子大学
資料
① 高校における地域資源デジタルアーカイブ活用した探究学習の試行(論文)
② 高校における地域資源デジタルアーカイブ活用した探究学習の試行(プレゼン)(PDF)
③ 高校における地域資源デジタルアーカイブ活用した探究学習の試行(プレゼン)(PPT)
実践例
① 【高大連携講座】総合的な探究の時間【伊那西高等学校】
② 【高大連携講座】学校設定科目 デジタルアーカイブ【岐阜県立郡上北高等学校】
岡太神社・大瀧神社
山頂にある奥の院と山のふもとに建つ里宮からなる神社で、奥の院は「延喜式神名帳」(926年)にも記載されている。里宮の本殿と拝殿は江戸時代後期の社殿建築の粋を集めて建てられたもので、幾重にも波が寄せあうような複雑な屋根やいたるところに施された彫刻の壮麗さは圧巻。1984年(昭和59年)、その歴史的記録の確かさと建築の美しさから、国の重要文化財に指定された。岡太神社には紙の神様、川上御前が祀られている。
大瀧神社・岡太神社は、福井県越前市大滝町にある神社である。上宮(奥の院)には大瀧・岡太両神社の本殿が並んで建つが、下宮(里宮)の本殿・拝殿は両神社の共有となっていることから、2つの神社の名前が併記される。国の重要文化財指定名称は「大滝神社」である。
歴史
伝承によれば、養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒(おおちご)権現を建立したという。後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった。
岡太神社については、約1500年前、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。この伝説の姫『川上御前』を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀ったのが岡太神社である[1] 。延元2年(1337年)の足利軍の兵火で社殿が失われ、岡太神社の祭神を大瀧神社の相殿に祭った。さらに天正3年(1575年)、織田信長の一向一揆攻略の際、大瀧寺一山が兵火に遭い消失。再建時に大瀧神社の摂社として境内に祀られるようになった。
大正12年(1923年)、大蔵省印刷局抄紙部に川上御前の分霊が奉祀され、岡太神社は名実共に全国紙業界の総鎮守となった。
神社の格としては大瀧神社の方が上であるが、住民達が崇拝してきたのは川上御前であったため「大瀧神社・岡太神社」と並記していると考えられている 。
令和5年度 岐阜県私立大学地方創生推進事業
【公開講座】社会人のための準デジタルアーキビスト資格取得講座2023
1.【特別講義】デジタルアーカイブin岐阜2023 「AI時代のデジタルアーカイブ」
日 時:2024年2月11日(日) 10:00~12:00
会 場:オンライン講座(Zoomを使用)
主 催:岐阜女子大学デジタルアーカイブ研究所
後 援:デジタルアーキビスト資格認定機構、日本教育情報学会、公益財団法人学習情報研究センター
受講対象:社会人(デジタルアーカイブと教育に興味がある社会人)
趣 旨:デジタルアーカイブは機械学習をはじめとしたAI技術の基盤となるものであり、AI技術の深化により、人間の学びなどの人間の知的活動に、AIが大きな役割を果たしつつある。このAIにおける様々な処理には,デジタルアーカイブがその基礎にあり、AI時代のデジタルアーカイブは、情報の保全・活用、知識の蓄積・再利用、文化遺産の保存・伝承、予測と未来への展望といった面で多様な価値を持つ。今年のデジタルアーカイブin岐阜は、「AI時代のデジタルアーカイブ」をテーマにして、AI時代のデジタルアーカイブの在り方と、人間の学びの変革について考えます。
定 員:100名 (定員になりしだい締め切らせていただきます。)
募集期間:令和5年11月1日(水)~ 令和6年1月31日(水)
受 講 料:20,000円
プログラム:
1.「人工知能(AI)とデジタルアーカイブの現状と未来」(9:10~10:00)
澤井進(岐阜女子大学特任教授)
2.「人とAIの学習研究から考えるこれからの教育」(10:10~11:00)
益川弘如(聖心女子大学教授)
3.「AIと人間の学び」(11:10~12:00)
赤堀侃司(東京工業大学名誉教授)
コーディネータ
久世均(デジタルアーカイブ研究所長)
申し込み先
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeWLEsg0CE1TI92e4ytZOh-kCf2_TNZZ-Oma7AoQq87ln4-lQ/viewform
2.e-Learning講座
第1講 デジタルアーカイブの基礎
1.目 的
デジタルアーカイブは、「デジタル」と「アーカイブ」という言葉からできた和製英語と言われています。デジタルアーカイブとは何か? デジタルアーキビストに必要な能力は何か?ここでは、言葉の意味と発展の歴史から、基本的な考え方を理解し、今後のデジタルアーカイブの方向性を考えます。
2.学習到達目標
① デジタルアーカイブとは何か説明できる。
② デジタルアーカイブがどのように発展してきたかについて具体例をあげ説明できる。
③ デジタルアーキビストに求められている能力について具体的に説明できる。
3.課 題
① デジタルアーカイブとは何か自身の立場で説明しなさい。
② デジタルアーカイブがどのように発展してきたか説明しなさい。
③ デジタルアーキビストに求められている能力は何か自身の立場で説明しなさい。
4.プレゼン資料
→ デジタルアーカイブの基礎
5.動画資料
第2講 デジタルアーカイブ開発と活用プロセス
1.目 的
デジタルアーカイブの利用は、資料の提示や提供から始まり、課題解決、知的創造等の処理へと進みます。またデジタルアーカイブを活用し、新しい「知」の創造を求め、さらに新しい「知」と人々の経験を付加し、新たな知的活動へと発展します。ここでは、デジタルアーカイブの開発と活用プロセスについて考えます。
2.学習到達目標
①デジタルアーカイブの活用について具体例を挙げて説明できる
②資料の選定評価について説明できる。
③デジタルアーカイブのプロセスや記録方法について説明できる。
3.課 題
①デジタルアーカイブの活用について具体例を挙げて説明してください。
②資料の選定評価の課題について説明してください。
③デジタルアーカイブのプロセスや記録方法について説明してください。
4.プレゼン資料
→ デジタルアーカイブ開発と活用プロセス
5.動画資料
第3講 デジタルアーカイブの評価とメタデータ
1.目 的
デジタルアーカイブは、対象とする資料(情報資源)の分野も多岐にわたり、プロジェクト規模なども異なるため、それぞれにあわせた評価手法が求められます。そこで、本講では、デジタルアーカイブの自己点検ツールとして考案された「デジタルアーカイブアセスメントツール」の内容を把握し、その評価項目の中でも重視されているメタデータについて、記述のための国際標準、国際指針として制定されている事例から学びます。
2.学習到達目標
① 「デジタルアーカイブアセスメントツール」の内容について説明できる。
② 記述のための国際標準、国際指針などの事例について説明できる。
③ 資料(情報資源)のメタデータ記述ができる。
3.課 題
① 「デジタルアーカイブアセスメントツール」の評価項目の内、あなたが重要だと思う項目について、なぜそう思うかを含めて説明してください。
② 具体的に何か資料(情報資源)を一つ取り上げ、その資料のメタデータ記述項目を設定した上で実際の記述を行ってください。
4.プレゼン資料
→ デジタルアーカイブの評価とメタデータ
5.動画資料
第4講 デジタルアーカイブの利活用
1.目 的
デジタルアーカイブは、1990年代の初期から、過去から現在の資料をデジタル化し、次の世代への伝承と現状での利活用を目指して開発が進められてきた。デジタルアーカイブの基本は、過去~現在の資料の収集・保管、デジタル化、さらに現状での利活用と次の世代への伝承である。
過去~現在の各種資料を収集・保管し、次のように使われる。
①次世代へのデジタルコンテンツの確かな伝承
②国内外のデジタルコンテンツの流通と利活用
ここでは、図書館や博物館等におけるデジタルアーカイブの利活用について考える。
2.学習到達目標
① 図書館におけるデジタルアーカイブの実践例を具体的に説明できる。
② 博物館におけるデジタルアーカイブの実践例を具体的に説明できる。
③ デジタルアーカイブの共通利用について説明できる。
3.課 題
① 図書館におけるデジタルアーカイブの実践例を具体的に説明しなさい。
② 博物館におけるデジタルアーカイブの実践例を具体的に説明しなさい。
③ デジタルアーカイブの共通利用について説明しなさい。
4.プレゼン資料
→ デジタルアーカイブの利活用
5.動画資料
第5講 デジタルアーカイブによる地域活性化
1.目 的
知識基盤社会においてデジタルアーカイブを有効的に活用し,新たな知を創造するという本学独自の「知の増殖型サイクル」の手法により,地域課題に実践的な解決方法を確立するために,地域に開かれた地域資源デジタルアーカイブによる知の拠点形成をする。このことにより,地域課題に主体的に取り組む人材を養成する大学として,伝統文化産業の振興と新たな観光資源の発掘並びにデジタルアーカイブ研究による地方創成イノベーションの創出について具体的に考える。
2.学習到達目標
① デジタルアーカイブと地域課題解決について説明できる。
② 地方創成イノベーションの創出について具体的に説明できる。
3.課 題
① 飛騨高山匠の技デジタルアーカイブにより,地域の文化産業を振興するための方策を3つ挙げて説明しなさい。
4.プレゼン資料
→ デジタルアーカイブによる地域活性化
5.動画資料
※本映像は本学の学部の授業(情報の管理と流通)の内容の一部を利用して提供しています。
6.テキスト資料
デジタルアーカイブによる地域活性化
第6講 デジタルアーカイブと知的財産権(1)
1.目 的
デジタルアーキビストとして、アーカイブを計画し、そして資料収集し、そして構築し、そして利用許諾し、また運用していくという、こういったときに必要な権利処理について説明する。
2.学習到達目標
① デジタルアーキビストに著作権処理の能力が必要であることについて具体的に説明ができる。
② 著作者の権利について具体的に説明できる。
③ 著作権の契約書を作成できる。
3.課 題
① デジタルアーキビストに著作権処理の能力が必要であることについて具体的に説明しなさい。
② 著作者の権利について具体的に説明しなさい。
③ 著作権の契約書を作成しなさい。
4.プレゼン資料
→ デジタルアーカイブと知的財産権(1)
第7講 デジタルアーカイブと知的財産権(2)
1.目 的
著作権について、自分の立ち位置とは関係ない形で第三者的に実践の試みの良い部分と課題について理解を深め、基本的な理解を図った後に、実践の中から法律など制度的な課題について考えます
2.学習到達目標
① デジタルアーカイブの実践における著作権に関する課題について説明できる。
② 著作権のデジタルアーカイブの活用に関する課題について具体例を挙げて
説明できる。
3.課 題
1.デジタルアーカイブの実践における著作権に関する課題について説明しなさい。
2.著作権のデジタルアーカイブの活用に関する課題について具体例を挙げて説明しなさい。
4.プレゼン資料
→ デジタルアーカイブと知的財産権(2)
5.動画資料
第8講 ジャパンサーチとデジタルアーカイブ活用基盤
国立情報学研究所名誉教授 高野明彦氏
➝ プレゼン資料:ジャパンサーチとデジタルアーカイブ活用基盤
第9講 世界のデジタルアーカイブの発展とその活用
東京大学大学院情報学環 時実象一氏
➝ プレゼン資料:世界のデジタルアーカイブの発展とその活用
第10講 デジタルアーカイブと法制度の現在地点
骨董通り法律事務所パートナー弁護士 福井健策氏
➝ プレゼン資料:デジタルアーカイブと法制度の現在地点
テキスト
【テキスト】デジタルアーカイブ概論
3.準デジタルアーキビスト資格試験
■認定試験の方法
1.認定試験問題を当日に提示いたしますので、試験問題を回答いただき、当日17時(時間厳守)までに下記のメールアドレスに送付してください。
pfe01173@nifty.com
2.下記振込期限までに講座に受講料(資格試験料含む)を振り込んでください。
なお、請求書や領収書が必要な場合は、宛先を明記の上下記まで申し込んでください。
pfe01173@nifty.com (担当:久世)
■認定試験問題
試験問題は2月25日(日)当日提示いたします。
資格試験料振込口座
資格試験料については、下記の口座に振り込みをお願いいたします。
振込期限:令和6年2月29日(木)17:00(時間厳守)
銀行名 十六銀行
支店名 高富支店
預金種目 普通預金
口座番号 1526285
口座名義 学校法人華陽学園(ガッコウホウジンカヨウガクエン)
尚、請求書や領収書が必要な場合については pfe01173@nifty.com まで申し込んでください。
※準DA資格賞の発行については、講座終了後2ヶ月後となります。
資料
令和5年度 岐阜県私立大学地方創生推進事業
デジタルアーカイブin岐阜2023
「AI時代のデジタルアーカイブ」
日 時:2024年2月11日(日) 10:00~12:00
会 場:オンライン講座(Zoomを使用)
主 催:岐阜女子大学デジタルアーカイブ研究所
後 援:デジタルアーキビスト資格認定機構、日本教育情報学会、公益財団法人学習情報研究センター
受講対象:社会人(デジタルアーカイブと教育に興味がある社会人)
趣 旨:デジタルアーカイブは機械学習をはじめとしたAI技術の基盤となるものであり、AI技術の深化により、人間の学びなどの人間の知的活動に、AIが大きな役割を果たしつつある。このAIにおける様々な処理には,デジタルアーカイブがその基礎にあり、AI時代のデジタルアーカイブは、情報の保全・活用、知識の蓄積・再利用、文化遺産の保存・伝承、予測と未来への展望といった面で多様な価値を持つ。今年のデジタルアーカイブin岐阜は、「AI時代のデジタルアーカイブ」をテーマにして、AI時代のデジタルアーカイブの在り方と、人間の学びの変革について考えます。
定 員:100名 (定員になりしだい締め切らせていただきます。)
募集期間:令和5年11月1日(水)~ 令和6年1月31日(水)
受 講 料:無 料
プログラム:
1.「人工知能(AI)とデジタルアーカイブの現状と未来」(9:10~10:00)
澤井進(岐阜女子大学特任教授)
現在の人工知能(Al) とデジタルアーカイブの関係は機関車と燃料車の関係に例えることができる。現在、燃料車のデジタルアーカイブはうまく自分の燃料を利用してくれる機関車を探している。一方、現在の生成Aは有害性のない正確な学習データ、つまり民主的なデジタルアーカイブと言う燃料車を求めている。今日人工知能とデジタルアーカイブは以前よりお互いを必要としているのである。人工知能とデジタルアーカイブの両者の一体化が未来のブレイクスルーとなると考えられるのである。
今回は人工知能とデジタルアーカイブの切っても切れない関係について講演する。
1. 人工知能とデジタルアーカイブの関係
2. デジタルアーカイブの利活用
3. 生成AIの民主化(有害性のない正確性)
4. 人工知能とデジタルアーカイブが創る未来のブレイクスルー
2.「人とAIの学習研究から考えるこれからの教育」(10:10~11:00)
益川弘如(聖心女子大学教授)
3.「AIと人間の学び」(11:10~12:00)
赤堀侃司(東京工業大学名誉教授)
➝ AIと人間の学び 壁の向こうで答えているのはAIか人か? (単行本)発売日 : 2022/3/31
コーディネータ 久世均(デジタルアーカイブ研究所長)
【公開講座】社会人のための準デジタルアーキビスト資格取得講座2023 (希望者)
➝ 社会人のための準デジタルアーキビスト資格取得講座2023
参加申し込み
参加申し込みはここから ➝ デジタルアーカイブin岐阜2023
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeWLEsg0CE1TI92e4ytZOh-kCf2_TNZZ-Oma7AoQq87ln4-lQ/viewform
資料
もっと知りたい!昔の沖縄の子どもの食と道具
仲本先生が子どもころは、コンビニも冷蔵庫もない時代!
みなさんは おなかがすいたら どうしますか?
仲本先生が子どもだったころの沖縄は、家のそばにスーパーやコンビニなどはなく、家のなかには 冷蔵庫(れいぞうこ)やレンジ、ガスコンロもない時代(じだい)でした
そんな時代(じだい)の子どもたちは、どんなものを食べ、どのようにくらしていたのでしょうか
小学生向けWeb教材 「もっと知りたい!昔の沖縄の子どもの食と道具」
ねらい:昭和8年生まれの仲本先生の話を通して、
沖縄の昔の子どもの食生活や使われていた道具について知り、
生活が移り変わってきたことや、人々の暮らしの中の知恵や工夫について考える
小出城跡
【案内】 市立西春近北保育園(表記番地)の西約180mより細い道を南に200mほど行くと、城跡碑が建てられている。その手前の空家の前に駐車できる[マップコード171 247 069*78]。
西側の西城との間に堀跡の道路が続いている。主郭には城跡標柱、説明板が建てられている。南と東側に低い土塁があり、北側に空堀があり、東側下段には二重の深い空堀が残っている。
平成二年(1990年)11月1日、伊那市の史跡に指定された。
【歴史】 鎌倉時代前期、藤原鎌足の流れを汲む工藤氏の一族小井弖(こいで)氏により築城されたと云われる。
工藤氏は源氏派の有力御家人で『住 信濃国 号林二郎、子孫遂信濃人』の記述があり、早くに信濃国に住み着き、治承四年(1180年)源頼朝挙兵の折り甲斐源氏武田信義親子と共に、平家方大田切城を攻め、勝利の勲功により西春近を安堵されたと伝わっている。
工藤氏は、能綱の時、建長三年(1251年)嫡子師能と庶子宮熊わうい間に起きた所領譲りの係争や、正応元年(1288年)課役係争について鎌倉幕府の裁定を仰いだいわゆる工藤文書が5通現存している。
また建武二年(1335年)に起きた中先代の乱、暦応三年(1340年)に起きた大徳王寺城合戦、応永七年(1400年)の大塔合戦、永享十二年(1440年)結城合戦に参戦した記録がある。
享徳二年(1453年)頃、師能系の弾正忠朝能とその兄は、妹が神氏(みわし:後の諏訪氏)に嫁いだ縁で諏訪氏の依頼を受け諏訪に移住したと云われている。
戦国末期に、高遠城家来に6人の所領を得た工藤と名乗る武士がいるが、いずれも小出氏の末流と見られている。
また、尾張の国中村から出て、但馬国出石藩主となった小出甚左衛門秀政やその長子小出吉英(岸和田藩主)・次子親(園部藩主)も、ここの小出氏の末流と考えられている。『現地説明板』より(年号一部追加)。
深妙寺
感応山深妙寺は、平安時代、権現山のふもと小殿寺に権現信仰(真言宗)の寺院として開創されたと言われます。その後、山寺垣外に移りました。
伊那春近領に工藤犬房丸祐時(曽我物語)が流罪になり当山の密教に帰依し、本堂を再建されたと伝えられています。これは、当山開基 三位公 池上弥次郎入道 が伊那春近領で活躍される数十年前の出来事です。 ≪工藤犬房丸の伝承≫ 参照
この、伊那春近領を鎌倉幕府 政所重臣 三位公 池上弥次郎入道(日蓮聖人孫弟子・六老僧日朗上人直弟子・常法院日遊上人・藤原氏、工藤氏と同族)が治めら れました。三位公入道は伊那春近領の政所長官(地頭を指揮監督する役職)をなさ れました。小出(小井弖)には鎌倉幕府の出張所である政所があったといわれてい ます。
政所役人 三位公入道が統括した伊那春近領は現在の伊那市から下伊那郡松川町 に及ぶ天竜川沿いの広大かつ肥沃の地でした。ここには三位公入道に仕える、小出 氏(工藤氏)・赤須氏・飯島氏・田島氏・片桐氏・名子氏などの地頭がいました。
入道は幕政に参画されるとともに、弘安8年(1285)伊那春近領で起きた洪 水の災害復旧を成就され北条政権に信頼されました。当山はこの三位公入道により 鎌倉時代正安元年・1299年(正応元年・1288年説もある)日蓮宗に改宗さ れました。
慶長5年(1600)現在地に移り、実に700年の永きにわたり法華経の教えを弘める道場として栄えて来ました。
宮田宿本陣 旧荒井家住宅
宮田村町区の宿場町にあった伊那街道に唯一残る江戸時代の本陣を、ふれあい広場の隣接地に復元しました。
宮田宿は飯田藩主が参勤交代で江戸に向かう時、この地を宿泊地としたことや、伊那谷一の荒れ川太田切川を南に控えていたことから、伊那街道の要衝として賑わいました。
大名の宿泊施設として置かれた本陣は藩の臨時の役所や役人の休憩所としても使われました。
長野県宝 旧新井家住宅(宮田宿本陣)
指定年月日 1987年8月17日
所在地 宮田村ふれあい広場東
指定物件 母屋、座敷棟、土蔵、門
江戸時代の宿場町のほぼ中央にあった建物を、創建当時の姿に移築復元したもので、向かって右に大きな母屋、その左に門、門の奥、母屋の南に座敷棟、母屋の裏に土蔵があります。母屋が18世紀後半、座敷棟が19世紀初めに建てられたものと推定され、伊那街道では唯一、江戸時代の姿のままに残された本陣建物です。
伊那街道の始まりは、関ケ原の戦いの7年前の1593年(文禄2年)、豊臣秀吉によって飯田の地を治めるよう命ぜられた京極高知(たかとも)が道路整備へ着手してからと言われています。高知はそれまで天竜川の近くを通っていた道を西の一段高い所へ引き上げ、ほぼ一定の間隔に宿場を置きました。飯田から6番目になる宮田宿は、南に太田切川の荒れ川が控えていて、伊那街道の中でも重要な宿場の一つでした。
交通通信の基点として作られた宿場町は、両側にびっしりと家が並び、幅が狭くて奥が長い、いわゆる鰻の寝床の屋敷割で、宮田宿の場合、間口4間(約7m)位の屋敷が多かったのですが、本陣の間口は13間半(約24.5m)あります。
江戸時代の宮田村は宮田町割、宮田南割、宮田北割の3ケ村に分かれていました。各村には名主や組頭を長とする行政機構がありましたが、宿場は、問屋を長とする年寄衆によって運営され、さらにそれから独立した公営宿舎の本陣や、藩役人の日帰り出張の休憩や会合の場所であるお茶屋が設けられていたのです。新井家は本陣と、母屋の部分がお茶屋を兼ね、さらに、一時期問屋も兼ねていたそうです。
母屋と座敷棟の屋根は当時の定めに従って板葺きとなっています。伊那谷の板葺き屋根は1960年代を境に急速に姿を消し、今はもう一般の家庭では見ることができません。
この建物が移築されたあと、総合公園ふれあい広場や、宮田球場などが建設され、周辺は村民をはじめ多くの皆さんの憩いの場となりました。