自然-8 猪臥山(飛騨市)
いぶしやま・1,518.8m
高山市清見町池本と飛騨市古川町畦畑(うねばた)にまたがる。
呼び名は、「いのぶせ」、「いのふせ」、「いぶせ」、「いぶし」と4つあり、昔、猪による被害などの関わりが、各集落ごとに深かったからと言う。国土地理院では「いのぶせ」、畦畑では「いぶし」と呼ばれる。
頂上のすぐ下の平地に「山の神」の社が祀られている。そこから数分で山頂に行ける。頂上からは360度の大展望が楽しめ、乗鞍岳、御嶽山と白山の秀峰、穂高岳などの飛騨山脈、北に望む飛越国境の山々が眺望できる。秋には飛騨市街地に朝霧が広がり、雲海の眺望が知られている。
登山
高山市清見町彦谷側からは卯(う)の花街道・猪臥山トンネルの手前750mの西側駐車場が登山口。飛騨市古川町畦畑側から小鳥峠を経て林道で登る道もあるが、林道工事関係者が通るので注意を要する。待避所が少ないので、すれ違い不可能の場合はかなりバックすることを覚悟しなければならない。
コース
彦谷側登山口―1時間10分―「1,350m中間点」―50分―「1,456m地点」―30分―猪臥山 ※東に回る周回コースがあって、展望台、無線塔、下り口、彦谷側登山口に戻る。
資料
⑥自然-8 猪臥山(飛騨市)
自然-7 高屹山(久々野町)
たかたわやま
1,303.1m
久々野の河川敷公園駐車場から林道を車で行くと、林道終点に6~7台の駐車スペースがある。登山道には、大きな右折れ岩、ゴジラの背、位山三山を一望できるお立ち岩などがある。木々に覆われた最後の急峻な道を登り詰めるとふれあい広場があり、一気に視野が広がる。山頂はここからほんの少し下って登った所。下山道は別ルートで、最初は急だが、後は安全で歩きやすい。
登山適期は高峰の残雪を望める5月から7月初旬。この時期の新緑も良い。日帰り登山が可能で、地元住民に愛されている里山である。山の名称の「たわ」とは、尾根の地形がたわんでいるという意がある。山頂からは、飛騨の山々はもちろん、飛騨山脈や白山が展望できる。
西方に位山三山と呼ばれている船山・川上岳・位山を一望できる。地図等では「たかたわやま」と表示されるが、地元では昔からなぜかこの山を「たかど」と呼んできた。
高屹山は、里からの眺望の山であり、道らしい道もなく、登山対象の山ではなかった。ある年、山に登って酒を楽しむ軽登山のグループが誕生した。彼らは高屹山に自分たちで登山道を作り、久々野の活性化につなげようと決めた。
登山道の完成までには、ルート調査、地主の許可など大変であったが、メンバーに山仕事の経験があったこともあり、着手から3年目に山頂に標柱を立て、無事完成した。登山専門誌などに紹介され、登山者が増えた。
コース 河川敷公園駐車場―徒歩で50分(車で林道終点まで行くこともできる)―林道終点登山口―20分―右折れ岩―30分―ゴジラの背―30分―ふれあい広場―3分―高屹山
資料
⑥自然-7 高屹山(久々野町)
自然-6 福地山(上宝町)
ふくちやま
1,671.7m
福地山は奥飛騨温泉郷福地温泉街から約2時間半で登れる里山である。福地山は化石の山でもある。層孔虫(そうこうちゅう)などの化石を道端で見ることができる。4億年の歴史をもつ地層からは、アンモナイトが発掘されておりこの地が太古には海があったことを物語っている。
地元温泉街の住民の細やかな整備のおかげで道は大変歩きやすく、子供でも登りやすい。山頂からの眺望は北アルプスが一望できる奥飛騨隋一の展望地となっており、紅葉が色づく時期や、残雪や雪の時期にかんじきを履いて登る県外からの登山客も多い。
登山道は平成16年(2004)に「飛騨北部トレッキングルート開発研究会」が地元福地温泉(高山市奥飛騨温泉郷)の有志の協力で整備した。温泉街にある「昔ばなしの里」横に登山者用駐車場、福地温泉朝市の山側に登山口がある。登山道幅が1.5~2mあって登りやすく、コースは整備されている。県内外の登山者が訪れ、トレッキングを楽しんでいる。
「無然平(むぜんだいら)」には、「飛騨の聖人」と呼ばれ、平湯での教員の傍ら、青年団を作り、幅広い社会活動をした教育者篠原無然の石像がある。そこには「篠原無然之像。福地山山荘跡。大正十年五月此処福地一之谷山へ入山。当山荘に山籠すること幾度。天地大自然を師と崇め、日夜修行に励まれた。」と記されている。
その「無然平」を少し登ると、細い尾根道と幅広い山腹道に分かれる。ダケカンバの生える山腹道は小型重機で敷設された一定勾配で赤土の歩道であるが、滑りやすく少々歩きにくい。左から回り込んだ尾根筋の第3展望台での眺めは、活火山焼岳が目前に見えて素晴らしい。ブナ、ネズコ、ミズナラ、チシマザサなどの植生を見ながら、第3展望台から一旦鞍部に下って、乗鞍展望台を過ぎると、まもなく標柱と三角点がある山頂に出る。
コース 登山口―30分―東屋―50分―無然平―35分―第3展望台―30分―福地山
資料
⑥自然-6 福地山(上宝町)
自然-5 丸黒山
丸黒山(まるくろやま・1,956.3m)
国立乗鞍青少年交流の家から丸黒山まで2時間20分(健脚の人)で登ることができる。ゆっくり登ると3時間近くかかり、アップダウンがかなりきつい。途中、日影平山の東側・岩井谷乗越を通り、枯松平休憩所を通過する。そこから20分ほど進むと「ガンバル坂」の急坂があり、さらに「根性坂」と続く。登山口ポストから2時間20分でようやく尾根に着き、あとは山頂まで20分ほどである。
丸黒山からは千町ヶ原に行くことができるがヤブコギで道は通りにくいという。丸黒山→千町ヶ原→乗鞍岳・高天ヶ原、剣ヶ峰へと通じ、千町ヶ原で高山市朝日町青屋からの道と合流する。
青少年交流の家の登山研修で集団登山がなされ、登山道は整備されている。
コース 青少年交流の家―1時間20分<岩井谷乗越>―枯松平休憩所―1時間<ガンバル坂、根性坂、尾根>―丸黒山
日影平山(ひかげだいらやま・1,595.3m)
昭和50年(1975)に設立された青年の家(現・国立乗鞍青少年交流の家)から登る道と、飛騨高山スキー場のリフト終点最頂部(かぶと山・1,545m)から尾根伝いに登る道があったが、整備されておらず、わかりにくい。青少年交流の家から丸黒山に登る登山道に入った方がわかりやすく、青少年交流の家裏側の登山道入口から30分ほどで着く。
山頂の眺望はないが、麓の日影平は「飛騨乗鞍高原」と呼ばれ、飛騨高山スキー場、トレッキングコースがある。スキー場リフトは東北東方向の青少年交流の家近くに上るものと、東南東方向の「かぶと山」に上るものがある。
コース 青少年交流の家―20分―日影峠―5分―日影平山
資料
⑥自然-5 丸黒山
自然-4 川上岳(かおれだけ・一之宮町)
川上と書いてカオレと読むのはまず難しい。飛騨では沢上をソウレという読みかたがある。川上岳は位山、船山とともに「位山三山」のひとつに呼ばれる。川上岳は三山の中でアクセスがしにくい点を除けば、飛騨一帯を一望できる素晴らしい眺望が待っている。サラサドウダンの咲く6月や、それらが山頂部で紅葉する秋の登山には多くのハイカーで賑わう。位山との縦走路は、「天空の遊歩道」と呼ばれトレイルラン大会が行われている。
<位山三山の川上岳にまつわる民話>
神代の昔、飛騨の中央の位山と、船山、川上岳にはそれぞれ神様がござった。位山は力強い男神様、その東隣と西隣の船山、川上岳は美しい女神様やった。二人の女神さまは、それぞれ位山の男神様に結婚を申し込んだのやけど、どちらも決めがたく、男神様はこまってまった。
そこで、男神様は二人の女神様に提案したんやと。「満月の晩、月が位山の上にかかったのを合図に、私のところに来てくれた方をお嫁さんにしましょう」二人の女神さまはたいそう張り切った。
満月の晩、東側の船山では早々に月が昇るのが見えた。船山の女神さまはさっそく化粧をはじめたが、なかなか位山に向かっていかん。いらいらいしながら待ってござったと。
一方、西の川上岳からは位山が邪魔してなかなか月が見えなんだ。そわそわしておると、ぽっかり昇ったばかりの月がもう位山の上にかかったように見えたもんで、慌てて男神様の元へ走っていった。
船山の女神様が待ちくたびれておった頃、位山では男神様と川上岳の女神様が手と手を取り合っておったんやさ。悔しがった船山の女神様は、位山との間に無数河川の谷を作って行き来を経ってしまわれた。
位山と川上岳は仲良く肩を並べ、子どもがたくさん生まれた。満月の晩、川上岳を見ると頂上の草原で、神様の子どもが遊ぶ様子が、うさぎが跳ねているように見えたもんで、里では「うさぎのばんばん(馬場)」と呼んだという。
出典:『飛騨の民話-新版日本の民話15-』 江馬三枝子編 未来社
資料
⑥自然-4 川上岳(かおれだけ・一之宮町)
自然-3 五色ケ原・シラビソコース(丹生川町)
コースは出合い小屋を起点に比較的なだらかな谷間を前半は登り後半は下って時計回りに一周して出合い小屋に戻る。一番標高が低い布引滝が1360m、最高地点のシラベ沢口が1640mで高低差は約280m。植生の垂直分布では本来なら山地帯上部でブナ、ミズナラを中心とした夏緑広葉樹が生息するような標高だが、コース全体でシラビソ、オオシラビソ中心の亜高山性の針葉樹林が広がるのは環境の厳しさによる。
このコースでは季節や降水によって満水と枯渇を繰り返す不思議な4つの池、渇水期にもごうごうと水量豊富な沢上沢。湧き水を集め苔生した岩の間を軽やかに流れるシラベ沢など乗鞍岳の恵みが織りなす変化に富んだ水風景が印象的である。
コース最期には轟音を響かせ流れ落ちる横手滝と、伏流水が崖にかかってそのまま滝になる姿が圧倒的な存在感を持つ布引滝が迫力ある景観を見せてくれる。
五色ヶ原の森の開設にあたっては、自然を破壊して利用するのではなく、自然の循環の中で持続的な保護と利用の両立が図られる仕組みを目指し、横浜国立大学の宮脇昭名誉教授の指導のもと、「元手を食いつぶさず、利息で食いつなぐ」をコンセプトに、入念な植生調査やルート調査を行った。また、整備にあたっては偽木やコンクリートなどを使用せず、現地の倒木や石により整備した歩道や、マイクロ水力発電で発電した電気を使用し、汚水はバイオマス浄化槽で処理し、一切外部に排出しないトイレを備えた山小屋など、自然環境への負荷を最小限に留める配慮を行っている。
シラビソコースの出発地点は案内センターから車で30分ほど走った山の中に建つ出合い小屋。途中車止めのゲートを抜けるとその先は一般車両進入禁止で、その日のツアー参加者だけが入山できる五色ヶ原の広大な森が広がる。