【研究】デジタルアーカイブの普通教科「情報」への展開
1.概要
探究学習とは、生徒自らが課題を設定し、解決に向けて情報を収集・整理・分析したり、周囲の人と意見交換・協働したりしながら進めていく学習活動のことです。探究学習では、生徒の思考力や判断力、表現力などの育成を目的としている。小学校や中学校では「総合的な学習の時間」の科目、高等学校では「総合的な探究の時間」などの科目において、探究学習を導入した授業が行われている。
平成30年の高等学校の学習指導要領では、 総合的な学習の時間は,学校が地域や学校,児童生徒の実態等に応じて,教科・科目等の枠を超えた横断的・総合的な学習とすることと同時に,探究的な学習や協働的な学習とすることが重要であるとしてきた。特に,探究的な学習を実現するため,「①課題の設定→②情報の収集→③整理・分析→④まとめ・表現」の探究のプロセスを明示し,学習活動を発展的に繰り返していくことを重視してきた。全国学力・学習状況調査の分析等において,総合的な学習の時間で探究のプロセスを意識した学習活動に取り組んでいる児童生徒ほど各教科の正答率が高い傾向にあること,探究的な学習活動に取り組んでいる児童生徒の割合が増えていることなどが明らかになっている。
また,総合的な学習の時間の役割はOECD が実施する生徒の学習到達度調査(PISA)における好成績につながったことのみならず,学習の姿勢の改善に大きく貢献するものとして OECD をはじめ国際的に高く評価されている。
そこで、 高等学校においては,名称を「総合的な探究の時間」に変更し,小・中学校における総合的な学習の時間の取組を基盤とした上で,各教科・科目等の特質に応じた「見方・考え方」を総合的・統合的に働かせることに加えて,自己の在り方生き方に照らし,自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら「見方・考え方」を組み合わせて統合させ,働かせながら,自ら問いを見いだし探究する力を育成するようにした。
総合的な探究の時間のねらいや育成を目指す資質・能力を明確にし,その特質と目指すところが何かを端的に示したものが,以下の総合的な探究の時間の目標である。
第 1 目標
探究の見方・考え方を働かせ,横断的・総合的な学習を行うことを通して,自己の在り方生き方を考えながら,よりよく課題を発見し解決していくための資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)探究の過程において,課題の発見と解決に必要な知識及び技能を身に付け,課題に関わる概念を形成し,探究の意義や価値を理解するようにする。
(2)実社会や実生活と自己との関わりから問いを見いだし,自分で課題を立て,情報を集め,整理・分析して,まとめ・表現することができるようにする。
(3)探究に主体的・協働的に取り組むとともに,互いのよさを生かしながら,新たな価値を創造し,よりよい社会を実現しようとする態度を養う。
つまり、総合的な学習の時間を総合的な探究の時間に変更することにより、その目的や授業の在り方についても大きく変更することが求められている。そもそも、「探求」とは、探し求めると書くように何かを探し求め手に入れようとすることです。一方で「探究」とは、探し究めると書くように何かを探しながら究めていくことになります。特に究めるという言葉は学問を究めたり、真相を究めたりといった場合に使われる言葉で、「探求」と「探究」では目的が異なっている。
つまり、「総合的な学習の時間」と「総合的な探究の時間」の違い学習指導要領の総合的な探究の時間の解説には以下のような記載がある。
両者の違いは(中略)総合的な学習の時間は、課題を解決することで自己の生き方を考えていく学びであるのに対して、総合的な探究の時間は、自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題を自ら発見し、解決していくような学びを展開していく。ということである。
つまり、総合的な学習の時間が課題解決→自己の生き方の順であることに対し総合的な探究の時間はそれが同時であることが違いとしていえる。
デジタルアーカイブの普通教科「情報」への展開
日本における高等学校で「普通教科情報」という科目が設けられたことに関する弊害について考えてみます。情報教育の重要性を認識しつつも、いくつかの潜在的な問題点が挙げられます。
1. 教員の専門知識と研修不足
情報科目を教える教員が十分な専門知識や技術を持っていない場合、教育の質が低下する恐れがあります。特に、新しい科目導入初期には、教員の研修や再教育が追いつかないことが考えられます。
2. カリキュラムの過密化
新しい科目を追加することで、既存のカリキュラムがさらに過密化する可能性があります。これにより、生徒や教員の負担が増加し、他の重要な科目の学習時間が減少するリスクがあります。
3. 資源の不均衡
情報科目に必要なハードウェアやソフトウェアなどの教育リソースが、学校間で均等に整備されない可能性があります。特に、地方の学校や資金に余裕のない学校では、最新の技術を取り入れることが難しい場合があります。
4. 生徒間の格差
情報技術へのアクセスや前提知識に関して、生徒間で格差が生じる可能性があります。家庭環境や地域差によって、生徒が持つ情報リテラシーのレベルに大きな違いがある場合、公平な教育を実現するのが難しくなります。
5. 教育内容の急速な変化
情報技術の進歩は非常に速く、教育内容が時代遅れになるリスクがあります。カリキュラムの柔軟な更新が求められる一方で、それに追随するための制度や体制が整っていない場合、教育内容が現実の技術や社会のニーズと乖離する可能性があります。
6. 他科目との連携不足
情報科目が他の教科と連携せず、孤立した存在になるリスクもあります。他の教科との横断的な学びが重要であるにもかかわらず、それが十分に実現されない場合、情報教育の効果が限定的になる可能性があります。
これらの問題点を踏まえつつ、適切な対応策を講じることで、普通教科情報の導入が効果的に行われるよう努めることが重要です。例えば、教員の専門性向上のための研修プログラムの充実や、教育リソースの均等な配分を図るための政策が求められます。また、生徒間の格差を解消するためのサポート体制の強化も必要です。
「普通教科情報」が日本の高等学校に導入されたことにより、情報科目を嫌う学生が増えたかどうかについての具体的なデータや調査結果は現時点では十分に公開されていないため、確定的なことは言えません。ただし、いくつかの可能性と要因について考察することはできます。
1. 新しい科目への抵抗
新しい科目が導入される際、学生は未知の内容に対して抵抗感を抱くことがあります。特に、情報科目に対して興味や関心を持たない学生は、「難しい」「自分には向いていない」と感じるかもしれません。
2. 教え方の問題
情報科目を担当する教員の指導力や教え方によって、学生の興味が大きく影響されることがあります。教員が効果的な授業を行えない場合や、教員自身が情報技術に不慣れな場合、学生のモチベーションが低下する可能性があります。
3. 教材やカリキュラムの内容
情報科目の教材やカリキュラムが難解すぎたり、実生活との関連性が薄いと感じられたりすると、学生は興味を失いやすくなります。特に、プログラミングやデータサイエンスなどの内容が難しく感じられる場合、学生が「情報嫌い」になる可能性があります。
4. 試験や評価方法
評価方法が厳しすぎたり、一部の学生にとって不公平に感じられる場合も、情報科目に対するネガティブな感情が生まれる原因となります。例えば、試験の内容が難解である場合、学生はプレッシャーを感じ、情報科目を嫌うようになるかもしれません。
5. 既存の興味との競合
学生の興味が他の科目や活動に集中している場合、新しい情報科目に対する関心が薄れることがあります。例えば、文系科目やスポーツに強い関心を持つ学生にとって、情報科目は「必ずしも必要ではない」と感じられるかもしれません。
これらの要因が組み合わさることで、一部の学生が情報科目を嫌う可能性はあります。しかし、逆に、適切な指導法や興味を引く教材が提供されれば、情報科目への関心が高まることも十分に期待できます。教育現場では、学生一人ひとりのニーズや関心に応じた柔軟な対応が求められます。
教員の専門性向上: 情報科目を教える教員に対する研修を充実させる。
魅力的な教材開発: 学生が興味を持つような実践的で魅力的な教材を提供する。
柔軟な評価方法: 学生の多様な学びを評価できる柔軟な評価方法を導入する。
カリキュラムの調整: 学生の興味や関心に応じたカリキュラムの調整を行う。
これらの対策を講じることで、情報科目への嫌悪感を軽減し、より多くの学生が情報技術に興味を持つようになることが期待されます。
「普通教科情報」が理科系に偏っており、文科系の生徒にとって難しいと感じられる可能性はあります。以下にその理由と対策を挙げます。
技術的な内容の多さ
プログラミングやアルゴリズム、データベース、ネットワークなどの内容は、理科系の生徒にとっては興味深いかもしれませんが、文科系の生徒にとっては馴染みがなく、難解に感じられることがあります。
数理的な思考の要求
情報科目では論理的思考や数理的なアプローチが重要視されます。文科系の生徒にとっては、これらの思考方法が慣れないため、ハードルが高く感じられることがあります。
既存の興味とのギャップ
文科系の生徒は文学や歴史、社会学などに強い興味を持っていることが多く、情報科目の内容がその興味と大きく異なる場合、モチベーションの低下が懸念されます。
カリキュラムの多様化
情報科目のカリキュラムを多様化し、文科系の生徒にも関心を持たせる内容を取り入れることが重要です。例えば、デジタルリテラシー、メディアリテラシー、情報倫理など、文科系の生徒にも関連性のあるトピックを強化することが考えられます。
実生活との関連付け
情報技術がどのように実生活や社会に応用されるかを具体例を通じて示すことで、文科系の生徒にも興味を持たせることができます。例えば、デジタルアーカイブの活用やソーシャルメディアの影響など、身近なテーマを取り上げることが効果的です。
プロジェクトベースの学習
文科系の生徒が取り組みやすいプロジェクトベースの学習を導入することで、実践的なスキルを身に付けながら学ぶことができます。例えば、デジタルストーリーテリングのプロジェクトや、社会問題をデータで分析するプロジェクトなどが考えられます。
協力的な学習環境の提供
理科系の生徒と文科系の生徒が協力して学ぶ環境を整えることで、お互いの強みを活かし合いながら学ぶことができます。グループワークやペアプログラミングなどを通じて、異なる背景を持つ生徒同士の交流を促進することが重要です。
まとめ
「普通教科情報」が理科系に偏りがちで、文科系の生徒にとって難しいと感じられる場合があります。しかし、カリキュラムの多様化や実生活との関連付け、プロジェクトベースの学習などを取り入れることで、文科系の生徒にも興味を持たせ、学びやすくすることが可能です。教育現場では、生徒一人ひとりのニーズや関心に応じた柔軟な対応が求められます。
普通教科情報に「デジタルアーカイブ」を導入することは、非常に有益な取り組みとなる可能性があります。以下にその理由と導入のメリットを挙げます。
理由とメリット
実生活との関連性
デジタルアーカイブは、文化財や歴史的資料の保存・活用に関わるため、実生活や社会と深く関連しています。これにより、文科系の生徒も興味を持ちやすくなります。
文理融合の教育
デジタルアーカイブの作成や管理には、情報技術だけでなく、歴史や文化、社会学などの知識も必要です。これにより、文系と理系の学びを融合させることができ、総合的な教育が可能となります。
スキルの多様性
デジタルアーカイブには、データのデジタル化、データベース管理、メタデータの付与、ユーザーインターフェースの設計など、多様なスキルが求められます。これにより、学生は幅広いスキルセットを習得できます。
プロジェクトベースの学習
デジタルアーカイブのプロジェクトは、実践的で魅力的なプロジェクトベースの学習の題材となります。学生は実際のアーカイブ資料を扱いながら、チームで協力してプロジェクトを進めることができます。
社会貢献の意識
デジタルアーカイブは、文化財の保護や情報の公開・共有に貢献する活動です。これにより、学生は社会貢献の意識を持ち、情報技術を社会に役立てる方法を学ぶことができます。
導入の具体例
歴史的資料のデジタル化
地元の歴史的資料や学校の歴史資料をデジタル化するプロジェクトを実施します。これにより、学生はスキャニング技術や画像処理の基本を学ぶことができます。
メタデータの付与と管理
デジタル化された資料にメタデータを付与することで、データベース管理の基本を学びます。これには、データベース設計やSQLの基本も含まれます。
ユーザーインターフェースの設計
デジタルアーカイブのユーザーインターフェースを設計・開発することで、ウェブデザインやユーザーエクスペリエンス(UX)の基本を学びます。これには、HTMLやCSS、JavaScriptの基本も含まれます。
デジタルアーカイブの公開と普及
作成したデジタルアーカイブを一般公開し、地域社会や学校コミュニティに役立てることで、情報の共有と普及の重要性を学びます。
まとめ
「デジタルアーカイブ」を普通教科情報に導入することは、文理融合の教育を推進し、生徒に多様なスキルを身につけさせる有効な方法です。実生活との関連性が高く、プロジェクトベースの学習にも適しているため、生徒の興味を引きやすく、学習意欲の向上にもつながるでしょう。
2.プレゼン資料
3.動画資料
【研究】教育DX時代における教育リソース並びにe-Learningの構成(2)
教育DX(Digital Transformation)時代における“新たな学び”とは,教師がデジタル技術を活用し,学びのあり方やカリキュラムを革新させると同時に,教職員の業務や組織,プロセス,学校文化を革新し,時代に対応した教育を確立することである.
また,学びという側面から考えてみると教育DXの目的は,「個別最適な学びという“新たな学び”の実現」である.20世紀の学習観は,行動主義・認知主義の学習観を採用していた.しかし,21世紀に入り,学習観は「主体的・対話的な深い学びの実現」という構成主義・社会構成主義の学習観に移行した.この変化から分かるように,教育が「全員に同じ教育」から「個々が持つ能力を最大限活かす教育」に変化している.また,デジタルツールを学びに活用することで,さらなるクリエイティブな学びの実現もDX時代における“新たな学び”の目的とされている.ここでは,これらの教育のDX時代における “e-Learningの構成”の在り方について考える.
<キーワード>教育DX,GIGAスクール構想,e-Learningシステム,教育リソース
1.はじめに
「DX(Digital Transformation)」は,2004年にスウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授によって提唱された概念である.その内容は「進化し続けるテクノロジーが人々の生活を豊かにしていく」というもので,“進化したデジタル技術を浸透させることで人々の生活をより良いものへと変革すること”と解釈できる.
ただし,教育DXが及ぼすのは単なる「変革」ではなく,デジタル技術による破壊的な変革を意味する「デジタル・ディスラプション」.すなわち,既存の価値観や枠組みを根底から覆すような革新的なイノベーションをもたらすものであると捉えられている.
文部科学省も,この教育DX時代に対応して令和2年12月23日に文部科学省デジタル化推進本部から「文部科学省におけるデジタル化推進プラン」を報告している.ここでは,「・・・ポスト・コロナ期のニューノーマルに的確に対応していくために必要なDXに係る取組を早急かつ一体的に推進していかなければならない局面を迎えている.」とし,次のように4つの具体的な方針を掲げている.
①GIGA(Global and Innovation Gateway for All)スクール構想による1人1台端末の活用をはじめとした学校 教育の充実
②大学におけるデジタル活用の推進
③生涯学習・社会教育におけるデジタル化の推進
④教育データの利活用による,個人の学び,教師の指導・支援の充実, EBPM等の推進
特に,①のGIGAスクール構想については,令和3年3月12日の「GIGAスクール構想の下で整備された1人1台端末の積極的な利活用等について(通知)」において,「文部科学省では,Society 5.0 時代を生きる全ての子供たちの可能性を引き出す個別最適な学びと協働的な学びを実現するためには,学校現場における ICT の積極的な活用が不可欠との観点から「GIGA スクール構想」を推進しているところであり,関係各位の御尽力により,本年4月から,全国のほとんどの義務教育段階の学校において,児童生徒の「1人1台端末」及び「高速大容量の通信環境」の下での新しい学びが本格的にスタートする見込みとなっている.」と述べている.また,“新たな学び”について,文部科学大臣がメッセージで,「1人1台端末環境は,もはや令和の時代における学校の「スタンダード」であり,特別なことではない.これまでの我が国の 150 年に及ぶ教育実践の蓄積の上に,最先端の ICT 教育を取り入れ,これまでの実践と ICT とのベストミックスを図っていくことにより,これからの学校教育は劇的に変わる.この“新たな学び”の技術革新は,多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学びや創造性を育む学びにも寄与するものであり,特別な支援が必要な子供たちの可能性も大きく広げるものである.」と子供たち一人一人に個別最適化され,創造性を育む教育 ICT 環境の実現を求めている.ここでは,子供たち一人一人に個別最適化され,創造性を育む学びとは何か,その実現のための“新たな学び”とはどのような学びで,従来の学びとどのように異なるのかについて考える.
2.教育DX時代における新たな学び
教育DX(Digital Transformation)時代における“新たな学び”とは,教師がデジタル技術を活用し,学びのあり方やカリキュラムを革新させると同時に,教職員の業務や組織,プロセス,学校文化を革新し,時代に対応した教育を確立することである.
また,学びという側面から考えてみると教育DXの目的は,「個別最適な学びという“新たな学び”の実現」である.20世紀の学習観は,行動主義・認知主義の学習観を採用していた.しかし,21世紀に入り,学習観は「主体的・対話的な深い学びの実現」という構成主義・社会構成主義の学習観に移行した.
この変化から分かるように,教育が「全員に同じ教育」から「個々が持つ能力を最大限活かす教育」に変化している.また,デジタルツールを学びに活用することで,さらなるクリエイティブな学びの実現もDX時代における“新たな学び”の目的とされている.
政府が設置する教育再生実行会議が2021年6月3日に発表した第12次提言は,教育のデジタルトランスフォーメーション(DX)を鮮明に打ち出した.この提言「ポスト・コロナ期における新たな学びの在り方について」の中で「データ駆動型の教育への転換」が必要とし,教育データの利活用や対面授業とオンライン授業のハイブリッド化などを促している.
ここでは,これらの教育のDX時代における “新たな学びにおけるe-Learningの構成”の在り方について述べる.
3.e-Learningという学習
e-Learningのイメージはどのようなものであるか?2000年頃にe-Learningブームが起きて,人材育成や各種講座にe-Learningに期待したが,長くe-Learningのブームは続かなかった.
あれから20年経過し,e-Learningはずいぶん定着したが,ただ単に垂れ流し型のe-Learningではなく,e-Learningと対面授業やオンライン授業を組み合わせたハイブリット型授業が一般的となった.
香取(2001)によるとe-Learningは,ただ単にe-Learningでの“研修で学ぶ”のみではなくて,“情報で学ぶ”,“経験して学ぶ”,“仲間から学ぶ”を取り入れたより幅の広いものだと捉えている.
ローゼンバーグ(2002)は,“情報で学ぶ”とは,e-Learningの両輪として,オンライン研修とナレッジマネジメントシステム(KMS)の2つを重視したe-Learning論を展開している.
また,“経験して学ぶ”とは,ゲリー(Gery.1991)によると,他人からの最小限のサポートで,高いレベルの職務パフォーマンスを可能にするための,統合された情報へのオンデマンドアクセス・道具・方法を提供する電子的業務遂行支援システム(EPSS)を提唱している.
“仲間から学ぶ”は,仲間から学ぶコミュニティであった.職場での学習(ワークプレースワーキング),あるいはインフォーマル学習などの用語で,“仲間から学ぶ”機能に注目されている.
ローゼンバーグ(Rosenberg.2006)は,e-Learningを再定義し,「e-Learningとは豊かな学習環境を創造し届けるためのインターネット技術の利用であり,広範囲のインストラクションと教育リソースとソリューションが含まれる.その目的は,個人と組織のパフォーマンスを高めることにある」と言っている.
e-Learningの目指す方向は,「教えない」授業であり,その目的は,教えなくても自分で学ぶ人を育てることである.鈴木(2015)は,研修設計マニュアルで,教えない研修への提案として次の5点を挙げている.
(1)子供扱いせずに大人の学びを支援するためのアンドラゴジーを採用する.
(2)研修ではなく自己啓発とOJTを能力開発の基礎と位置付ける.
(3)集合研修でもバラバラな課題に取り組む時間を設ける.
(4)熟達化に応じて,「教えない」割合を増やす.
(5)成長する学びに誘うきっかけとなる研修を考える.
つまり,教えない授業を実現するためには,自律的な学習者となることが重要であり,自律的な学習者であれば自律的なオンライン授業が実現する.ここでは,自律的なオンライン授業の分析と設計について考える.
4.自律的なオンライン授業
授業の目的は「教えること」ではない.それは学習者が「自ら学ぶ」ことを手助けし,学習者に「行動変容」が起こることである.
「教えない」授業が主体的な学び手を前提として,よりフレキシブルな学習環境を提供すると共に,成人学習学の原則を踏まえる必要がある.
ノールズ(M, Knowles,1980)は,『成人教育の現代的実践 ペダゴジーからアンドラゴジーへ』により,ノールズが良い成人教育者か否かを判断する方法として引用した成人教育プログラムによって開発された以下の6つの判断基準を提唱している.
①指導者は,学習内容と技能に関する知識を身につけているだけでなく,そこで成功した実践者でなければならない.
②指導者は,その学習内容に対して,またそれを他者に教えることに対して,情熱的であるべきである.
③指導者は,人びとに対して,理解と寛容の態度をもつ(あるいはそれらを学ぶことができる人間である)べきである.彼らは,親しみやすさ,ユーモア,謙虚さ,そして人々に対する興味・関心といったパーソナリティ特性をも身に付けているべきである.これらは,成人を指導する上で効果的である.
④指導者は,教授法に関して,創造的に考えるべきである.彼らは,変化しつづける成人のニーズや関心に対応するために,新しい方法を進んで試みるべきである.
また,事実を提示することよりも個人の成長により関心を示すべきである.
⑤地域社会や職業集団における地位,過去の教育経験など一般的に求められるものは,上記の特性と適合したときのみ意味をもつのである.
⑥指導者は,成人が,学習者としては子供とは異なっているという考えに,関心を示すべきである.また,成人の指導に関する現職訓練のプログラムに参加できることに対して積極的に喜びを表現すべきである
また,M.ノールズは,成人学習のための7つの原理を報告している.
1)雰囲気作り
2)相互的計画化
3)学習ニーズの自己診断
4)学習速度のコントロール
5)学習資源の見つけだし
6)教師の支持的な役割
7)学習結果の自己評価
さらに,成⼈学習者の特徴として次の3つをあげている.
• 自己決定学習ができる
• 生活経験が豊富である
• 実用重視である
1つ目の特徴は,自己決定学習に示されるように,まず何を学ぶかを自分が決めるということである.大人になるとフォーマル・ラーニング,つまり学校教育の枠組みがないので,そこにおいては自分でこれを学びたいと決心して何かを学ぶという行為ができる.従って自己決定学習ができる.
2つ目の特徴は,生活経験が豊富であるということである.つまり人生上の経験が学習のための資源になりうるということである.これも子供の学習とは大きく違う点である.大人は,いろいろな人生上の体験が,今学んでいることとどういう関係にあるのかを考えることができる.いわゆる机上の空論(理論だけ学んで実際には使えない)というのは起こりにくい.理論を学べば自分の体験からどういうふうに継承されるか,照らし合わせて「ここは理論的に説明できるけれどここは少し違うな」というような判断ができる.このようにして体験そのものが理論のための資源になる.
3つ目の特徴は,実用重視ということである.もともと自己決定学習で何を学ぶかという時に,自分のニーズが判断基準となる.今,目前に何か学ぶことがあるとすれば,それが自分の人生や仕事上何か役に立つのかということで判断する.従って現場の問題を解決することができるかどうかで学んだり学ばなかったりする.つまり実用重視の判断をするということである.
5.授業の効果分析
(1)授業の効果測定
授業によっては,例えば「知識習得」や「スキル開発」などは,ある程度効果を測定しやすいが,「意識変革」や「行動革新」「価値観醸成」といったものは,効果が抽象的になりがちで効果測定しにくい.
最近の授業では,知識やスキルの習得よりも,意識変革・行動革新を促して成果を追求するものが増えてきている.教師は,効果測定しにくい授業で成果を出さなければならないというジレンマに陥る.企画力,論理的思考,戦略思考,創造性,意識変革,モチベーション,リーダーシップといった内容を扱った授業は,効果測定が極めて難しい.
知識習得を目的とした授業であれば,授業前後にテストを実施し,結果を比較することで効果の測定が可能である.しかし,例えば論理的思考等の効果測定となると定量的に測ることが難しく,また,いつ効果が表れるのかも分からない.このような定性的な効果をどのようにして測定するべきか今後の重要な課題になってくる.
授業の効果が上がらない要因は以下のようになる.
①授業の目的やねらいを明確にしていない
②効果測定として何を測るのか決めていない
③誰がいつ測定するか決めていない
(2)授業の効果測定のポイント
①授業の目的,学習者の行動変容を評価する
②評価することが目的ではなく,評価するに値する結果を出すことが目的
③学校の視点と教員の視点から授業を見直していく機会と捉える
④教育を通じて学校を成長させるツールと考える
⑤学習者を望ましい方向にマネジメントするために効果測定をする
授業を実施する前に授業の目的を明確にし,具体的な学習到達目標を立てなければ,効果測定はできない.まず,測定可能な学習到達目標の設定が大切である.
そして,カリキュラム・教材を検討し,授業を実施する.授業後に学んだスキルが,社会でどのように活用され,当初の学習到達目標が達成されたか,改善されたのかを測定するというステップを踏むことが重要である.
6.おわりに
児童生徒一人一台コンピュータを実現することで,これまでの我が国の教育実践と最先端のICTのベストミックスを図り,教師・児童生徒の力を最大限に引き出す.災害や感染症の発生等による学校の臨時休業等の緊急時における,児童生徒の学びの保障の観点からも,ICTを効果的にフル活用することが重要である.
GIGAスクール構想が推し進められた背景は,日本の学校のICT環境整備の遅れだった.GIGAスクール構想の発表当初,教育用コンピュータ1台当たりの児童生徒数は全国平均で5.4人/台と1人1台には遠く及ばず,地域間格差も大きかった.また,その当時は世界的に見ても日本の学校におけるICT活用は遅れており,34カ国の先進諸国で構成されているOECDの中で,「学校の授業におけるデジタル機器の使用時間が最下位」という結果になっていた.こうした状況を打破するために,政府は校内通信ネットワークの整備と児童生徒1人1台端末の整備に補助金制度を導入し,GIGAスクール構想を推し進めることになった.
今後は授業や自宅学習での有効な利活用を進める,それを支える教員のスキルを向上させる,よりリッチなコンテンツを作るなど,端末や通信環境などのハードを活用したソフト側の高度化を進めることで,より質の高い教育が実現される.
生徒一人一人に端末を持たせることで,子供が互いの考えをリアルタイムで共有でき,双方向での意見交換が活発になると期待される.生徒どうしのみならず教員と生徒のコミュニケーションも行えるため,教員が生徒の学習状況や反応をより深く知ることができる.
従来の一斉型の授業では,手を挙げた子供だけが回答や意見を発表していたため,自ら表現できない子供も多かったが,GIGAスクール構想では,全ての子供の意見が情報端末を活用して共有されるなどして,コミュニケーションを活性化させることが期待される.
また,学びの機会は授業中の教員と生徒間でのコミュニケーション以外からも得ることができる.例えば,整備された端末を活用して子供たちが興味を持ったことを調べたり,写真や動画などでアウトプットしたり友達どうしで共有したりする過程で,創造性を育む学びにつながるとも言える.
プレゼン資料
1.教育DX時代における教育リソース並びにe-Learningの構成(2)(pptx版)
2.教育DX時代における教育リソース並びにe-Learningの構成(2)(PDF版)
デジタル・フュージョン・ラーニング
教育DX(Digital Transformation)時代における“デジタル・フュージョン・ラーニング(Digital Fusion Learning)”とは、教師がデジタル技術を活用し、学びのあり方やカリキュラムを革新させると同時に、教職員の業務や組織、プロセス、学校文化を革新し、時代に対応した教育を確立することである。
また、学びという側面から考えてみると教育DXの目的は、「個別最適な学びという“新たな学び”の実現」である。20世紀の学習観は、行動主義・認知主義の学習観を採用していた。しかし、21世紀に入り、学習観は「主体的・対話的な深い学びの実現」という構成主義・社会構成主義の学習観に移行した。この変化から分かるように、教育が「全員に同じ教育」から「個々が持つ能力を最大限活かす教育」に変化している。ここでは、これらの教育のDX時代におけるデジタル・フュージョン・ラーニングについて考える。
■ デジタル・フュージョン・ラーニングとは
デジタル・フュージョン・ラーニングは、伝統的な学習方法とデジタル技術を融合した新しい学習アプローチである。このアプローチでは、学習者がデジタルツールやオンラインリソースを活用しながら、対面授業や対話型の学習体験を組み合わせることで、より効果的な学びを提供することができる。
また、デジタル技術を活用することで、学習者はより柔軟な学習スタイルを選択し、自分のペースで学習を進めることができ、またデジタルツールを活用することで、学習者同士や教師とのコミュニケーションが促進され、より豊かな学習体験が可能となる。
このように、デジタル・フュージョン・ラーニングは、伝統的な学習方法とデジタル技術を融合させることで、より効果的・効率的で魅力的な学習環境を提供する新たな学習アプローチである。
■ 教育DX時代におけるデジタル・フュージョン・ラーニング
「DX(Digital Transformation)」は、2004年にスウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授によって提唱された概念である。その内容は「進化し続けるテクノロジーが人々の生活を豊かにしていく」というもので、“進化したデジタル技術を浸透させることで人々の生活をより良いものへと変革すること”と解釈できる。
ただし、教育DXが及ぼすのは単なる「変革」ではなく、デジタル技術による破壊的な変革を意味する「デジタル・ディスラプション」。すなわち、既存の価値観や枠組みを根底から覆すような革新的なイノベーションをもたらすものであると捉えられている。
このデジタル・フュージョン・ラーニングという学びの革新は、多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学びや創造性を育む学びにも寄与するものであり、特別な支援が必要な子供たちの可能性も大きく広げるものである。ここでは、子供たち一人一人に個別最適化され、創造性を育む学びとは何か、その実現のためのデジタル・フュージョン・ラーニングとはどのような学びで、そのために必要な学習環境について考える。
■ デジタル・フュージョン・ラーニングと新たな学習環境
学校における授業は、教科書や様々な教材等を使用して行われており、児童生徒たちの学びにとってこれらの果たす役割は極めて大きい。学校教育における重要なツールであるデジタル教科書・教材やタブレットPC等について、21 世紀を生きる児童生徒に求められる力の育成に対応した学習環境の整備の改善を図っていくことが必要である。
デジタル技術の活用により、一斉指導による学び(一斉学習)に加え、児童生徒一人一人の能力や特性に応じた学び(個別学習)や、児童生徒同士が教え合い学び合う協働的な学び(協働学習)を推進することにより、基礎的・基本的な知識・技能の習得や、思考力・判断力・表現力等や主体的に学習に取り組む態度の育成ができる。
こうした学びを、学校教育法第30 条第2項に規定する学力の3要素である「基礎的・基本的な知識・技能の習得」「思考力・判断力・表現力等の育成」「主体的に学習に取り組む態度の育成」という観点から見た授業を実践するためにデジタル・フュージョン・ラーニングに必要な新たな学習環境を次のように考えてみた。
(1) 教育リソース
教育リソース(educational resources)とは、PCやタブレットPCで読むことができるように設計された電子化された資料などで、電子書籍(electronic Book)、デジタル書籍、デジタルブック(digital book)、eブック(e-book)、オンライン図書(online book)も含まれる。
今後は、メディアの特性を生かし、学習者が主体的に活用でき、一人一人の学習者の特性に対応した教育リソースのあり方を調査研究する必要がある。
(2) e-ラーニング
e-ラーニング(e-Learning)を推進する上では、教育リソースであるデジタル教材(学習材)の整備が必要不可欠となる。デジタル教材(学習材)自体は、各学校の教育事情に応じて整備されるべきもので、一元的に学校間で利用できるものにはなりにくいと考えられる。しかし、リメディアル系やキャリア支援系等の共通基盤教材や、教育素材的なものは、内容的・用途的にも十分共有可能であり、こうした利活用可能なデジタル教材(学習材)・素材を具体的に検討し、実際に実践可能な学校間で提供しあえるルール作りを検討することが重要である。
(3) ラーニング・コモンズ
ラーニング・コモンズ(Learning Commons)とは、デジタル技術を活用しながら、学習者自身が主体となって学ぶ教育環境をいう。能動的学習授業では、まず①教育リソース(デジタル教材)で予習をした上で、授業の最初に仮説の予想をし、②仮説をグループで討議し、1人1台のタブレットPCで調査を行い、③調査結果をタブレットPCに接続された電子黒板(アクティブボード)を使って分析し、仮説が正しかったかどうかを検討する。その後、④結果を発表した後、電子黒板(アクティブボード)で仮説の内容を可視化しながらシミュレーションをし、仮説と調査結果の関係をグループで再討議し、⑤授業後に発展課題のレポートを作成する授業を推進するような、グループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等による課題解決型の能動的学習を積極的に導入・実践することが必要となる。
■ デジタル・フュージョン・ラーニングによる”新たな学び“
児童生徒が、十分な質を伴った学習時間を実質的に増加・確保するためにデジタル技術を利用した学習の方法として、授業の内容を教育リソース化し、授業外の時間にe-ラーニングで自主的に視聴できるようにする。このことにより、授業では事例や知識の応用を中心とした対話型の活動をする事が可能となる。このように、説明型の授業をオンライン教材化して授業外の時間に視聴し、従来宿題であった応用課題を教室で対話的に学ぶ教育方法(反転授業)を実践することも必要となる。
このことにより、学校においては、「答えのない問題」を発見してその原因について考え、最善解を導くために必要な専門的知識及び汎用的能力を鍛えること、あるいは、実習や体験活動などを伴う質の高い効果的な教育によって知的な基礎に裏付けられた技術や技能を身に付けることができる。また、授業ための事前の準備(資料の下調べや読書、思考、学習者同士の議論など)、授業の受講(教員の直接指導、その中での教員と学習者、学習者同士の対話や意思疎通など)、事後の展開(授業内容の確認や理解の深化のための探究、さらなる討論や対話など)やインターンシップやサービス・ラーニング等の体験活動など、事前の準備、授業の受講、事後の展開を通した主体的な学びに要する総学習時間を確保することができる。
また、この学習支援を実施するためにも、主体的に学習をする学習者の利用目的や学習方法にあわせ、デジタル技術を柔軟に活用し、効率的に学習を進めるための総合的な学習環境であるラーニング・コモンズを学習施設に整備すると共に、このようなデジタル・フュージョン・ラーニングを推進していく必要がある。
久世 均(くぜ ひとし)
岐阜大学大学院教育学研究科修士課程修了(教育学修士)。専門は、教育工学、デジタルアーカイブ、情報教育、生涯学習。2006年より岐阜女子大学文化創造学部教授・デジタルアーカイブ研究所長、日本教育情報学会理事、文部科学省学校DX戦略アドバーザー。著書「デジタルアーカイブ要覧」「生涯学習eソサエティハンドブック」など多数。
【研究】勝ち組・負け組
1945年太平洋戦争が終結した時からブラジル日本移民の悲劇は始まった。
1908年笠戸丸で最初にブラジルへ渡ってから太平洋戦争まで、戦前の移住者は27万人、90パーセント以上の人々は永住のつもりは無く、一旗上げて母国日本に錦を飾って帰るつもりの人々が多かった。移民の条件には3人以上の構成家族で、最初一年から二年間は農業移民としてコーヒー園などで働き、日雇いから歩合給、借地での農業の後お金を貯め土地を取得、一生懸命日本の移住者は働いた。
もともと、出稼ぎのつもりの為、ポルトガル語を覚えようとか、立派な家に住む事すら考えていなかった人たちも多くいた。
しかし、最初の移民斡旋会社の言葉とは裏腹に開拓地での生活は苦難の連続で、少しでも良い処の開拓地へと引越し「ムダンサ」を繰り返した、ブラジルの奥地を転々とする移住者には、早く農業を見切り大都市へと移り商売に転進する人など、引越し「ムダンサ」を10回以上重ねた者は普通で、多くの人は毎日の生活が精一杯で苦難の毎日だった。
しかし,日本人の集まるコロニアでは日本語学校が造られ子供達への教育が行われる。家族が増えるに従い日本への帰国願望から子供達二世へ夢を委ねるように変わって行く。
バスガス政権の同化政策によって、日本語学校の閉鎖に続き1941年8月日本語新聞が発刊禁止となる。日本人移民社会は殆ど情報がない状態となり、太平洋戦争開戦にともないブラジル政府は1942年1月、日米開戦の翌月には日本に対し一方的に国交断絶を宣言、日本とは敵対国となる。1945年6月これまた一方的にブラジルは日本に対し宣戦布告を告げている。
開拓地では、日本語禁止令にともない、日本語学校の閉鎖、日本語の書籍の没収、日本人3人以上の集会の禁止等、日本人に対するブラジル政府の圧力も強くなり、ラジオの所持禁止で日本からの短波放送すら受信できなくなる。
国土の広いブラジルの奥地まで入り込んだ移住者は、日本からの情報は途絶してしまう。
ブラジル日本移民史料館に、1944年にパラナ州バンディランテス市の地方治安局が発行する日本人の通行許可証が残されている。
密かにラジオジャパンを聞いていた人達も、大本営発表の情報を鵜のみにし、ポルトガル語が良く理解出来ない人達はコロニアの中でのデマの情報に振り廻されて行った。
戦前、大日本帝国は満州国から支那、南方にかけて、日本円「儲備、チョビ券と言う」の流通を広め、日本国内だけでなくアジア各地に日本の影響力を広げようとした。
しかし、中国大陸の商売人からは日本円「儲備、チョビ券」を1日でも早く自分の手元から放そうとし、アジア各地で使用した日本円は必然的に日本本土に帰ってくる。日本国内の円札はインフレに向かう事を懸念した,東条英機は本土以外では軍札での使用に変更する。
このような経緯のなかで、当時27万人の日系移住者のいるブラジルに上海からアルゼンチン経由で日本円がブラジルへと渡り、また、米国本土の日系金融機関は日米の開戦を察知して、米国内の日本円をアルゼンチンへ避難させたといわれる。
太平洋戦争が泥沼化する中、日本人や華僑など各国の銀行家がブラジルの金融市場に、それも日系の南米銀行に一部の日本円が集まる事となる。
1945年8月14日 「日本時間 8月15日」
天皇陛下の玉音放送はブラジルにも短波放送で伝わるが、残念ながらその放送を全部の日系人が聞くことは出来なかった。雑音に近い玉音放送を聞いた人でも、天皇が敗戦を受け入れた放送だと信じる人も少なく,逆にデマが飛び交い「日本勝つ」のデマは一夜のうちに日本人コロニアを駆け抜けて行く。
一部、日本人の中で、アメリカの放送を聞き、日本の戦況を良く理解する人もいたが、大多数の日本人には伝わらなかった。
日本の終戦とは裏腹に、ブラジル各地の開拓地では、「日本勝った、日本勝った、」と戦勝記念日の祝賀会を開催するところまで現れた。
終戦直前の7月「臣道連盟」と改名した一団は8月23日 本部をサンパウロ市ジャバクワラ区パラガツ街98番に堂々と構え、家族数2万、総人員10万を擁する一大組織を構成した。戦勝を信じる者たちは日本からの邦人慰問使節団・軍事使節団を乗せた軍艦がサントスに入港するとのデマニュースを信じ、歓迎の為各地から日の丸を持って二千余名がサンパウロに押し掛けた。警察当局は治安を理由に警告を発令するに至った。
日本が占領した南方諸地域の新植民地をブラジル在住の同胞に配分する為、日本陸軍によって臣道連盟会長の吉川順次大佐が派遣されたと連盟本部は案内した。
サンパウロ市の中心から20キロにあるイタケーラのコロニアでも多数の人達が戦勝を信じ、九月九日に戦勝祝賀会を挙行したと記録されている。その後イタケーラでは日系人の運動会が2年間開催は無く、1947年5月1日に開催の記録がある。
「日本は負けたんだ、勝ってなんかいない」と言う「負け組」
「日本は神の国、負けるはずが無い」日本は勝ったという「勝ち組」
ブラジル日系人を真っ二つにしての論争は、「負け組」敗戦認識派と「勝ち組」信念派に入り乱れ、負け組の幹部達は、勝組と負組を分けるため日章旗を破り捨てたり、「天皇写真踏絵事件」までが起きた。
終戦直後に日系人コロニアの8割は日本勝ったと信じていた。
「迎えの連合艦隊が来る」デマの戦勝ニュースを信じ奥地から大勢の人達が続々とサンパウロ,サントス目指して集まり、リオに船団が入ると伝わるやリオに向かい、一時は日本船の出迎えに日本人の異様な集団がサンパウロに集結した。
日系新聞である,サンパウロ新聞は「日本勝つ」とデマのニュースを出すまでとなり、
敗戦によって紙くずとなった大量の日本円を、日系企業の南米銀行とサンパウロ新聞の上層部は、他国の通貨に交換する為、日本人を騙して、土地や家などを日本円で買う計画をたて、デマのニュースを流したといわれている。
「日本政府は新たに、南方の開拓地の入植者たちを募集している、その為サントス港に日本政府からの迎えの船が来る」というデマを流し、ブラジル各地で農業をしている人々に「今すぐ土地を売り払いサントス港に集まるように」と、「日本人はアジアに帰ろう!」という南洋「海南島」移住説が現れ、この出迎えの為200人の先発隊が日本を出発し、四千人の軍隊が警備の為派遣、日本人総引き揚げの船団がサントス港に向かったとデマを流す。日本は勝ったと信じ込んでいる人達は、これ以上ブラジルの国にいても、ブラジル政府は日本に対し敵対国であり、日本語学校の閉鎖等からの日本人への敵対視に嫌気を感じ、ブラジルを離れようとした。
裏で円売り帰国詐欺師と手をつなぐ、エセ勝ち組集団も現れ、円売りのデマに踊らされた人達の中には、勝った日本へ帰るつもりで、土地や家、農作物,家畜等を五分の一から,十分の一の値段で売り払い、サントス港に出てきた。
すでに日本円は他の外国紙幣との両替も不可能だった。
日米開戦と同時に、日系企業は活動を停止に追いこまれ、アメリカ合衆国からも莫大な邦人資産がアルゼンチンを経由してブラジルに逃避して来るが、ブラジル政府がこれらを資産凍結してしまう。その前に一部の資金がコロニアの有力者に流れ、戦後各地の鉄道沿線の駅には、南米銀行の関係者ら日本船迎えの受け入れ担当者らを案内人として,日本円での土地の売り買いをはじめた。しかし、紙くず同然となった日本円を掴まされ、「日本は勝った」と信じる人達に日本からの迎えの船が来る事も無く、ただ港で待たされる事になる。
神の国、日本が負ける事は無いと考える移住者がブラジルに多く居たのは間違いなかった。
移住者の中で意見が割れたのは、ブラジル政府がはっきりと日本は負けたと言わなかった事にも一因が有ったが、むしろ日本人の中で負けたこと事体が都合悪い人達もいた。
大量の紙くず同然の日本円を持つ南米銀行や日本円を利用しての日本人同士の騙し合い
また、騙された日本人がそのツケを取り戻す為また、日本人を騙すという構図が複雑な日系社会を作り出して行く。「日本は勝った」と信じる勝ち組。「日本は負けた」もう日本は立ち直れない日本国は無くなってしまった。と言う「負け組」日本の教育を止めてブラジルの教育をと天皇の写真を破り日章旗を破り捨てるものまで現れてくる。
勝ち組に組織された臣道聯盟は、敗戦認識の「負け組」幹部らにテロ行為を働き、23人を暗殺、147人の負傷者を出してゆく。
ブラジル政治治安警察(DOPS、ブラジルの特高)は約3万件の嫌疑をかけ、臣道連盟幹部を次々に検挙した。しかし、踏絵を拒否しただけの無実の罪で収監された無実の人々も多かった。アンシエッタ島の監獄に170名の日本人が送られたが、十数名は法を犯した者だったがあとは無実だった。抑留生活は2年7カ月に渡った。
その後、リオとサンパウロの間に在るアンシエッタ島の監獄は囚人の暴動が起きて、閉鎖されている。今ではウバトゥバで最も人気のある観光島で美しい保護区に動物と植生の両方で多くの自然保護が行われている。
「勝ち組・負け組」の事は、現在に至るまでブラジルの日系社会では癒すことは出来ないが、表に出て来ることも無い。
戦後、日系社会の指導者には「負け組」の人達が多く、彼等の多くは、日章旗を破り捨て、日本の国は無くなってしまったと、人々に宣伝をした人だった。近年、その人達に日本国政府からの叙勲が授与されている、「勝ち組」の人から見れば、愛国心に複雑な思いがあるようだ。
日本で戦後教育を受けた我々の愛国心とは違うかもしれない、地球の裏側から祖国日本に思いを寄せた人達がいた事に頭が下がる思いです。
読売新聞オンライン記事
ブラジル政府は2024年7月25日、第2次大戦後の日本人移民らの強制収容を巡り、人権侵害だったのか審議すると明らかにした。また、謝罪する見通しだと明らかにした。
世界最大の日系コミュニティーは、実現すれば、ブラジル政府として初の謝罪で、日本からの移民として、不当な扱いを受けた人々の名誉を回復する節目になる。
1946年から約2年間、日系人ら172人をサンパウロ州沖のアンシエッタ島監獄に収監し日系人は監獄で虐待や拷問を受け、天皇の写真や国旗の「踏み絵」を拒み監獄に送られた人もいたとされる。
参考文献
読売新聞オンライン 2024/05/23 05:00
「日本は降伏していない」 著者 太田恒夫
ブラジル激動の日本人移民史 拓魂100年 著者 星野豊作
遠い架橋 著者 山田智彦
ブラジル日本移民
戦後移住の50年 ブラジル・ニッポン移住者協会
ブラジル日本移民史料館
ブラジルと福井県縣人 ブラジル福井県人会
Ilha Anchieta アンシエッタ島
ブラジル岐阜県人会・福井県人会のみなさん
上村照信 上村俊明 上村茂男 上村アリンド 梅村良治 瀧日富美子 山田彦次会長 小島康一副会長 国井治郎 寺林由雄 飯田みよ子 飯田俊弘 小田・押本・セルジオ
イタケーラコロニア70年のあゆみ イタケーラ日系クラブ
イタケーラコロニア 小坂 誠さん
令和6年(2024)6月30日
稲葉秀章(文責)
【研究】郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける地域資源の記録・管理法の研究
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブでは、郡上白山文化遺産の世界遺産登録への整備と新たな観光資源の発掘を目的とし、建造物、建築物群を含めた伝統文化遺産の新たな観光資源の発掘、衰退する白山文化遺産の記録、白山文化遺産の県域(岐阜・石川・福井)を超えた白山文化遺産デジタルアーカイブの構築を進めている。
しかし従来の地域資源のデジタルアーカイブでは、記録した地点や時間が不明で、活用することが困難であった。そこで、記録や管理の方法について研究することにより、活用しやすい記録・管理の方法を開発する。
第1章 緒 言
1.問題の所在
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブでは、郡上白山文化遺産の世界遺産登録への整備と新たな観光資源の発掘を目的とし、建造物、建築物群を含めた伝統文化遺産の新たな観光資源の発掘、衰退する白山文化遺産の記録、白山文化遺産の県域(岐阜・石川・福井)を超えた白山文化遺産デジタルアーカイブの構築を進めている。
しかし従来の地域資源のデジタルアーカイブでは、記録した地点や時間が不明で、活用することが困難であった。そこで、記録や管理の方法について研究することにより、誰もが活用しやすい記録・管理の方法を開発する。具体的には、歴史研究者や文化学者、教師や学生、観光産業の関係者、地域住民、さらには行政や政策立案者が含まれる。例えば、歴史研究者や文化学者は、正確な年代や場所の情報を基に地域資源の歴史的背景や変遷を研究することができる。教師や学生にとっては、具体的なデータに基づいた教育資料を作成し、授業での活用が可能となる。観光業者は、詳細な文化資源の情報を提供することで観光客を引き付け、地域の魅力を効果的に伝えることができる。地域住民は、自分たちの住む地域の文化遺産について深く理解し、誇りをもつことができる。そして、行政や政策立案者は、これらのデータを基に地域振興策を立案し、文化資源の保存と活用を進めるための戦略を計画することが可能となる。
これらの取り組みにより、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、地域の文化資源を守り、広める手助けをし、地域社会の発展に役立つことが期待される。
本研究では、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける地域資源の記録および管理方法の最適化を目的とし、具体的には、次の3つの目標を達成することを目指している。
(1) 地域資源の詳細な記録方法の確立
多方向撮影や多視点での情報収集を活用し、地域資源の詳細な記録方法を確立する。これにより、郡上白山文化遺産の全体像を正確に把握し、保存することが可能となる。
(2) 効率的な管理システムの構築
地域ごとの分類および日毎の管理方法を導入することで、効率的な管理システムを構築する。このシステムにより、特定の地域や時期に関連するデータを素早く検索・アクセスできるようにする。
(3) 世界遺産への登録支援
郡上白山文化遺産の世界遺産登録を支援するためのデータベースを構築する。詳細なデジタルアーカイブを提供することで、世界遺産に必要な証拠資料や情報を整理・提供し、登録プロセスを支援する。
これらの目的を達成することで、郡上白山文化遺産の保存と活用に貢献し、将来の研究や教育活用、観光において価値ある資料を提供することが期待される。また、世界遺産への支援を通じて、郡上白山文化遺産の国際的な認知度と保護を強化することが目指される。
2.文化遺産デジタルアーカイブの意義
文化遺産を保存することは、その歴史的、文化的な価値を伝えるために重要である。特に、物理的な劣化や災害から文化遺産を守るためには、デジタルアーカイブが重要な役割を果たす。
伝統的な文化遺産は、時間が経つにつれて劣化する。紙の文書、木で作られた建物、布製品などは、温度や湿度、虫によって傷みやすい。また、火事、地震、洪水などの災害による破壊リスクも高いため、物理的な保存には限界がある。
デジタルアーカイブは、物理的な劣化を防ぐための良い方法である。デジタルデータは、簡単にコピーでき、違う場所にバックアップを保存することで、災害時のリスクを減らすことができる。高解像度のスキャンや3Dモデリングを使って、細かい記録を残すことができる。現物がなくなっても、デジタルデータを通じてその姿を後の世代に伝えることができる。
デジタルアーカイブは、文化遺産へのアクセスを大きく向上させる。これにより、たくさんの人が文化遺産を知ることができ、地域外の人々にもその価値を伝えることができる。
物理的な遺産は、その場所に行かないと見ることができない。しかし、デジタルアーカイブはインターネットを通じて世界中からアクセスできる。遠方に住んでいる人や、身体的に現地訪問が難しい人も、デジタルアーカイブを通じて文化遺産に触れることができる。検索機能などの使いやすいコンテンツを提供することで、利用者が必要な情報に素早くアクセスできるようにする。バーチャルツアーや3Dモデルを使うことで、より臨場感のある体験を提供し、利用者の理解を深めることができる。
デジタルアーカイブは、教育にも大きな役割を果たす。学校や大学と協力して、文化遺産を教材として使うことで、次の世代に伝えることができる。歴史や文化を学ぶときに、文化遺産のデジタルデータを使うことで、より具体的に理解することを助ける。インタラクティブなコンテンツを作ることで、学生が自ら学ぶ環境を提供し、興味を引き出すことができる。
大学や研究機関でも、デジタルアーカイブは貴重な研究資料になる。過去の文献や資料を簡単に検索してみることができるため、研究が効率的になる。共同研究や国際的な研究プロジェクトでも、デジタルデータを簡単に共有できるため、研究の進みが早くなる。
デジタルアーカイブは、観光にも新しい可能性をもたらす。文化遺産をデジタル化して、観光資源として使うことで、地域の魅力を広く伝えることができる。デジタルアーカイブを使って、文化遺産を紹介するウェブサイトやアプリを作ることで、観光客の関心を引き、訪問を促すことができる。ソーシャルメディアを通じてデジタルコンテンツを広め、より多くの人に地域の魅力を伝えることができる。観光地でのデジタルガイドやAR技術を使うことで、観光客に対してより良い体験を提供できる。デジタルアーカイブを使った展示やインタラクティブな体験を通じて、観光客の満足度を高め、再び訪れることを促すことができる。
デジタルアーカイブは、文化遺産の保存、アクセス、教育、観光において大きな意味をもち、地域文化の発展に役立つ。本研究では、これらの意義を考え、具体的なデジタルアーカイブの方法とその実施についてさらに探求する。
3.二次利用
デジタルアーカイブのデータは、一度保存されると、いろいろな形で使い直すことができる。これにより、その価値がもっと高くなる。二次利用は、教育、研究、観光など、さまざまな分野で役立ち、地域文化の普及と発展に貢献する。
学校や社会教育では、デジタルアーカイブのデータは貴重な教材となる。歴史や文化を学ぶときに、具体的な資料として扱うことができる。インタラクティブなコンテンツを通じて、学生の興味を引き、学習効果を高めることができる。
デジタルアーカイブは、歴史学、文化人類学、考古学などの研究分野で重要な資料となる。高解像度の画像や3Dモデルを使って、詳細な分析や比較研究ができる。国際共同研究などにも使われ、学術的な知識を深めることに役立つ。
観光業界では、デジタルアーカイブのデータは観光プロモーションに使われる。バーチャルツアーやAR体験を提供し、観光客に新しい体験を提供する。デジタルコンテンツを通じて、地域の魅力を広く発信し、観光客を引き寄せることができる。
(1)二次利用の具体例
郡上白山文化デジタルアーカイブでは、以下のような具体的な方法で二次利用ができる。
郡上白山文化デジタルアーカイブのデータを使って、教育用のデジタル教材を作る。歴史や文化を学ぶためのビデオ教材やインタラクティブな学習アプリを提供する。地元の学校と協力して、地域の歴史や文化をテーマにした授業を行う。
デジタルアーカイブのデータを使って、大学や研究機関と共同で研究プロジェクトを進める。歴史的な建造物や祭りの詳細な記録をもとに、学術論文や研究報告を作成する。研究の成果をデジタルアーカイブに戻し、新しい知識を広く共有する。
郡上白山文化遺産をテーマにした観光プログラムを作る。バーチャルツアーやAR体験を通じて、観光客に地域の魅力を体験してもらう。地元の観光協会と協力し、デジタルコンテンツを使った観光キャンペーンを行う。
(2)二次利用の課題と対策
二次利用には、いくつかの課題がある。これらの課題を解決するために、適切な対策が必要である。
デジタルアーカイブのデータを二次利用する際、著作権や利用許可の問題が起こる。適切な利用許可を取り、著作権を尊重することが大切である。著作権を管理するためのガイドラインを作り、利用者に伝える。
デジタルアーカイブを作成するときに、著作権の問題は重要である。著作権は、作品を作った人の権利を守るための法律で、デジタルアーカイブで使うコンテンツにも関係する。著作権は、作品を作った人が自分の作品をどう使うか決める権利を守るものである。デジタルアーカイブに入れる映像、写真、文書、音声などのコンテンツは、すべて著作権で守られている。デジタルアーカイブは、著作権を守りながらコンテンツを集めて公開するために、正しい使い方をし、許可を取る必要がある。こうすることで、著作権者の権利を尊重しながら、コンテンツを広く公開できる。
著作権法は、デジタルアーカイブでコンテンツを使うための基本的なルールを決めている。以下に重要なポイントを示す。著作物とは、アイデアや感情を創作的に表現したもので、文芸、学術、美術、音楽などが含まれる。デジタルアーカイブに入れるコンテンツは、多くが著作物にあたる。著作権者は、著作物を作った人や、その権利を受け継いだ人である。デジタルアーカイブの運営者は、コンテンツを使う許可を著作権者から取る必要がある。著作権には、複製権、公衆送信権、展示権、頒布権など、いろいろな権利がある。デジタルアーカイブでは、これらの権利を正しく扱うことが求められる。
デジタルアーカイブで使われるデータは、正確で信頼できるものでなければならない。データの質と信頼性を確保するためには、定期的にデータをチェックして更新することが必要である。例えば、新しい情報が入った場合や、既存のデータに誤りが見つかった場合には、すぐに修正し、最新の情報を提供する。このようにして、利用者が安心してデータを使えるようにすることが大切である。
また、デジタルアーカイブを二次利用する際には、利用者にその方法や技術についての知識が必要である。しかし、利用者の中には、二次利用に関する知識や技術が足りない人もいる。そのため、そうした利用者には教育とサポートを提供することが重要である。具体的には、デジタルアーカイブの使い方を教える研修やワークショップを開くことで、利用者が効率的にアーカイブを活用できるように支援する。
さらに、利用者からの意見やフィードバックを集めて、サービスの改善に役立てることも大切である。利用者がどのような点で困っているのか、どのような機能が必要なのかを把握し、それに基づいてサービスを改善する。これにより、デジタルアーカイブの利用者満足度を高め、より多くの人々に活用してもらえるようになる。
例えば、定期的にアンケートを実施し、利用者の意見を集めることが考えられる。アンケートの結果を分析し、必要な改善点を見つけ出し、その改善を実行する。また、利用者との対話を通じて、具体的なニーズや要望を直接聞くことも有効である。こうした取り組みを通じて、デジタルアーカイブの質を高め、信頼性を確保することができる。
(3)今後の展望
二次利用を進めることで、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの価値をさらに高めることができる。
教育、研究、観光以外にも、デジタルアーカイブのデータをさまざまな方法で使う計画を立てる。例えば、地域の発展やコミュニティ活動に使うことが考えられる。新しいアイデアや技術を取り入れて、利用の幅を広げる。
デジタルアーカイブのデータを海外に提供し、海外の教育機関や研究機関との連携を強化する。国際共同研究や教育プログラムを通じて、郡上白山文化遺産の価値を世界に広める。多言語対応のコンテンツを増やし、世界中の人々が使えるようにする。
二次利用で得た収益をデジタルアーカイブの運営資金にするなど、長期的に運営できる仕組みを作る。デジタルアーカイブの価値を最大限に引き出し、長く続けることを目指す。パートナーシップを強化し、共同プロジェクトや資金を集めるチャンスを広げる。
二次利用は、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの可能性を広げ、地域の文化を守り広めることに大いに役立つ。これにより、地域の文化遺産が次の世代に伝わることが期待され
第2章 郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける記録・管理方法
1.白山信仰と白山文化
富士山・立山と並ぶ日本三名山の一つ「白山」。雪をいただき、光を浴びて輝く姿に、古来より人々は白山を「白木神々の座」と信じ、崇めてきた。また、農耕に不可欠な水を提供する山の神としてだけではなく、日本海を航行する船からも、航海の指標となる海の神として崇められていた。北陸は、『日本書紀』の時代には「越の国」と呼ばれており、白山はそこにそびえる白き山という意味をこめて、古くは「越のしらやま」と呼ばれていた。古来より白は神聖な色であったことから、平安時代には「越のしらやま」は都人にとって憧れの山となり、当代一流の歌人たちの歌にも白山の名を見ることができる。
日本では、もともと「山」に対して二つの信仰が存在してきた。一つは遠くから眺めて神秘を感じ、山神に感謝を捧げる「遥拝(ようはい)」で、北陸道筋には、白山を眺めるための「遥拝所(ようはいじょ)」が設けられていた。もう一つは、山中に分け入って厳しい修行を積み、宗教的境地を目指す「修験」で、白山には全国から修験者(山伏)が集まった。どちらの信仰においても、白山ほど霊峰という冠が似合う山はなく、神々しいまでの美しさは多くの人を魅了し続けている。
(1)白山信仰の始まり
養老元年(717年)、越前(福井県)の僧「泰澄(たいちょう)」が初めて白山に登拝し、翌年山頂に奥宮を祀った。以来、神々しい山の神は人々の憧れとなり、白山信仰は急速に全国に広まっていった。白山登拝が盛んになると、加賀(石川県)、越前(福井県)、美濃(岐阜県)には、その拠点となる馬場(ばんば)が設けられ、多くの人々で賑わった。
明治時代を迎えると、神社と寺院を区別させる神仏分離令が発令され、仏像や仏具が白山の頂より下ろされることとなった。それらの仏像は「白山下山仏」として現在も白山の山麓の白山本地堂や尾添白山社などに安置されている。
白山信仰は、単なる宗教的な信仰に留まらず、地域文化に多大な影響を与えている。そして農耕儀礼として重要な役割を果たしている。毎年、五穀豊穣を祈る祭りや行事が行われ、地域の農民たちは白山神社に参拝し、豊作を祈願する。これらの儀礼は、地域住民の生活と密接に結びついており、農業のサイクルと共に白山信仰が深く根付いている。白山信仰に基づく祭りや行事は、地域全体で大切にされており、住民同士の結びつきを強化する役割を果たしている。この祭りには多くの観光客も訪れ、地域経済の活性化にも貢献している。
(2)白山文化
白山信仰に関連する文化は多岐にわたるが、以下の具体例を通じてその特徴を説明する。
白鳥おどりは、岐阜県郡上市白鳥町で行われる伝統的な盆踊りで、白山信仰と結びついている。白鳥おどりは、地域住民にとって重要なイベントであり、毎年多くの人が参加する。この踊りは、地域の一体感を高めると同時に、白山信仰の象徴として大切にされている。
白山信仰と白山文化は、地域住民の生活と深く結びついており、文化的遺産としての価値が非常に高い。本研究では、これらの文化遺産をどのようにデジタルアーカイブ化し、保存・普及させるかを引き続き検討する。
2.白鳥おどりと白鳥の拝殿踊り
(1)白鳥おどり
清流長良川の最上流に位置する白鳥町(岐阜県郡上市)は、その昔、富士山、立山と並ぶ三名山の一つ、白山への信仰の東海側の拠点「美濃馬場」として、登拝者は「山に千人」「麓に千人」といわれるほどにぎわった。
郡上の盆踊りは、念仏踊りや風流踊りを源流としながら、白山民謡文化圏において、白山信仰との関わりの中で成立したと考えられる。白山中宮長滝寺や石徹白の白山中居神社には、様々な修行者、登拝者たちが往来し、彼らが伝えた念仏踊りや歌念仏と白山を誉めるショウガ(唱歌)が結合して、白鳥おどりの中で最も古い「場所踊り」になったと思われる。
享保8年(1723年)の長滝寺経聞坊「留記」7月9日の記事に「盆中お宮にて踊り申す事、奉行より停止の書状到来」という白山中宮長滝寺における盆踊り停止命令があり、この記事により逆にそれまで境内での盆踊りが慣習となっていたことがわかる。
江戸中期以降の諸資料には、白山中宮長滝寺をはじめ、郡上の寺社境内において、盆踊りが毎年行われ、近郷からも踊りに往来していたことが記されている。盆踊りの内容・種目については、資料がなく不明だが、おそらく「場所踊り」を基本とし、越前及び荘川方面等から伝わった白山民謡文化圏の種目が踊られていたと推察される。
江戸中期以来昭和前期まで、郡上の盆踊りは拝殿踊りとして続いた。神社の拝殿の中央には悪霊除けの花笠に由来する切子灯籠が吊り下げられ、美声自慢の若者たちが音頭を取り合い、板敷きの拝殿の床で下駄の音を鳴り響かせ、近所の若い衆も往来し、輪をつくって踊った。
明治維新(1868年)後、政府が推し進めた急速な欧米化政策は、盆踊りや村芝居等の民俗的風習を否定するものであり、これを受けて岐阜県は明治7年(1874年)盆踊り禁止の布達を出した。
このような禁令にもかかわらず、盆踊りは廃絶することなく細々と受け継がれた。大正末期に伝統芸能の復活の機運が高まると、白鳥町でも盆踊り保存と伝承の動きが出たが、満州事変から太平洋戦争が激化するなかで消えていった。
戦後、各地で盆踊りの復活の機運が高まると、昭和22年(1947年)「白鳥踊り保存会」が設立され、白鳥神社などで拝殿踊りとして踊り継がれてきた白山民謡文化圏の多くの踊りの種目の中から、代表的ないくつかの踊り種目を選んで「白鳥おどり」として整備した。
昭和30年代に入ると、白鳥町はこの踊りを観光に生かそうと考え、切子灯籠を街頭に吊るし、笛、太鼓、三味線などの鳴り物を入れて、踊り屋台を囲んで、街頭で踊るようになった。神社での拝殿踊りの伝統を生かした白鳥おどりは、同じ郡上の盆踊りでも八幡町の郡上おどりとは異なる特色をもち、「神代(ドッコイサ)」「世栄(エッサッサ)」などのテンポの速い、活動的な踊りは、若者をはじめ多くの人々に愛好されている。
白鳥おどりは、全国的な民謡ブームに乗って年々盛大になり、踊りの回数も増え、昭和40年代からは、期間も7月下旬から8月下旬までになり、特にお盆の3日間は、徹夜で踊られる。奥美濃しろとりの夏の風物詩として、そして後世に保存伝承すべき貴重な民俗芸能として踊り継がれている。
白鳥おどり発祥祭では、郡上宝暦義民太鼓が上演される。「郡上宝暦義民太鼓」は、江戸時代、郷土のために犠牲となった義民たちの遺徳をしのび、その功績を長く後世に伝承することを目的として昭和50年に創作された太鼓である。郡上藩宝暦騒動の発端から農民の勝利までを、農民決起・傘連判状太鼓/ 直訴太鼓/歩岐島騒動・乱闘太鼓/天下泰平・踊り太鼓の4場面で構成し、勇壮な太鼓の響きに合わせ、掛け声も勇ましく鬼気迫る演技をする。
郡上一揆とも呼ばれる郡上藩宝暦騒動は、郡上金森藩(郡上郡と越前国大野郡の一部)での年貢の税率の引き上げが発端となり引き起こされた。年貢の税率の引き上げに反対した農民たちは、死罪覚悟で江戸藩邸にまで訴えにいったり登城途中の老中の駕籠を止め直訴したりした。しかしそれも功を奏さず、やむなく江戸評定所の 「目安箱」に訴状を入れる。その結果、老中はじめ幕府指導者数人が免職となっただけでなく、金森藩主は取り潰しとなった。江戸時代におきた多くの一揆の形態のなかでも藩主だけでなく幕府要人まで裁きが及んだのは郡上の一揆だけであった。
この一揆で犠牲になった人々は、宝暦義民として、今も郡上の土地と人々の心の中で生き続け、宝暦義民太鼓は白鳥おどり発祥祭や毎年10月に郡上市白鳥町で開催される「ふるさとしろとり夢祭り」で披露されるほか、海外での公演も行うなど今では有名な太鼓となっている。
(2)白鳥の拝殿踊り
拝殿踊りの古い姿を保存伝承するために「白鳥拝殿踊り保存会」が組織され、毎年8月17日白鳥神社及び8月20日野添貴船神社において、楽器、太鼓を伴わない本来の拝殿おどりが催される。
「白鳥の拝殿踊り」は、平成13年(2001年)、岐阜県重要無形民俗文化財に指定され、次いで平成15年には国選択無形民俗文化財に選ばれた。
(a)場所踊り
江戸時代の盆踊りの中心的な踊りで、8種目の中で最も古い踊りである。かつては郡上市内の八幡町以北に分布し、明治中期ごろまでは盛んに踊られていたが、競争を境に廃れて今ではほとんど踊られていない。この踊りを知る古老によると、一晩中踊り明かしたと言い、動作は単純素朴、速度のゆるやかな踊りで、長時間踊り続けることが容易だったということである。
(b)ドッコイサ(神代)
囃し言葉から呼ばれている種目名である。この「ドッコイサ」の囃し言葉を持つ踊りは、隣接の奥越前と岐阜県内の武儀郡板取村で踊られている。またこの種目は、越前に隣接する滋賀県湖西に発したものが伝来したものだとも言われている。農作業に疲れた一時、肩に手をかけたり、馬の背に手を乗せたりして「ドッコイサ」を歌いながら、一日の労働の終わりを喜び合った情景を思いとることができる。
(c)エッサッサ(世栄)
奥越前や岐阜県内の武儀郡板取村や大野郡荘川村にまで広がっている白山民謡文化圏奥越前系の代表的な踊り種目である。踊輪の中で歌い手が音頭を取りながら逆回りに踊る。全体的にテンポが速い白鳥の拝殿踊りの中でも、特にテンポが速い。
(d)ヨイサッサ(老坂)
白山民謡文化圏奥越前系の代表的な踊り種目である。花づくし数え歌に続いて、宝暦騒動における名主善右衛門と娘おせきの物語が、口説きで歌われる。この踊りでは、歌い手が踊輪の中で音頭を取りながら、逆回りで踊る。
(e)猫の子
近世農家では、もみを食べる害獣であるネズミを捕る猫が飼われていた。歌詞にもネズミを捕る猫が唱われており、この踊りは子猫の所作を真似た踊りといわれている。作業歌から盆踊りに転化したものと思われる。奥越前から石川県白山山麓にまで流布している白山民謡文化圏奥越前系の代表的な種目であり、岐阜県内では郡上の大和町・八幡町・美並村、さらに武儀郡の板取村と洞戸村にも伝承されている。
(f)シッチョイ
隣接の奥越前和泉村から大野市山間部、さらに平坦部にまで流布している種目で、岐阜県内では白鳥町しか踊られていない白山民謡文化圏奥越前系の代表的な種目の一つである。白鳥地区と大和町徳永のお寺づくし数え歌が歌われる。
(g)ヤッサカ(八ッ坂)
古くは、この地方で家屋を建てるのに先立ち、近所隣りの村人が集まり、石搗の労働奉仕をする習わしがあった。その時の歌が「ヤッサカ」であったという。また一説には、この地方の養蚕が盛んであった頃、生糸を紡ぐ糸引き娘が作業の時に歌ったともいわれる。いずれにしても労働歌から踊り歌になったものである。越前の大野市真名川流域、武儀郡板取村でも踊られている白山民謡文化圏奥越前系の代表的な曲の一つである。
(h)源助さん
江戸時代のお座敷歌であったと思われる種目で、白山民謡文化圏本来の種目ではないと思われる。三河・越前にもあり、発祥・伝承経路は明らかでないが、大正期頃、愛知県の製糸場へ女工に行っていた人たちが郷里へ伝えたようである。現在岐阜県内では、白鳥町と高鷲町のみで踊られている。白鳥地区では、この踊りを「場開きの踊り」としている。
(3)文化遺産の保存と継承
白山文化は郡上地域において、重要な文化的背景をもっており、白鳥おどりと白鳥の拝殿踊りもその一部である。これらの踊りをデジタルアーカイブにより長期保存することで、白山文化の保存と継承が実現できる。これらの踊りの詳細な記録は、次世代の若者や研究者が学ぶための貴重な資料となる。踊りや背景をデジタルアーカイブとして残すことで、文化の継承が確実に行われる。
インターネットを通じて、世界中の人々が白山文化にアクセスできるようになる。これにより、郡上地域の文化が広く知られるようになる。デジタルアーカイブを通じて、事前に踊りの魅力を知った観光客が郡上を訪れる動機づけとなる。地域の文化イベントや祭りへの関心が高まり、観光客の増加や地域経済の活性化にもつながる。地域外の人々や外国人にも、これらの踊りの魅力を知ってもらうことで、他国の文化との交流が促進される。
自然災害やその他のリスクによって、伝統文化が失われる恐れがある。デジタルアーカイブは、そのようなリスクに対する保護手段として機能する。
デジタル化された資料や映像は、多方面での活用が可能になる。他の文化との比較研究や、デジタル技術を使った新しい表現方法の開発などに利用できる。
以上のように、白鳥おどりや白鳥の拝殿踊りなどの白山文化遺産をデジタルアーカイブすることは、文化の保存と継承、研究や観光の促進、災害対策など、多方面で郡上地域とその文化遺産に貢献する重要な取り組みとなる。白山文化の価値を高め、地域全体の文化的な魅力を広く伝えることができる。
3.岐阜県・石川県・福井県の白山禅定道と白山三馬場
奈良時代、越前国(福井県)の僧・泰澄が、天空に現れた貴女(白山神)のお告げを受けて、養老元年(717年)に白山の登頂を果たし、修行し、白山の神々の姿を感じ見たと言われている。そして、それまで白山を遠くから遥拝していた人々が、山頂へ登る登拝という祈りの形への移行のきっかけももたらした。「霊峰白山には神仏が坐す」禅頂と呼ばれる頂上へ至る修行の道。それが禅定道である。禅定道沿いにはかつて信仰の対象となった仏像を納めた諸堂社・ 宿(宿泊施設)跡が残されている。禅定道の大部分は、現在も登山道として活用・保全されている。
加賀禅定道は、石川県白山市三宮町の白山比咩神社から同市中宮の笥笠(けがさ)中宮神 社を経て、檜(ひ)の 新宮跡、天池(あまいけ)金剣宮跡を経て四塚山へ至り、大汝が峰山頂を越えて白山山頂(御前峰)に至る。選定区間は、白山市尾添(おぞう)から白山山頂までである。 尾添からは、尾根沿いの登山道となり、夏修行の拠点となった檜新宮跡や天池金剣宮跡、巨大な積石塚である四塚などの遺構を見ることができる。
美濃禅定道は、岐阜県側から修行の到達点である禅頂(白山山頂)を目指す白山信仰の歴史にもとづく道である。現在は白山国立公園内の登山道として引き継がれており、道中には国の特別天然記念物である石徹白の大スギや、修行のための行場や宿泊所を兼ねた室跡、泰澄大師等の伝説を秘めた地名などの旧跡が残されている。
越前禅定道は、平泉寺から法恩寺山を越えて白山伏拝に至り、ここから小原峠を経て、石川県白山市白峰一ノ瀬に着く。一ノ瀬からは、六万山を経て室堂平に達し、御前峰に登拝する。越前禅定道は、勝山市平泉寺町平泉寺から小原峠までが選定され、道に沿って関連する遺構が良好に残っている。
三方向から整備された禅定道の起点を馬場といい、現在の「白山比咩神社」「長滝白山神社・白山長瀧寺」「平泉寺白山神社」で、平安時代の末頃には、「三馬場」と呼ばれ、白山信仰の崇敬者たちが集まり、登拝していた。当時は神仏習合の時代であったこと、そして山岳信仰もあったことから、神と仏が融合しているのも白山信仰の特質である。さらに山頂を極楽浄土と見立てた「生まれ清まる」の願いから、魂が帰る新たに生まれる場所として、還暦や厄落としなど人生の節目に登山する動きもできた。
三馬場周辺の地域では、白山信仰に基づく祭りや行事が盛んに行われ、地域の文化的なアイデンティティを形成している。また、これらの祭りや行事は、観光資源としても活用されており、地域経済の発展にも貢献している。
白山三馬場の文化遺産を保存し、次世代に伝えていくためには、デジタルアーカイブの活用が不可欠である。これにより、地域の伝統文化が広く知られ、未来に渡って継承されることが期待される。
本研究では、白山三馬場の具体的な事例を通して、白山信仰とその文化遺産のデジタルアーカイブ化の意義と方法を探究していく。郡上だけでなく、石川県や福井県を含む広い地域で共有される白山文化は、それぞれの地域で独自の発展を遂げつつも、共通の歴史的背景や文化的要素をもっている。これらの地域全体をカバーするデジタルアーカイブを構築することで、白山文化の一貫性と全体像を把握することができる。広範なデジタルアーカイブを構築することで、各地域の文化の違いや共通点を明確にし、文化の相互理解が進む。白山文化に関する包括的な研究が可能となる。県域を超えたデジタルアーカイブは、観光資源としても大きな価値をもつ。各地域の観光客が他の地域にも興味をもつようになり、観光ルートが拡大されることで、地域全体の観光産業が活性化する。デジタルアーカイブを活用したプロモーション活動は、各地域の文化的魅力を広く発信する手段となる。これらの理由から、郡上だけでなく石川県や福井県を含む広域的なデジタルアーカイブを構築することは、白山文化の全体像を把握し、多様な文化と促進を図り、学術研究や観光産業の発展を支えるために非常に重要である。
(1)石川県:白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)
御鎮座2000年を超え、全国に3000社余りある「白山神社」の総本宮で、加賀一宮。菊理媛尊とともに伊弉諾尊・伊弉冉尊もお祀りし、菊理媛尊は結びの神として崇敬を受け、地元からは親しみを込めて「しらやまさん」と呼ばれている。境内は白山からの水が川となって流れ、澄んだ空気に満ちている。
白山比咩神社では、年間を通じて様々な祭りが行われている。春と秋には、五穀豊穣を祈る「祈年祭(きねんさい)」や収穫に感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」など、農耕のサイクルを基本とした祭りを行い、それ以外では、6月と12月に、半年間の罪・穢れを祓う大祓(おおはらえ)が行われる。また、神社の周辺では伝統的な工芸品や特産品が販売され、観光客にも人気がある。
(2)岐阜県:長滝白山神社
もとはひとつの社寺で、明治の神仏分離令前までは、「白山中居長瀧寺」と呼ばれていた。発令後も神仏習合の形態をそのままに、岐阜県における白山信仰の中心となっている。ご祭神は菊理媛尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊。明治32年(1899年)の大火の際にも、白山信仰を伝える宝物は住民の努力により焼失を逃れ、既存している。
毎年1月6日に長滝白山神社で奉納される六日祭は別名を「花奪い祭(はなばいまつり)」と呼ばれている。この祭りの中心となっているのは、奈良の東大寺等で行われた延年で、長滝の延年は長滝一山の神主・老僧が新年にあたり、国家安穏・五穀豊穣を祈る神仏混合の行事である。延年の舞は千余年の伝統にふさわしく、素朴で優雅な民俗芸能で、全国にも数箇所しか既存しておらず、この長滝の延年は国の重要無形民俗文化財に指定されている。この延年の途中から花奪いが始まり、拝殿土間の天井、高さ約6メートルに吊るされた桜・菊・牡丹・椿・芥子の五つの大きな花笠を勇敢な若者たちが3つぎ半の人梯を組んで落とすと、花を奪おうと揉み合いになる。この花を持って帰ると、豊蚕・豊作・家内安全・商売繁盛になると言われている。
(3)福井県:平泉寺白山神社
平泉寺白山神社は、福井県勝山市に位置する神社である。養老元年(717年)に泰澄大師によって開かれたとされ、白山信仰の重要な拠点となっている。泰澄大師が白山に登り、霊峰としての白山を開山した後、平泉寺は修験道の中心地となった。
広大な境内を覆う苔のじゅうたんと杉木立、参道に佇む結界石と拝殿へと続く石畳道。境内には泰澄が白山への道中に発見し、神のお告げを受けた「御手洗池」が、現在もこんこんと湧き出ている。中世には北陸有数の宗教都市として栄えたが、天正2年(1574年)の一向一揆の争乱で全山焼失。現在も発掘が進められている。
平泉寺白山神社では、春と夏に例大祭を執り行っている。春は多くの人で賑わう拝殿に、少女たちの舞の奉納が行われ、夏は泰澄大師の白山開山の日を偲んで行う。33年に一度、御開帳があり、今も引き継がれている。次回の御開帳は2025年(令和7年)5月。
4.地域文化遺産の保存・普及活動
(1) 長滝白山神社の宝印、最高シンポジウム
長滝白山神社は、郡上市の北部、白鳥町長滝に位置する。長良川鉄道白山長滝駅の西側から、西北方向に参道が伸び、参道沿いには、経聞坊(きょうまんぼう)、宝幢坊(ほうどうぼう)、阿名院(あみょういん)などの塔頭が建つ。太鼓橋を渡り、参道を進むと長滝白山神社と白山長瀧寺の境内に入る。境内の中央には、「正安四年〈壬寅〉那月日願主伝燈大法師覚海」の刻銘がある「石燈籠」(重要文化財(美術工芸品))1 基が据え置かれている。参道に正面を向けて、長滝白山神社拝殿、その奥には、中央に本殿とその左右に両脇社が建つ。拝殿東側には社務所と「白山長滝神社の大スギ」(県天然記念物)が位置する。「石燈籠」の西側には蓮池と白山長瀧寺本堂、東側には仏像を安置している白山瀧宝殿が建っており、神社と寺院が同じ境内地に配置された、白山信仰の神仏習合を今に伝えている。
(a)長滝白山神社の宝印、再興シンポジウム
令和6年(2024年)4月21日(日)13時30分より、長滝白山神社拝殿にて、長滝白山神社の宝印、再興シンポジウムが行われた。神社の歴史と文化を再評価し、現代におけるその意義を再確認するための重要なイベントである。このシンポジウムには、地域住民や学者などの参加者が集まった。
(b)シンポジウムの目的
長滝白山神社の宝印制度とその歴史的意義を再評価し、現代社会におけるその役割を探る。地域住民や関係者とともに、神社の文化遺産の保存と活用方法を検討し、将来的な取り組みを計画する。
(c)シンポジウムの内容
基調講演:戦国武将から吉原遊女まで広く利用された長滝起請文の意義
対談:瀬戸薫氏(瀬戸菅原神社宮司)、若宮多門氏(長滝白山神社宮司)
昔、日本では保証や契約などをする際に、神仏に誓約する「起請文」を取り交わした。家臣への領地安堵の証文や大名間の軍事同盟の締結・合戦の和睦の外交文書として起請文を用いた。起請文は、平安時代後期に生まれ、神仏に近いを立て破ったならば、神仏の罰を受ける旨を記した誓約書である。中世になると寺社の発行する「牛王宝印」という魔除けの護符の裏に書かれ、長滝白山神社では、「白山滝寶印」が押してある。
(d)シンポジウムの様子
(e)牛王宝印
平安時代から社寺が発行し、信者に授与した護符。牛の体内にできた五黄(胆石)や牛王(胃石)が、高貴薬として重用されたので、病魔除去にも効験があると信じられた。これを朱に混ぜて朱肉として印(宝印)を捺すので、牛王宝印や牛王と呼ばれるようになった。
社寺では、正月の修正会、2月の修二会など、初春の儀式の中で、社寺名を書いた(木版で印刷した)料紙の上に印を捺して作製し授与した。白山の美濃馬場では、修正会の正月6日に作製される護符であった。本来は「護る神」として、身体安全、病気平癒、水口祭(豊作祈願)に用いられていた。
(f)起請文
起請文(誓紙・誓詞)は、誓約の内容を記した「前書」と、誓約を違えた場合に罪をこうむる神仏の名を列記(勧請かんじょう)した「神文(罰文)」からなる。起請文に牛王宝印が用いられるのは鎌倉時代後期から。神文を書き継ぐことによって、「怒る神」に変化させられたと考えられる。護符や「一味神水」(団結のために焼却した灰を神水に浮かべて飲む儀式)により、残存資料は多くない。
(g)白山権現牛王宝印
延元元年(1336年)5月、美濃国茜部荘(現岐阜市)の荘民達が領主東大寺に誓約。至徳3年(1386年)10月、宗妙が大徳寺如意庵領尾張国松枝荘(現愛知県一宮市)に関して不正を行わないことを誓った。いずれも、「白山権現牛王宝印」を用いているが、このあと戦国期に用いられるのは、美濃長瀧寺から授与される「白山瀧宝印」が中心になっていく。
(h)徳川家康と白山瀧宝印
「白山瀧宝印」を最も有効に用いたのは、徳川家康。家康より先に今川氏が用いていた形跡があるが、残存史料は少ない。永禄4年(1561年)から松平元康、家臣への知行充行(ちぎょうあてがい)や本領安堵に多用する。「白山瀧宝印」のデザインは、二種類あり、入手系統が複数あった。元亀元年(1570年)10月、上杉謙信との密約を経て、天正10年、北条氏規(うじのり)の身体保護を誓うまで、「白山瀧宝印」を用いる。勧請神は、「富士・愛宕・白山」が中心。天正10年以降、「熊野牛王」を用いるようになり、勧請神も「伊豆、根両所権現、三嶋大社、八幡大菩薩、天満大自在天野神」の五神になる。伊豆、箱根、三嶋は源頼朝が崇敬。五社は御成敗式目(貞永式目)の起請詩。のちに、五社は江戸幕府が定める基本型(式目神文)になる。
(i)織豊政権と白山権現
白山宝印は用いなかったが、白山権現を「起請の神」として全国に定着させたのは、織豊政権である。織田信長は天正8年(1580年)の大阪本願寺との講話に、熊野牛王だが「八幡・春日・天満天神・愛宕・白山」の五神を勧請した。羽柴秀吉は天正7年(1579年)6月、中川清秀に兄弟の契約し、「八幡・愛宕・白山」を勧請した。霊社上巻起請文は、熊野牛王を3〜7枚使って、膨大な字数で全国の神仏を勧請する形式で、戦国末期に近江国で始まったと見られる。秀吉は文禄4年(1595年)の秀次事件の際に採用した。慶長4年(1599年)前田利家の死まで続いた。
(j)前田家と加賀藩の起請文
前田利家が「白山瀧宝印」を用いたのは、天正13年(1585年)に菊池武勝に対してのみであった。他の2通は「那智瀧宝印」に「愛宕・白山」を勧請した。1通は「霊社上巻」。前田利長は、「那智瀧宝印」3通に「富士・白山・愛宕」を勧請した。1通は霊社上巻。加賀藩士の役職就任・家督相続等の誓約書(起請文)に神文の残るものは僅かである。
(k)「白山権現」の広がり
佐竹・武田・毛利・細川・島津(琉球王国を含む)等の大名・家臣に倒多した。武田信玄は天文15年(1546年)7月、「春日」源助充ての誓詞に「富士・白山」とあり。直江兼続は慶長9年(1604年)10月、本多政重を婿養子に迎える起請文案に「あた子・はく山」とあり。
(l)白山牛王発行権をめぐる訴訟
寛永13年(1636年) 長瀧寺、二諦坊(にたいぼう)(遠江国浜松)の牛王発行を幕府に訴える。
寛永18年(1641年) 長瀧寺、二諦坊の三河・遠江・駿河における牛王配布を幕府に訴 える。
寛永21年(1644年) 幕府、二諦坊の三カ国配布を認め、越前国石徹白の配布を禁ず。
正保2年(1645年) 長瀧寺、再度出訴。一山全員七日間の護摩執行し、勝訴を祈願。
正保3年(1646年) 長瀧寺、二諦坊が新たに板木を起こし牛王礼を配布するを訴える。
正保4年(1647年) 長瀧寺の牛王配布に、二諦坊派が集団で暴行、檀那帳以下を押収 と訴える。
慶安元年(1648年) 二諦坊、家康以来の配布権を主張す。幕府、二諦坊を承認。
二諦坊は、この後、幕府滅亡まで毎年歳末、江戸城に登城拝礼。
寛保3年(1743年) 幕府、石徹白村・加賀国尾添村との相論に、越前平泉寺の主張を認める。敗訴した長瀧寺と石徹白村は牛王札の発行を禁止される。長瀧寺は、平泉寺の許可を得て、牛王発行を継続した。
宝暦10年(1760年)7月 長瀧寺、世上困窮により、平泉寺へ許状と板木の返納を申し 合わせ、毎年の金100疋納入の停止を申し入れる。
宝暦10年(1760年)9月 平泉寺の了承により、長瀧寺、「向後白山御礼・牛王等一切何方へも」配らないことを確約して、板木を返納する。
(m)牛王宝印と起請文の文化的意義
牛王宝印と起請文は、白山信仰の文化と歴史において大切なものである。これらは信仰の象徴であり、社会的な契約や約束の証拠として使われてきた。
牛王宝印と起請文は、神聖な儀式で使われ、信仰のシンボルとしての役割を果たしている。これにより、信者の信仰心が強まり、神聖な絆が生まれる。
起請文は、約束や契約の証拠として、個人や団体の間で信頼関係を築くために使われていた。これにより、社会の秩序が保たれ、誠実な関係が築かれる。
牛王宝印と起請文は、歴史的な文化遺産としての価値がある。これらの遺産は、地域の歴史や信仰を伝える貴重な史料であり、保存と研究が進められている。
(n)牛王宝印と起請文のデジタルアーカイブ
牛王宝印と起請文を保存し、デジタルアーカイブすることは、地域の文化を守り、広めるために大切な取り組みである。以下に、具体的な保存方法とデジタルアーカイブの方法を示す。
牛王宝印と起請文は、適切な環境で保存する。温度や湿度をきちんと管理し、劣化を防ぐための対策を行う。定期的に点検と修復を行い、保存する。
高解像度の写真やスキャンデータを使って、牛王宝印と起請文をデジタル化する。これにより、物理的な劣化のリスクを減らし、誰でもアクセスできる形で保存することができる。デジタルデータには、検索や閲覧が簡単になるようにメタデータをつけて整理する。
牛王宝印と起請文のデジタルアーカイブを利用して、教育プログラムや展示を行う。これにより、地域の歴史や信仰についての理解を深める。学校や博物館、図書館などと連携し、デジタルコンテンツを提供することで、地域の文化を広める。
(o)デジタルアーカイブにおける今後の展望
牛王宝印と起請文を保存し、デジタルアーカイブ化することは、今後続けていくべき重要な取り組みとなる。以下に、今後の計画を述べる。
牛王宝印と起請文だけでなく、関連する全ての文化遺産をデジタルアーカイブする。これにより、地域の文化遺産全体を理解できるようになる。
デジタルアーカイブを通じて、次の世代に地域文化を伝える取り組みを強化する。若い人たちが地域の歴史や信仰に興味をもち、積極的に関わることができる機会を提供する。
さらに、海外の大学や文化団体と協力し、国際的な視点で保存と研究を進める。これにより、白山信仰の文化遺産が世界中に広まっていくことが期待される。
牛王宝印と起請文は、白山信仰のシンボルであり、地域文化の大切な部分である。これらの遺産を保存し、デジタルアーカイブを通じて広く知らせることで、地域の歴史と信仰を次の世代に伝えることができる。
(p)長滝白山神社の宝印、再興シンポジウムの成果と影響
長滝白山神社の宝印、再興シンポジウムは、地域社会と白山信仰の未来に向けた重要なステップとなったと考えられる。
シンポジウムを通じて、長滝白山神社の歴史的意義が再評価された。これにより、地域住民の間で白山信仰に対する理解と関心が深まった。白山信仰の継承と発展に向けた具体的な方針が共有され、地域全体での協力体制が強化された。
(q)今後の展望
長滝白山神社の宝印、再興シンポジウムは、地域の文化を守り、次の世代に伝えるための大事な一歩である。以下に、今後の活動の方向性について述べる。
シンポジウムで得た成果をもとに、続けて活動を進めていく。定期的にミーティングを開き、進捗を確認しながら活動を改善していく。
地域内外の関係者との協力を強化し、幅広い協力体制を作る。大学や文化保存団体と一緒に研究やプロジェクトを進め、白山信仰の文化遺産を深く理解し、保存を進める。
国際的な視点をもち、白山信仰の文化遺産を世界に発信する。海外の大学や文化団体と連携し、共同プロジェクトや研究を通じて、白山信仰の価値を国際的に認識してもらう。
長滝白山神社の宝印、再興シンポジウムは、地域の歴史と文化を見直し、将来に向けた具体的な取り組みを計画する重要な機会となった。これにより、白山信仰の文化遺産が次の世代に渡って保存・継承され、地域社会の発展に役立つことが期待される。
(1)牛道再考プロジェクト
2024年7月21日(日)牛道再考プロジェクトとして、「牛道を歩こう!〜Walk On Oxroad」体験イベント 牛道ウォークトライアルイベントが開催された。牛道地区の地域資源の再発見を目的とした取り組みである。
古くからの地域名称である「牛道」を歩いて探る古道クエストである。牛道の旧道がどのような場所を辿っていたのか、どのような目的の路であったのかを知るための調査ウォークである。牛道の古道の探索とともに、この地域の歴史を深掘りするために行われた。
(a)プロジェクトのテーマ
古くから親しまれてきた地域名称である「牛道」が、地域から消えつつある。今や、小学校、派出所、郵便局にその名が残るのみである。1956年に白鳥町へと合併する前までは、白鳥の東部地域をカバーする一つの村であった。明治の町村制施行前には、この地域は牛道郷と呼ばれていて、牛道という名称はかなり古い呼称であったはずだが、それがいつの時代まで遡れるかははっきりしていない。
牛道の歴史を考える上で、重要なテーマは二つある。
① テーマ1「六ツ城と猪俣氏の歴史」
六ツ城の城主であったといわれる猪俣氏の来歴は、関東武士の源氏の一統といわれ、その祖先は小平六を名乗り、源平の合戦に名前を残している。当時、小平六がこの地に城を構えていたとするならば、その理由がなくてはならない。
鎌倉から京都へは、大きな山脈を越えなくてはならない中部日本で、山の峠や尾根道を越える軍用路が発達しており、郡上や飛騨の東部地域には「鎌倉街道」という呼称が残る旧道が多数ある。関東武士がこの地域に住み着いたのも、その軍事的重要性があったからかもしれない。平安期から、鎌倉期に変わる頃の地域の情勢から、その歴史を実証的に検証する必要がある。
② テーマ2「牛道の名称となった理由」
牛道(郷)という地名となった理由として、一般的に長滝白山神社との関係で語られることが多いが、それは強権付会の説と言わなくてはならない。「牛でたくさんの物資を各地に運んだ道であった」事実が、「長滝の山門をくぐれなかった」こととされ、「白山の神は牛が嫌い」という俗説が後付けされたと考えられる。牛道が、中世当時の東西社会をつなぐ主要幹線であったということは考えられないだろうか。牛道の街道としての重要さを、中世の地勢や史実から読み解いていく必要がある。
以上の二つのテーマを中心に地域の歴史を再考し、深掘りしていく。
(b)牛道地区の位置
牛道地区は、岐阜県郡上市白鳥町の東部に位置している。白鳥町は、長良川の上流にあり、北には白山連邦がそびえる。西に福井県大野市の穴馬地区があり、九頭龍川が白鳥町石徹白まで遡り、そこが源流である。東は飛騨へ抜ける山道があり、昔は牛と馬が行き来をしていた街道である。北へは富士、金沢へ行く街道が古くからあり、庄川が流れている。南へは長良川を下り岐阜、名古屋に出る。この地域は古くから交通の要衝であり、京都からの搦手(からめて)道として利用され、歴史の秘話も多く残っている。それは美濃馬場である白山中居長滝寺の「荘厳講執事帳(しょうごんこうしつじちょう)」の余白に書かれた、当時のお坊さんの落書きが第一級資料になる。
(c)猪俣小平六
白山山麓を流れる、長良川の源流に牛道川と阿多岐川があり、二つが合流する場所に六つ城はあった。猪俣小平六の城を、六ツ城という。猪俣小平六範剛は猪俣党の宗家で、剛勇無双とうたわれ、保元の乱(1156年)には義朝に従って白川殿を落とし入れ、平治の乱(1159年)では源義朝17騎の一人として悪源太義平に従い、待賢門で平重盛の500余騎と激しい攻防戦を展開している。勇壮華麗な戦いぶりは不朽の名作「平治物語」に描かれている。
小平六は、京に屋敷を構えてほとんどそこにいて、源頼朝に従って働いていた。そして平清盛の屋敷を行き来していた。
保元の乱では清盛と義朝は良き競争相手で、二人とも朝廷に入り込んでうまく仕事をしていたが、3年後の平治の乱では、二人は争うことになる。その下で、小平六は平清盛とよく話をしていた。平治の乱で、義朝ら一行は大垣の青墓に逃れてきた。その時、小平六もお暇を申し付けられ、六ツ城に帰ってきた。
宇治川の戦いでは、小平六は源範頼のもと、瀬田の側から京の義仲を攻めた。そこで、明宝の名馬、磨墨が先陣争いをした。明方(明宝)は、名馬磨墨の里というが、小平六が頼朝に、名馬が明方にいるという話をした。穴馬は牛道の西方に、明方は東側の位置にあり、それぞれ油坂峠と大洞峠で分かれているが、六ツ城はその中間にある。名馬磨墨を源頼朝に紹介した小平六は、関東に行き来する中で、明宝(明方)気良を通っていた。小平六はおそらく、関東と京を行き来するのに、この六ツ城が便利な中継地と考えたと推測される。六ツ城から飛騨高山の安房峠を越えて松本、軽井沢と東山道を行くと、武蔵の猪俣館に行くことができる。
また、猪俣小平六の末裔の猪俣五平次は戦国時代の豊臣秀吉や徳川家康の時代に名前が残っている。
(d)当時の長滝白山神社
奥州の藤原秀衡が白山信仰に熱心で、加賀、越前、美濃の三番馬の白山神社に藤原秀衡は梵鐘や狛犬を寄進している。長滝の宋版一切経は、平清盛と源頼朝、そして藤原秀衡が南宋から持ってきた。白山中宮長滝寺は、長良川の上流に位置し、檜峠(三国峠)を超えて石徹白の白山中居神社から白山へ登拝するところを美濃禅定道といい、当時は「上り千人下り千人九里八町雀の身踊り」と唄われ、多くの人が美濃馬場から白山へ登っていた。
長滝寺は当時、比叡山延暦寺の別院であった。猪俣小平六は、源義経を案内したことから、白山中宮長滝寺への出入りは自由だった。そして、六ツ城はその長滝寺の寺領の中にある。
(e)猪俣五平治と猪俣五平次
六ツ城は、猪俣五平治と猪俣五平次の名前が二代続き、同じ名の父と子が城主で続く。越前州が来襲し、大和の篠脇城を攻めた時、活躍した猪俣五平治、そして信長から秀吉の時代に活躍する息子、猪俣五平次の二人の記録が残る。猪俣五平治は篠脇城の戦いで名前が残り、猪俣五平次は小牧長久手の戦いで戦死している。
篠脇城の戦いは、1540年8月25日から9月23日の約1ヶ月間の戦いであった。長い期間こう着状態が続いたが、朝倉の背後から五平治と遠藤盛数が篠脇城を攻めて、挟み撃ちした。朝倉は中津屋から、大島の安養寺を避けて、油坂へ逃げた。別の者たちも、栗巣経由で牛道の羽土の山を伝いに油坂へ逃げて行った。油坂で安養寺の門徒衆と朝倉都が戦い、兵の死骸で、三日間通行ができなかった。人の血が油のように流れて、今も油坂と言われている。油坂は越前穴馬と美濃白鳥の県境にある。
戦いの時、東常慶が篠脇城主だった。そこから、東氏と遠藤氏の勢力分野が変わっていくことになる。猪俣五平次範隆の父、猪俣五平治義綱は、篠脇城を攻める越前衆を背後から襲い撃退した。その後、東常慶は、自慢の娘を猪俣五平治に嫁がせ、五平次を産んでいる。それは、五平次が東氏の血統を受けていることにもなる。この騒動について、白山中宮長滝寺の荘厳講執事帳には越前乱入と書かれているが、遠藤記では朝倉氏と書いている。朝倉氏は篠脇城を落とし、北陸の搦め手道として郡上から飛騨・越中への裏道を確保することを考えていた。朝倉勢は石徹白を迂回して、長滝寺に入り陣を置き、1ヶ月間侵攻したが、篠脇城を落とすことはできなかった。そこには、猪俣五平治と遠藤盛数の働きがあったと言われる。
(e)牛道旧街道
牛道旧街道は、その歴史を11世紀(1100年代)に遡ることができ、当時は京都への主要な道として機能していた。この時代、越前を上位とする道筋が重要視され、地域の交通網の中核を担っていた。しかし、400年後の15世紀(1500年代)になると、交通の要所が八幡へと移行し、新たな主要路が形成された。この時期には、恩地から那留、そして八幡へと至る道が主要な経路として発展した。
これら二つの異なる時代の旧道は、現代においてもその痕跡を残しており、歴史的な価値とともに地域の文化遺産として重要な役割を果たしている。現存するこれらの旧道は、歴史的な遺産として保存されるべき貴重な資源である。旧道の保存と活用を通じて、地域の歴史や文化を次世代へと伝えることができる。また、旧道を巡る観光資源としての活用も期待され、地域経済の活性化にも寄与する可能性がある。
牛道旧街道は、11世紀と15世紀の異なる時代における交通の要所として、地域の発展と変遷を象徴する重要な歴史的資産であり、現代においてもその価値を再評価し、適切に保存・活用することが求められる。
(f)成果と影響
プロジェクトの成果として、いくつかの重要な旧道の区間が再発見され、デジタルアーカイブとして保存された。これにより、地域の歴史的価値が再評価され、観光資源としての可能性も広がった。また、住民との協働により、地域社会の歴史に対する関心と理解が深まった。
現代では、車のための道路がメインとなり、旧道は次第に消えつつある。このような背景の中で、旧道をデジタルアーカイブすることには大きな意義がある。デジタルアーカイブを通じて、これらの歴史的な道を保存し、後世に伝えることができる。
(g)将来的な展望
今後は、デジタルアーカイブを活用して、牛道地区の旧道をテーマにした観光ルートの整備や、歴史教育プログラムの開発にも繋げることができる。また、継続的な調査と記録の更新を通じて、地域文化の保存と活用をさらに推進していく。
牛道地区の旧道探索プロジェクトは、地域の歴史的価値を再発見し、広く発信する重要な取り組みである。このプロジェクトを通じて得られた知見は、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの充実に寄与するだけでなく、地域社会の文化的資源としても重要な役割を果たすことが期待される。
第3章 郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける記録の方法
1.郡上白山文化遺産デジタルアーカイブ
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブでは、郡上白山文化遺産の世界遺産登録への整備と新たな観光資源の発掘を目的とし、建造物、建築物群を含めた伝統文化遺産の新たな観光資源の発掘、衰退する白山文化遺産の記録、白山文化遺産の県域(岐阜・石川・福井)を超えた白山文化遺産デジタルアーカイブの構築を進めている。
(1)アーカイブの背景と目的
岐阜女子大学のデジタルアーカイブ専攻では、長年にわたり研究・蓄積された「地域資源デジタルアーカイブ」を効果的に活用する。新たな価値を創造するため、「知的創造サイクル」を生かして地域課題を探求し、進化させ課題の本質を探り、実践的な解決方法を導き出す人材養成を目的としている。郡上白山文化遺産について、地域と連携をして開発を進め、地域資源デジタルアーカイブとしての構築を進めている。「地域創造サイクル」を実現するための「知識循環型デジタルアーカイブ」による新たな価値の創造について調査・研究することが目的である。
(2)アーカイブ計画
郡上白山文化遺産のデジタルアーカイブ(文化遺産の収集と調査、建造物・建築物群の歴史的な価値の調査、白山信仰の三馬場の調査)において「知の増殖型サイクル」を構成し、世界遺産への登録を支援する。これは、記録→活用→創造という循環サイクルのことをいい、これをデジタルアーカイブのサイクルとして捉えると、収集・保存した情報を活用・評価することにより、新たな情報を作り出すというサイクルとして捉えることができる。
郡上白山文化遺産の調査、建造物、建築物群の歴史的・文化的価値の調査ならびに白山信仰の三馬場の調査を綿密に行い、デジタルアーカイブ研究により、新たな観光資源の発掘を支援できる。
(3)実施内容
地域資源データベースのシソーラスや索引語(キーワード)の統一化をする。既存の地域資源データに新たな資料を追加し、オープンデータ化を進める。
地域の課題を抽出し、大学の知識を集約して知識循環型デジタルアーカイブを構築する。社会的経済効果と意識的効果を測定し、地域資源の活用効果を実証する。
地域資源デジタルアーカイブを活用し、学生が新たな価値を創造する知的創造サイクルを実証する。地域の課題に対する実施的な解決方法を研究し、地域に貢献する。
(4)地域への影響
社会経済効果の定量的な分析を通じて、地域の伝統文化政策の立案や財源確保に役立てる、地域資源デジタルアーカイブの知識循環型デジタルアーカイブモデルを構築し、地域の課題解決に貢献する。地域資源を有効に活用するための教育や研究を進め、地域の発展に寄与することを目標としている。郡上市の白山文化博物館では、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブを利活用したデジタルサイネージを展示している。
2.郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの記録・管理方法
高解像度カメラを利用し、建造物や祭り、行事の撮影をする。集めたデータには、細かい説明(メタデータ)をつける。これにより、データベース内で情報を探しやすくし、研究者や一般の人が必要な情報にすぐにアクセスできるようになる。
デジタルアーカイブには、地図の情報(GIS)を組み込み、各遺産の正確な場所を示す。これにより、ユーザーは地図上で遺産の場所を確認でき、現地を訪れる計画を立てるときにも便利である。
集めたデータは、ウェブサイトで管理される。データの保存、整理、検索機能を提供し、利用者が簡単にアクセスできるように作られている。
3.石川県・福井県の地域資源デジタルアーカイブ
(1)世界遺産への提案
平成18年11月29日、石川県、福井県、岐阜県、白山市、勝山市、郡上市の3県3市によって、世界遺産暫定一覧表記載候補提案書「霊峰白山と山麓の文化的景観」を文化庁に共同提案した。文化審議会文化財分科会世界文化遺産特別委員会より、世界遺産暫定一覧表に追加記載することが適当とされた文化遺産が公表されたが、「霊峰白山と山麓の文化的景観」は、課題を踏まえて、主題及び構成について引き続き検討していくことが必要な「継続審議」案件とされた。
世界文化遺産特別委員会より示された諸課題を解決し、再提案の内容の充実を図るため、学識経験者による専門部会を開催したほか、関係自治体による協議を重ねた。
平成18年度提案自治体のほか、小松市(石川県)、大野市(福井県)、高山市・白川村(岐阜県)が加わり、3県6市1村として、再提案書「霊峰白山と山麓の文化的景観-自然・生業・信仰―」を文化庁に共同提案した。
平成20年9月26日付け文化庁の発表により、「世界遺産暫定一覧表(暫定リスト)」への追加記載が適当とされず、現時点においては、世界遺産としての顕著な普遍的価値を有する可能性が高いとまでは評価されなかったため、「世界遺産暫定一覧表(暫定リスト)候補の文化遺産」のカテゴリー2として整理された。
(2)石川県のデジタルアーカイブ
石川県は、白山信仰が始まった場所であり、郡上市と同じように豊かな文化遺産がある。石川県では、デジタルアーカイブを使って、地域の歴史や文化を保存し、多くの人に広めている。
(a)白山比咩神社のデジタルアーカイブ
白山比咩神社は、白山信仰の中心となる神社で、古くから続いている。この神社の祭りや儀式、建物の詳細をデジタル化して、インターネットで公開している。高画質の写真を使っているため、参拝者や研究者は現地に行かなくても、見ることができる。
(b)地域文化のデジタル保存
石川県は、地域の伝統芸能や公言品のデジタルアーカイブも進めている。特に、加賀友禅や九谷焼などの伝統工芸品を詳細に記録し、教育資料として活用している。地元の博物館や美術館と連携し、デジタルコンテンツを作成してオンラインで公開している。
(c)石川県立図書館デジタルコレクション
SHOSHOは石川県立図書館が所蔵する約100万点以上の資料の中から、情報を素早く、簡単に、楽しみながら、見つけることができる資料検索サイトである。「さがす」、「手にとる」、「つかう」の3つの大きな特徴がある。
石川県図書館デジタルコレクションは、地域の歴史や文化に関する貴重な資料をインターネットで公開している。江戸時代に描かれた絵図や古文書など、さまざまな種類の資料をデジタル化し、高画質の画像と一緒に提供している。資料はテーマごとに整理されており、使いやすい検索機能で効率よく見つけることができる。使いやすいインターフェースで、誰でも簡単に資料にアクセスできる。これらの資料は、地域の歴史や文化に関する教育的な価値が高い。貴重な文化財を守るためにも役立っている。
(3)福井県のデジタルアーカイブ
福井県もまた、白山信仰と深い関わりをもつ地域であり、デジタルアーカイブを活用して地域文化の保存と普及を進めている。以下に福井県の具体的な取り組みについて述べる。
(a)平泉寺白山神社のデジタルアーカイブ
神社の歴史や建物、文化に関する詳しい情報や、高画質の写真がたくさん集められている。境内の案内図や、出来事の年表などの資料も豊富である。また、神社の歴史や文化の意味についても詳しく説明されている。情報はテーマごとに整理されており、誰でも簡単に探せるように設計されている。境内の案内や年中行事など、参拝者に役立つ情報も充実している。研究者や一般の人々にとって、貴重な情報源であり、教育や文化の普及にも大きく貢献している。
(b)デジタルアーカイブ福井
デジタルアーカイブ福井は、福井県文書館と福井県立図書館、福井県ふるさと文学館の3館共同のアーカイブシステムとして、2019年4月から運用を開始した。資料の目録情報を中心に、一部資料についてはデジタル画像を公開している。デジタルアーカイブ福井は、福井県の地域資料の総合的なデジタルアーカイブを目指しており、関係機関との連携・協働を進めている。
デジタルアーカイブ福井の参加館の所蔵資料を中心に、著作権保護期間が満了したものについては、資料画像右下にパブリックドメインマーク(PDM、著作権なし)を表示している。また、1968年以降に福井県広報課が撮影した広報写真については、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの「表示ライセンス」(CC BY、著作権者のクレジット表記を条件に利用可能)を表示している。このほか、明治時代の新聞画像の ウェブ公開や、福井藩関係資料の全文翻刻テキストのデータセットなど、オープンデータ化を進めている。
「デジタル資料」(福井県の行政刊行物のPDF版)は図書館OPACでも検索することが可能で、検索結果画面の「デジタルアーカイブを開く」ボタンから、「デジタルアーカイブ福井」の目録画面に遷移できる。これにより、OPAC検索からPDF閲覧までをシームレスで行うことができる。また、「人物文献検索」では、参考文献タイトルをクリックするとOPACの書誌情報に遷移し、当該資料の詳細な書誌や貸出状況を確認できる。
デジタルアーカイブ福井は、国立公文書館デジタルアーカイブ、国立国会図書館NDLサーチ、ジャパンサーチ、みんなで翻刻の外部機関との連携によって、福井県街・国外においても幅広く活用されている。
(c)FUKUI MUSEUMS デジタルアーカイブ
福井県内の博物館や美術館からの展示品、歴史的資料、文化財をデジタル化している。展示品や資料の詳細な画像を提供し、オンラインでの鑑賞を可能にしている。テーマ別や施設別に整理され、利用者が簡単にアクセスできるデザインである。利用者が特定の資料や情報を迅速に見つけられるよう、詳細な検索機能を提供している。福井県博物館協議会加盟施設の協力のもと、福井県立歴史博物館事務局により管理されている。サイト上で使用されている文章や画像の転載・使用は禁止としている。利用者は公正な利用を心がけることが重要である。
(4)郡上白山文化遺産デジタルアーカイブとの比較
いずれの地域も、白山信仰に関する文化遺産のデジタル化を積極的に進めている。高品質な写真を使って詳細な記録を残し、それを教育や研究のために活用している。地元の学校や大学と協力し、歴史や文化の学びに役立てている。また、デジタルアーカイブのコンテンツを観光の広報にも使って、地域の魅力を広めている。
テーマごとのデータ管理や、検索機能により利用者が簡単にアクセスできるように工夫している。利用者が著作権を侵害することなく、情報の活用ができるように配慮している。
石川県では古い絵図や古文書などの歴史資料を中心にデジタル化を進めている。福井県では歴史的な文書や新聞記事、写真など幅広い資料をデジタルで保存している。そして、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブでは、白山信仰や関連する文化全般にわたる広範な情報を集めている。石川県・福井県の県域を超えた文化遺産のデジタルアーカイブを行なっている。
(5)他地域との連携と未来展望
石川県や福井県と協力して、デジタルアーカイブ運営での知識や技術を共有し合い、互いの資料の質を向上させる。共同で白山信仰に関するプロジェクトを立ち上げ、複数の地域の詳細なデジタルアーカイブを一つの場所で見られるようにする。これによって、利用者が便利に資料にアクセスできる環境を提供する。
さらに、海外の大学や文化団体とも連携して、国際的なデジタルアーカイブの展開を目指す。白山信仰の文化遺産を世界に広く知ってもらい、国際的な関心を集める。郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、他の地域と連携し合いながら、地域の文化を守り、次世代に伝えるための重要な成果をあげることができる。
4.地域資源デジタルアーカイブにおける記録・管理の問題点
(1)記録方法の問題点
記録方法には次のような問題が存在する。まず、複数枚の画像が並べられている場合、記録した地点が不明瞭であることが挙げられる。これにより、どの写真がどの地点を示しているのか、具体的な場所の特定が難しくなる。また、写真に映っている対象物が何を示しているのかが明確でない場合もあり、情報の解釈に困難を伴うことがある。さらに、建造物を単体で撮影すると、その建造物が全体のどの位置にあるのか、周囲との位置関係が分かりづらくなる。このため、記録された画像が全体の文脈においてどのような意味を持つのかを理解するのが難しくなる。
一方向からのみ撮影された画像では、対象物の側面や背面の様子が分からないため、全体像を把握することができないという問題もある。位置情報については、Googleマップを使用することでおおよその場所を把握することは可能であるが、実際にその場所がどのような環境にあるのかを詳細に理解するのは難しい。たとえば、周囲の建物や自然環境、交通の状況などの文脈的な情報が不足していることが多い。
撮影日が記載されている場合、季節についての情報は得られるが、時間帯が不明であるため、光の状態や影の方向、周囲の活動状況など、撮影時の具体的な状況を把握するのが難しくなる。これにより、同じ場所で異なる時間帯に撮影された場合の比較が困難になるという問題が生じる。
さらに、資料に十分なメタデータが付与されていない場合、検索性が低下する。メタデータには、撮影場所や日時、撮影者、対象物の説明、関連する歴史的背景などが含まれるべきであり、これらの情報が不足していると、後で資料を検索・利用する際に大きな障害となる。メタデータの欠如は、デジタルアーカイブの利便性を損ない、貴重な情報が埋もれてしまう原因となる。
メタデータは、デジタルアーカイブの情報を効率的に管理し、利用者が必要なデータにアクセスしやすくするために欠かせないものである。メタデータは、デジタルオブジェクトに関する詳しい情報を提供し、保存、検索、アクセスを助ける。また、デジタルオブジェクトの特性や内容を説明する。これにより、データを効果的に管理することができ、アーカイブ内のデータの整合性を保つことができる。
利用者がデジタルアーカイブ内の情報を検索し、アクセスする際に大切である。適切なメタデータがあれば、利用者は必要な情報をすぐに正確に見つけることができる。
デジタルデータの長期保存には、メタデータが重要な役割を果たす。保存に関する情報やデータの更新履歴を記録することで、将来的にデータを利用しやすく、管理もしやすくなる。
(2)管理方法の問題点
次に、管理方法における問題点を指摘する。郡上白山文化デジタルアーカイブのページにデータが一括でまとめて管理されているため、データを開かない限り、そのデータが岐阜県、石川県、福井県のうちのどこで、いつ撮影されたものなのかがわからない。このような一括管理の方法では、個々のデータの特性や背景情報が埋もれてしまい、利用者にとって情報の探索や利用が非常に非効率になる可能性がある。
特に、撮影場所や撮影日時が明確に示されていない場合、特定の場所や時期に関する調査を行う研究者や、地域の歴史的変遷を追いたいと考える利用者にとっては、大きな障害となる。例えば、ある特定の遺跡や文化財がどのように変遷してきたかを追跡する場合、撮影データの時系列や地理的な位置情報が欠けていると、その研究の精度や信頼性に影響を与えることがある。
さらに、今後も記録データが増え続ける見込みであるが、それに伴い、データの検索や利用に時間がかかることが懸念される。データ量の増加に対応するためには、効率的な管理システムの導入が必要である。例えば、メタデータの充実や、データベースの検索機能の強化、ユーザーインターフェースの改善などが考えられる。これにより、利用者は必要な情報を迅速かつ正確に取得できるようになり、アーカイブの利用価値が向上する。
また、データの検索性を向上させるためには、タグ付けやキーワード検索の導入も有効である。具体的には、撮影場所、日時、対象物の種類、関連する歴史的出来事などの情報をタグとして付与し、利用者がこれらのタグを使ってデータを検索できるようにすることで、利用の利便性が格段に向上する。また、視覚的なサムネイルや地図上での表示機能を追加することで、利用者が直感的にデータの位置関係を把握できるようになる。
管理方法の改善には、定期的なデータの更新とメンテナンスも重要である。新しいデータが追加された際には、既存のデータとの整合性を確認し、必要に応じてメタデータの更新や修正を行うことで、アーカイブ全体の一貫性と信頼性を維持することが求められる。このように、効率的で使いやすい管理システムの構築と維持が、デジタルアーカイブの成功に不可欠である。
第4章 新たな地域資源デジタルアーカイブの記録・管理方法
1.新たな地域資源デジタルアーカイブの記録方法
上記の問題を解決するためには、多方向撮影や多視点撮影を行うことが重要である。これにより、詳細で正確な記録を作成できる。さらに、各画像や資料に詳細なメタデータを追加することが求められる。これによって、情報の検索性が向上し、データベースの分類やタグづけを行うことで、地域ごとの情報を簡単に参照できるようになる。また、撮影場所や日時の詳細な記録を含めることで、資料の文脈を明確にすることができる。これらの取り組みを通じて、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、情報の効率的な管理と利用を実現することが期待される。
(1)多方向撮影の重要性
多方向撮影は、地域資源のデジタルアーカイブにおいて非常に重要な手法である。特に、郡上白山文化遺産のような複雑な環境や建築物の詳細を正確に記録するためには、多方向からの視覚情報が不可欠である。多方向撮影の具体的な手法とその意義について述べる。
(a)多方向からの撮影手法
多方向撮影とは、対象物を異なる角度から撮影し、立体的かつ全方位的な情報を収集する手法である。この手法により、以下のような効果が得られる。
記録場所に入る前に、周囲8方向(北、東、南、西、北東、南東、南西、北西)を撮影することで、場所の全体像を把握する。これにより、対象物の周囲にある道路や建物との位置関係が明確になる。
正面だけでなく、周囲8方向からの呪法を得ることで、建物や環境の詳細がより分かりやすくなる。例えば、建物のデザインや材質、劣化状況などを詳細に記録できる。
撮影時にカメラの時間情報を利用することで、撮影日時とともに時間帯も記録する。これにより、同じ場所でも時間帯による影響(例えば、日照や影の変化)を把握することが可能となる。
(b)実際の撮影手順
事前準備
撮影場所の地図を確認し、どの方向から撮影するかを計画する。特に、重要なランドマークや目印となる建物をリストアップする。
周囲8方向の撮影
撮影場所に到着したら、まず周囲8方向を順番に撮影する。各方向の撮影時に、カメラの設定(解像度、露出、ホワイトバランスなど)を統一することが重要である。
対象物の撮影
記録する対象物に接近し、再度周囲8方向を撮影する。対象物の細部がわかるように、適宜ズームやマクロ機能を活用する。
時間情報の記録
撮影した画像には、必ず撮影日時と時間帯を記載する。これにより、後からデータを整理する際に時間的な変化を容易に追跡できる。
多方向撮影は、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおいて、対象物の立体的な理解と詳細な記録を可能にするための重要な手法である。この手法を活用することで、将来の研究や保存活動において価値あるデータを提供することができる。
(2)多視点撮影の重要性
文化遺産のデジタルアーカイブでは、多視点からの撮影がとても重要である。これにより、対象物の詳細な記録が可能になり、立体的な理解も深まる。単一の視点では見逃してしまう情報も広く記録でき、保存や普及の質を向上させることができる。
多視点から、さらに多角度からの撮影を行うと、対象物を立体的に記録し、3Dモデルとして再現することができる。利用者はそれをさまざまな角度から見ることができ、より詳細に観察できる。この方法は、文化遺産の詳細な調査や分析に非常に役立つ。特に、建物や彫刻、工芸品などの複雑な対象物に対して有効である。また、文化遺産の保存や修復の際にも、多角度からの撮影記録は重要である。元の状態を細かく記録することで、修復の際の貴重な参考資料となる。
(a)多視点撮影の方法
静止画撮影
高解像度カメラを使用して、対象物をさまざまな角度から撮影する。撮影時には、三脚や回転台を使用してカメラの位置を固定し、一定の間隔で撮影を行う。
ビデオ撮影
高解像度ビデオカメラを用いて、対象物を360度の視点から連続的に撮影する。ドローンを使用して空中からの撮影も行い、広範囲の記録を可能にする。ビデオデータは、視点の変化をリアルタイムで記録し、インタラクティブなコンテンツの作成に利用される。
(b)多視点撮影の活用と展望
多視点撮影は、さまざまな分野で使われていて、これからもっと進化することが期待されている。教育では、授業や研究で重要な情報源となる。実物を見なくても、詳しいデジタルデータを使って学ぶことができる。研究者たちは、3Dモデルを使って新しい発見をすることができる。
観光業では、多視点撮影は観光地の宣伝に使われる。バーチャルツアーやARにより、観光客の興味を惹いて、訪れるきっかけになる。SNSやネット広告でたくさんの人に宣伝できる。
文化遺産の保存や修理には、多視点撮影が欠かせない。細かいデータを残して、正確に修理することができ、文化遺産の長期保存に役立つ。
2.新たな地域資源デジタルアーカイブの管理方法
(1)場所ごとの管理方法
場所ごとの管理は、アーカイブないの方法を地域別に整理し、迅速にアクセスできるようにするための手法である。この方法により、特定の場所に関する情報をすぐに把握することが可能となる。
郡上白山文化遺産のデジタルアーカイブは、岐阜県、石川県、福井県などの地域ごとに分類する。この分類により、特定の地域に関連する情報を簡単に検索し閲覧することができる。
各地域内でさらに詳細なサブカテゴリを作成する。例えば、岐阜県内では郡上市、美濃市などの地町村単位で分類し、それぞれの文化遺産に関する情報を整理する。
アーカイブに地図を組み込み、各場所の情報を地図上で視覚的に確認できるようにする。これにより、ユーザーは地理的な位置関係を把握しやすくなる。
(2)日毎の管理方法
日毎の管理は、時間軸に沿って情報を整理し、季節や時間帯による変化を追跡するための手法である。この方法により、特定の時期における変化やイベントの影響を詳細に記録・分析することが可能となる。
全てのアーカイブデータに撮影日と撮影時間を記載する。これにより、同じ場所であっても異なる時期に撮影されたデータを区別できる。
一年間を四季に分け、それぞれの季節ごとにデータを整理する。例えば、春、夏、秋、冬ごとの風景の変化や文化行事の様子を記録する。
日毎の管理に加えて、撮影された時間帯(朝、昼、夕方、夜)も記録する。これにより、同じ日の異なる時間帯における環境や光の変化を比較することができる。
各データにタグをつけることで、特定の条件に基づいてデータを簡単に検索できるようにする。例えば、冬景色、紅葉、祭りなどでフィルタリングできるようにする。
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの効果的な管理は、場所ごとおよび日毎の管理方法に基づいて行うことが重要である。この手法により、地域資源の詳細な記録と簡単なアクセスが可能となり、将来的な研究や保存活動に貢献することができる。
第5章 新たな地域資源デジタルアーカイブの試行
1.新たな地域資源デジタルアーカイブの試行
デジタルアーカイブの運営と管理において、試行は重要なプロセスである。これにより、新しい技術や方法が実際に役立つかどうかを確かめることができる。以下に、試行の目的とその重要性について述べる。
新しい技術や方法を導入する際、理論だけではうまくいくかどうかわからない。実際に使ってみて、技術や方法が役立つかどうかを評価することができる。試してみることで、実際の運用で出てくる問題点を事前に見つけることができる。これにより、本格的に導入する前に問題を解決し、スムーズに運用できるようになる。試行により、技術や方法を最適化し、運用環境に合わせた調整を行うことができ、効率的で効果的な運用が可能になる。
このように、新しい技術や方法を試してみることは、デジタルアーカイブの成功にとって非常に重要である。試行を通じて得られる実践的な評価や問題点の発見、そして最適化と調整が今後の運用をスムーズにする。
(1)試行計画と実施
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける試行の計画と実施方法について、具体的な手順を示す。
試行の目的と目標を明確にし、試行計画を立てる。計画には、試行の範囲、期間、使用する技術や手法、評価基準などを含める。
試行で使用する技術や手法を選定する。例えば、高解像度の写真撮影や、メタデータの作成などが含まれる。選定した技術や手法について、事前に十分な練習をし、試行に備える。
試行中に収集したデータを詳細に記録する。これには、技術や手法の使用状況、発生した問題点、解決策などが含まれる。データは、のちの評価と分析のために整理して保存する。
試行終了後、集めたデータを使って評価を行う。まず、評価基準に従って新しい技術や方法がどれだけ役立ったかを分析する。データを見ながら、どこを改善すればもっと良くなるかを考える。見つけた改善点に対して、具体的な改善策を実行する。このプロセスを通じて、新しい技術や方法をさらに改善し、次の運用に生かしていく。
(2)試行の具体例
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブにおける試行の具体例を以下に述べる。
新たな地域資源デジタルアーカイブの記録手法を用いて、詳細な撮影を実施した。撮影場所は、白山比咩神社、白山名敵神社、平泉寺白山神社、白山中居神社、石徹白地域、白川郷の6箇所に及び、それぞれの場所で多方向撮影、多視点撮影を行った。
データ管理においては、岐阜県、石川県、福井県の各地域ごとに分類した。全てのデジタルアーカイブデータには撮影日と撮影時間を正確に記載し、後の参照や検索が容易となるよう配慮した。また、対象物や地点ごとに詳細なメタデータを加え、その内容には歴史的背景、文化的意義、建築的特徴などが含まれている。
(a)白山中居神社
白山信仰と共に栄えた白山麓の集落、石徹白にある白山中居神社。神が座す神域である白山と、俗世である人の住む里の境界にあるこの地には、神様が中居りされるという。神社の境内には、大日孁貴(おおひるめのむち)はじめ諸々の神様が祀られ、縄文の古より山を降りてきた神が依り代とした磐境(磐境)に、いにしえからの信仰の姿が感じられる。
白山を開いた泰澄大師が養老年間に社城を拡張したと伝えられ、宮川のせせらぎと樹齢200年から1,000年の150本にもおよぶ杉の大木に囲まれた静かな場所にある。
本殿正面「粟に鶉(うずら)」「竜と脇障子」の彫刻は県の重要文化財に指定されており、周辺の150本を超える巨木の森「白山中居神社の森」および、背面にひろがる「ブナ原生林」、「浄安杉」は県の天然記念物となっている。
(b)石徹白地域
石徹白(いとしろ)は白山周辺に広がる白山国立公園の南山麓に位置する小さな集落である。石徹白は平安時代から鎌倉時代にかけての白山信仰が盛んな時代には「上り千人、下り千人、宿に千人」と言われるほど修行者の出入りで栄えた土地であり、近世(明治)まで神に仕える人が住む村としてどの藩にも属さず、年貢免除・名字帯刀が許されたところである。ゆえに「中世的支配体制」が明治になるまで維持され独自の文化が形成された。
最奥の「上在所集落」は夏は修験者や白山参詣の道案内と宿坊を営み、冬は「御師」として各地に信仰を広め御礼を配ることを生業とする人々の住むところであった。
古い土地柄から文化財が多く、中でも「大師堂」にある「虚空像菩薩」は国定重要文化財に指定されている。これは当時奥州を支配していた「藤原 秀衡」の寄贈とされ小さな村ながらも白山信仰の重要な拠点であったことがうかがえる。
また、最近の研究で「源 頼朝」の追尾を受けた「源 義経」が奈良吉野山から奥州平泉への逃避行の途中石徹白に逗留し、雪解けを待ち脱出した可能性があるとも言われ、石徹白に残る伝承にもそれを示唆する記述が見受けられる。
標高700メートルの高地にある集落のため夏は涼しく、昼夜の温度差により主要農産物であるとうもろこしは糖度がとても高くなる。石徹白産のとうもろこしは好評で今や日本中に出荷されている。冬は毎年3メートルを越える雪が積もり、ウィンタースポーツを楽しむ人々には絶好のロケーションである。郡上市白鳥町にある四つのスキー場のうち三つが石徹白に集中している。
反面、地域の生活者には厳しい雪国生活が強いられる。昭和30年代までは210戸1200人強の人々が住んでいたが、平成19年度の統計では117戸329人の内145人(44%)が65歳以上の高齢者と、過疎・高齢化が進んでいる。
(c)白川郷
白川郷は、日本の岐阜県に位置する美しい歴史的な村であり、その独特な建築様式で知られている。特に有名なのは「合掌造り」と呼ばれる伝統的な茅葺き屋根の家屋である。この名前は、両手を合わせた形に似ていることから名付けられた。合掌造りの家屋は、豪雪地帯の厳しい気候に対応するために設計されており、急勾配の屋根が雪を自然に滑り落ちやすくする機能を持つ。また、厚い茅葺き屋根は断熱効果が高く、冬の寒さから住民を守る役割も果たしている。
白川郷の集落は、数百年にわたる歴史を持ち、農業を中心とした生活が営まれてきた。特に稲作と養蚕が主要な産業であり、合掌造りの家屋は、養蚕に適した広い屋根裏部屋を持っていることが多い。この地域の文化や伝統は、住民たちによって大切に守られ、現在も多くの家屋が当時のままの姿で保存されている。
1995年には、五箇山とともにユネスコの世界遺産に登録された。その独特な建物や景観だけではなく地域に根ざした文化なども併せて世界遺産として評価されたと言われており、特に白川郷の集落では今も実際の生活の場として使われているところに、他の集落群との違いがある。世界遺産に登録されたことにより、国際的な観光地としての認知度が高まり、多くの観光客が訪れるようになった。訪問者は、古い家屋を見学したり、地元の伝統文化や工芸品を体験したりすることができる。また、四季折々の風景も魅力の一つであり、特に冬の雪景色や春の桜、秋の紅葉は多くの人々を魅了している。
白川郷は、観光地としての発展と共に、地域の伝統や自然環境を守るための取り組みも行われている。地元の人々は、観光と環境保護のバランスを取りながら、持続可能な地域づくりを目指している。このような努力により、白川郷はその独特な文化と美しい景観を次世代に伝えていくことが期待されている。白川郷は日本の伝統的な建築様式や文化を体験できる貴重な場所であり、その歴史や自然の美しさは多くの人々を魅了する。
(d)多方向撮影の試行
長滝白山神社の表参道駐車場を含む複数の地点において、多方向撮影を実施した。表参道駐車場に限らず、境内の主要な場所や周辺地域に至るまで、各角度から高解像度の画像を取得し、詳細なデータを収集した。これにより、神社全体の包括的な記録が可能となり、地域資源の詳細なデジタルアーカイブデータを記録することができた。
(e)多視点撮影の試行
平泉寺白山神社の拝殿を含む神社全体を対象に、多視点撮影技術を用いて記録を行った。具体的には、拝殿だけでなく、境内の主要な建物や施設、周辺地域の各地点を異なる角度から撮影し、詳細なデータを取得した。この手法により、神社全体の構造やデザインの詳細を包括的に記録することが可能となった。
(f)メタデータ
対象物や場所ごとに詳細なメタデータを記載することにより、情報の管理と検索が飛躍的に向上する。メタデータには、対象物の名称、位置情報、関連する文化・歴史的背景などが含まれ、デジタルアーカイブの利便性を高めるための重要な要素である。また、時間情報を付加することで、記録された対象物や場所の時間的な変遷が明確になる。この時間情報をもとに距離間隔を計測することで、歴史的な道筋や経路の変遷を詳細に追跡することが可能となる。以下に、平泉寺白山神社の二の鳥居にて実施した具体的な事例を示す。
二の鳥居
この鳥居は両部鳥居で、神仏習合の形式である。鳥居は一向一揆で消滅したが、1778年(安永6年)に再建された。中央の額には「白山三所大権現」と書かれており、中御門天皇の皇子・天台座主・公遵法親王の筆と伝えられている。鳥居の中央に屋根がついているのはこの額を護るためである。額内の三所とは白山の御前峰、大汝峰、別山 を指している。二の鳥居をくぐると白山神社拝殿が見える。
2.考察
試行を通じて、新しい技術や方法の改善点が明確になった。以下に、試行で学んだことについて述べる。
多方向から撮影することで、場所全体の様子を把握することができた。これにより、対象物とその周囲の道路や建物との位置関係がわかるようになった。
多視点で撮影することで、対象物の詳細な記録ができ、立体的に理解することが可能になった。しかし、複雑な場所では多視点からの撮影が難しい建物もあった。
場所ごとや日毎の管理により、地域資源の詳細な記録と簡単なアクセスが可能になった。
試行で見つかった改善点をもとに、技術や方法をさらに改善していく。これにより、本格的に導入する際のリスクを減らし、スムーズな運用が可能になる。試行で得られた成功事例を参考にして、新しい技術や方法の導入を進めていく。これにより、デジタルアーカイブの品質と効率が向上する。
試行結果を使って、他の地域やプロジェクトにも技術を広める。これにより、地域文化の保存と普及がさらに広がることが期待される。
試行は、デジタルアーカイブの運営において重要なプロセスであり、継続的な改善と最適化を支える基盤となる。郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの発展には、試行を通じた実践的な評価と改善が不可欠である。
3.未来展望
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの進化は、地域文化の保存と普及において新しい可能性をもたらす。未来に向けた展望として、次のポイントがある。
(1)最新技術の活用
AI技術を使って、デジタルデータを自動で分類したり、検索機能を強化したりする。例えば、AIが画像や映像の内容を自動でタグ付けし、利用者が必要な情報を素早く見つけられるようにする。ARとVR技術を使い、文化遺産をバーチャル体験できるようにする。これにより、現地に行けない人でも郡上白山文化遺産を体験できるようになる。
(2)グローバルな発進と連携
デジタルアーカイブの内容を多言語で提供し、国際的なアクセスを促進する。これにより、海外の研究者や観光客も郡上白山文化遺産にアクセスしやすくなる。海外の学術機関や文化保存団体と連携し、一緒に研究を進める。これにより、郡上白山文化遺産の価値が世界中で認識されるようになる。
(3)持続可能な運営
デジタルアーカイブの二次利用を通じて収益を上げ、その収益をアーカイブの運営に再投資する。例えば、教育機関や観光業と提携して、コンテンツのライセンス販売を行うことができる。また、地方自治体、企業、非営利団体との協力により、デジタルアーカイブの運営資金や技術支援を確保する。
(4)地域社会との協働
デジタルアーカイブの成功には、地域社会との協力がとても大切である。地域の人々や地元の団体と一緒にデジタルアーカイブを運営することで、地域全体で文化遺産を守る意識を高めることができる。
地域住民を対象にしたワークショップを開き、デジタルアーカイブの大切さや使い方について学ぶ機会を提供する。住民の意見を取り入れることで、アーカイブの内容や質を向上させる。
デジタルアーカイブの運営やデータの収集に参加できるボランティアプログラムを実施し、地域の人々が積極的に参加できるようにする。
地元の小中学校や高校と協力し、デジタルアーカイブを授業に取り入れる。これにより、学生が地域の歴史や文化を学び、文化遺産の大切さを理解することができる。
(5)未来のビジョン
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブが、地域文化の大切な場所になる。地域の歴史や伝統を保存し、次の世代に伝えることができる。地域の人々や観光客がデジタルアーカイブを通じて郡上白山文化遺産に触れ、学び、共有できる場所を提供する。
新しいデジタル技術を常に取り入れて、デジタルアーカイブの内容と機能を向上していく。これにより、利用者にとって魅力的で価値のあるコンテンツを提供し続ける。また、長く安定して運営できる仕組みを作り、持続可能な運営を目指す。
郡上白山文化デジタルアーカイブが、地域と世界を繋ぐ役割を果たす。地域の文化遺産を世界に発信し、国際的な交流を促進する。海外の研究者や観光客が郡上白山文化遺産にアクセスし、地域の魅力を理解することで、世界との文化交流が進む。
このように、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、未来に向けたビジョンを実現することで、地域の誇りと文化遺産を次の世代に伝え、地域社会の発展に貢献することが期待される。
第6章 結言
1.研究成果
(1)地域資源の詳しい記録方法の確立
本研究では、郡上白山文化遺産を詳しくデジタル記録するために、多方向撮影と多視点撮影の技術を使った。これにより、従来の方法では見えなかった細かい部分や様々な角度からの情報を得ることができた。例えば、対象物をいろいろな角度から撮影することで、立体感や質感、色などの特徴を正確にデジタル化し、保存することができる。この新しい方法は、郡上白山文化遺産についての理解を深め、将来の研究者や一般の人々にとっても役立つ情報源となることが期待される。
(2)効率的な管理システムの構築
地域資源を効率よく管理するために、データを地域ごとに分け、日ごとに管理する方法を試行した。これにより、特定の地域や時期に関連するデータをすぐに検索してアクセスできるようになり、管理の効率が大幅に向上することが期待される。例えば、データベースのフィルタリング機能を使って、特定の時期に行われた行事や活動、関連する文化財の情報をすぐに見つけることができる。これにより、データ管理の一貫性と透明性が確保され、地域資源を効果的に活用できるようになる。
(3)世界遺産への登録支援
郡上白山文化遺産の世界遺産登録を支援するために、詳しいデジタルアーカイブを作成した。このアーカイブには、登録に必要な証拠資料や情報を整理してわかりやすく表示する方法を試みた。具体的には、文化遺産の価値を示すための歴史的背景や地域の特性などの情報をまとめ、登録に必要な資料を提供した。これにより、郡上白山文化遺産のデータが世界遺産登録プロセスで重要な役割を果たすことが期待され、地域文化の国際的な認知度向上にも貢献することが見込まれる。
今回の研究を通じて、郡上白山文化遺産の詳細な記録方法、効率的な管理システム、そして世界遺産登録支援のためのデジタルアーカイブの構築に成功した。これにより、郡上白山文化遺産の保存と活用が進み、将来の研究や教育活動、観光業においても価値ある資料を提供する基盤が整ったと評価できる。また、世界遺産登録への支援を通じて、郡上白山文化遺産の国際的な認知度と保護を一層強化することが期待される。
2.今後の課題
(1)長期保管の必要性
デジタルアーカイブの長期保管は、デジタルデータの劣化や技術の進化に対応し、文化遺産を未来に伝えるために不可欠である。
物理的な文化遺産は、時間とともに劣化しやすい。デジタルデータは劣化のリスクが少ないが、適切な管理が必要である。長期的に保存することで、次世代にわたって地域の文化遺産を伝えることができる。
デジタル技術は急速に進化しており、現在のフォーマットやメディアが将来的に利用できなくなる可能性がある。長期保管においては、最新の技術動向を追い続け、データの移行や更新が必要となる。
(2)長期保管の方法
デジタルデータは、定期的にバックアップを作成し、異なる場所に保存する。これにより、災害やシステムのトラブルからデータを守る。バックアップは、自動システムを使って定期的に行い、常に最新の状態を保つ。
データを複数のサーバーやデータセンターに分散して保存し、一つの場所にトラブルが起きてもデータが失われないようにする。クラウドストレージサービスを利用して、地理的に離れた場所にもデータを保存する。
技術の進化に応じて、データフォーマットを新しいものに更新する。古いフォーマットのデータは、新しいフォーマットに変換し、互換性を保つ。定期的にフォーマットの互換性をチェックし、必要なら変換作業を行う。
専任のスタッフがデータの状態を定期的に監視し、問題が発生した場合は迅速に対応する。データの整合性や可用性を保つための保守作業を行い、アクセスログを分析して不正アクセスやデータ改ざんの兆候がないかをチェックする。
(3)クラウドベースの管理方法
今後の管理の一環として、クラウドベースの管理方法の導入を検討することを強く推奨する。クラウドベースのシステムを使うと以下のような利点がある。
クラウドベースのシステムは、必要に応じてデータの保存容量や処理能力を簡単に増やすことができる。これにより、季節ごとにデータ量が増減する場合でも、問題なく対応することができる。
クラウドサービスは、大きな初期投資をしなくても使い始めることができる。使用した分だけ料金を払うため、予算に応じた運用が可能である。例えば、AWS(Amazon Web Service)のS3(Simple Storage Service)やGoogle CloudのGoogle Storageは1GBあたり約2.5円から利用できる。自分でサーバーを管理するコストや手間も省けるため、運用費用を節約できる。
クラウドサービスはデータの安全性が高く、データがなくなるリスクを最小限に抑えられる。定期的なバックアップや複数のデータセンターに保存されるため、災害時にもデータを簡単に復旧できる。また、24時間365日の監視体制が整っており、システムが常に安定して動く。
インターネットを使ってどこからでもデータにアクセスできるため、場所やデバイスに関係なくデータを利用できる。研究者や教育者、観光客など、いろいろな人がデータに簡単にアクセスできる。アクセス権限の管理も簡単で、セキュリティを保ちながら必要なデータを提供できる。
(4)セキュリティとデータ保護
クラウドベースのデータ管理で、セキュリティとデータ保護はとても大切である。データの安全性を守るために、以下のような対策を取る必要がある。
データを保存するときや送るときに、暗号化を行う。これにより、不正なアクセスやデータ漏えいを防ぐ。クラウドサービスの提供者が提供する暗号化サービスを使って、データの秘密を守る。
誰がデータにアクセスできるかを厳しく管理する。特定のユーザーやグループにだけアクセスを許可し、不正なアクセスを防ぐ。多要素認証(MFA)を導入し、セキュリティを強化する。パスワードに加えて例えば、スマホに送られるコードなど、別の認証方法を使うことで、セキュリティを高めることができる。
クラウド環境を24時間365日監視し、不審な活動を素早く見つけるようにする。セキュリティ問題が発生したときにすぐに対応できる体制を整える。
誰がいつデータにアクセスしたかなどの記録(ログ)を定期的にチェックして、セキュリティ状況を確認する。
これらの対策を実施することで、クラウドベースのデータ管理が安全で信頼できるものになる。
(5)メンテナンス
クラウドベースのシステムは、開発後も継続的なメンテナンスと管理が必要である。
新しい機能を開発したときは、それがきちんと働くかどうか徹底的にテストする。テスト専用の環境を作り、バグや問題点を事前に見つけて修正する。ユーザーからの意見を集めて、システムをより良くする。
開発した新機能を実際に使う環境にリリースする。リリースの手順を自動化することで、新しい機能を素早く確実に提供できる。リリース後もシステムの動きを監視し、問題が起きたらすぐに対応する。
定期的にシステムのメンテナンスを行い、セキュリティアップデートやバグ修正を適用する。これにより、システムの安定性と安全性を保つ。利用者のニーズや技術の進化に応じて、定期的にシステムを更新する。
システムが故障した時のために、リカバリプランを準備しておく。バックアップデータを使って、迅速に復旧できるようにする。障害発生時の対応手順を明確にし、関係者がすぐに対応できるようにする。
クラウドベースのデータ管理は、郡上白山文化遺産デジタルーアーカイブの運営において多くの利点がある。適切な対策を取りながら、クラウド技術を最大限に活用することで、地域文化の保存と普及を効果的にサポートすることができる。
3.投資価値
【財務大臣向けサマリー】
郡上白山文化デジタルアーカイブは、地域の歴史と文化を保存し、デジタル化を通じて広く普及させること、白山文化の世界遺産への登録支援を目的としています。本プロジェクトは、教育、研究、観光の各分野で利用され、地域振興と経済効果をもたらすことを目指しています。文化遺産のデジタル化により、長期的な保存と広範なアクセスが可能になる。地域住民や教育機関、研究者が活用できる豊富な資料を提供します。
デジタルアーカイブを活用した観光プロモーションにより、国内外からの観光客を誘致します。バーチャルツアーやAR体験を提供し、地域の魅力を発信します。
地域の歴史や文化を学ぶための教材として、学校や大学で活用されます。研究者による詳細な分析や国際共同研究の基盤となります。
(1)プロジェクトのコスト概要(年間)
・クラウドストレージ
¥1,200,000:データの保存と管理にかかる費用(1TBあたり約¥10,000/月)
・ソフトウェア開発
¥10,000,000:インターフェース開発、機能追加、テスト
・技術者の人件費
¥30,000,000:フルスタックエンジニア、クラウドアーキテクト、データベース管理者、UI/UXデザイナー
・運用費
¥5,000,000:システムの管理、セキュリティパッチ、システムアップデート
・プロモーション費用
¥3,000,000:観光プロモーション、広告、イベント開催
・教育・ワークショップ
¥2,000,000:地域住民や学校向けの教育プログラム、ワークショップ
合計:¥51,200,000
(2)収益予測と経済効果
・観光収益
バーチャルツアーやAR体験を通じて観光客を増加させ、年間10,000人の増加を見込む。一人当たりの観光消費を¥20,000とすると、年間収益は¥200,000,000。
・教育プログラム
学校や大学での利用により、教育機関からの利用料を年間¥5,000,000と見積もる。
・研究プロジェクト
国内外の研究プロジェクトへの参加費用やデータ利用料を年間¥10,000,000と見込む。
・その他の収益
デジタルアーカイブのコンテンツライセンス販売や企業スポンサーシップによる収益を年間¥10,000,000と見積もる。
合計収益予測:¥225,000,000
・投資総額:¥512,000,000
・年間収益予測:¥225,000,000
初年度の収益が予測通りに達成されれば、初期投資は1年以内に回収可能です。デジタルアーカイブの持続的な運営と更新により、長期的な収益が期待できます。観光収益の増加や国際的な研究プロジェクトへの参加により、地域経済全体に対する影響が広まることが見込まれます。地域文化の保存と普及を通じて、次世代にわたる文化遺産の継承が可能となります。地域住民や学生の教育資源として活用され、地域全体の文化的価値が向上します。郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、地域文化の保存と普及、観光振興、教育・研究の促進において多大な効果を発揮するプロジェクトです。初期投資は高額ではあるものの、短期的な投資回収が可能であり、長期的には持続可能な利益をもたらすことが期待されます。地域経済の活性化と文化的価値の向上に貢献するため、是非ともこのプロジェクトへの投資をご検討ください。
参考文献
以下は、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの研究において参考にした文献や資料の一覧である。これらの参考文献をもとに、アーカイブの構築と運営に関する知識を深め、具体的な実践方法を確立した。
・後藤忠彦,2022年,デジタルアーカイブの利活用基礎,岐阜女子大学大学院 文化創造学研究科
・後藤忠彦,2018年,デジタルアーカイブの資料収集・撮影・記録の基礎,岐阜女子大学 デジタルアーカイブ研究所
・岐阜女子大学デジタルアーカイブ研究所,2017年,地域文化とデジタルアーカイブ,樹村房
・久世均・櫟彩見,2018年,デジタルアーカイブ特講,岐阜女子大学大学院文化創造学研究科
・デジタルアーカイブによる新たな価値創造推進事業
https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2022/11/2e95012b14fd2b6d5087ea7d651bd2a1.pdf
・岐阜県奥美濃石徹白公式ホームページ
https://itoshiro.net/map/map0414.html
・平泉寺白山神社
https://heisenji.jp/
・一般社団法人白川郷観光協会
https://shirakawa-go.gr.jp/
・白山中居神社
https://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=1541&shrname=%E2%96%A0%E7%99%BD%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E5%B1%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%96%A0
・白山比咩神社
https://www.shirayama.or.jp/
・岐阜奥美濃白鳥踊り
https://shirotori-gujo.com/html/odori.htm
・ぐるっと白山
https://www.g-hakusan.gr.jp/
・白山市公式ホームページ
https://www.city.hakusan.lg.jp/
・石川県図書館デジタルコレクション
https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/digicolle
・デジタルアーカイブ福井
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/dafukui.html
・郡上市公式サイト
https://www.city.gujo.gifu.jp/
・白鳥観光協会
https://www.shirotori-gujo.com/
・岐阜県学校間総合ネット
https://www.gifu-net.ed.jp/
謝辞
郡上白山文化遺産デジタルアーカイブは、地域資源のデジタルアーカイブにより、世界遺産登録への整備と新たな観光資源の発掘を目的とした重要な取り組みです。本研究では、地域資源の詳細な記録と効率的な管理システムの確立、そして世界遺産登録の支援を目指してきました。本研究が、郡上白山文化遺産の保存と活用に貢献することが期待されます。
ご協力いただいたすべての関係者に感謝するとともに、今後も引き続き、郡上白山文化遺産デジタルアーカイブの発展に努めて参ります。
【研究】短期大学から大学院まで体系化した教員養成 カリキュラムの開発
1.教員養成を取り巻く現状と課題
教育を取り巻く社会状況の変化等の中で,学校現場には,子どもたちの学ぶ意欲の低下,自立心の低下,社会性の不足,いじめや不登校などの深刻な状況等々,様々な教育課題が生じてきている。これらの変化や諸課題に対応し得るより行動な専門性と豊かな人間性・社会性を備えた力量ある教員が求められるようになってきた。
平成24年8月28日付の中央教育審議会答申「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」では,「これからの社会で求められる人材像を踏まえた教育の展開や学校現場の諸課題への対応を図るためには,①社会からの尊敬・信頼を受ける教員,②思考力・判断力・表現力等を育成する実践的指導力を有する教員,③困難な課題に同僚と協働し,地域と連携して対応する教員が必要である。」と述べている。
また,「そのためには,教育委員会と大学との連携・協働により,教職生活全体を通じて学び続ける教員を継続的に支援するための一体的な改革を行う必要がある。また,修士レベルの教員養成の質と量の充実を図るため,修士課程等の教育内容・方法の改革を推進する仕組みを早急に構築する。」とも述べている。
(1)現職の教員を続けながら大学院の第3ステージまでの実践的で体系的なカリキュラム
平成25年3月29日付で,大学設置基準の一部が改正され,大学における創意工夫により,より多様な授業機関の設定が可能になった。特に,講義とフィールドワークを組み合わせた授業科目の実施やサービス・ラーニングの導入等による弾力的な学事暦の設定が可能となり,短期大学や大学を卒業し,実際に教員として実践しながら,大学や大学院に入学し,土日等を通じて理論的な学修を行うことが可能になった。
本事業では,教員養成課程がある短期大学での学修を第1ステージ,大学へ編入して第2ステージ,大学院の第3ステージと,教員養成を3つのステージに分け,現職の教員を続けながら短期大学から大学院までの連携したカリキュラムを構成することにより,より実践的で体系的な教員養成カリキュラムを開発する。
(2)現職教員として働きながら課題を解決する仕組みと新しい教育方法の設計
現在の教職課程の課題として,大学の教員の研究領域の専門性に偏した授業が多く,学校現場が抱える課題に必ずしも十分対応していないことが指摘されている。
そこで,学校現場における実践力・応用力など教職に求められる高度な専門性を育成するためには,学校教育における理論と実践との融合を強く意識し,理論と実践の往還という観点から体系的な教育課程を編成することが特に重要となる。
本事業では,短期大学を卒業し,幼稚園・小学校教諭二種免許状を取得した学生が,幼稚園や小学校の教員として働きながら,勤務している学校や幼稚園等における実践で生じた指導上の疑問に答えることや課題についての討論を行うなどの事例研究,模擬授業,授業観察・分析,ロールプレーイング,現場における実践活動・現地調査(フィールドワーク)等のディアルシステムによる教育方法を積極的に開発・導入することにより,現職教員として働きながら課題を解決する仕組みと新しい教育方法を設計し実践した。
図1-1 現職の教員を続けながら大学院の第3ステージまでの実践的で体系的なカリキュラム
(3)理論と実践の往還により学生の力量の変化を評価
現在の教育職員免許法は,教科に関する科目,教職に関する科目等の所定単位を修得することにより教員免許が授与されることとなっており,個々の単位を修得した学生が本当に教員として必要な力を身に付けたかどうかは,各科目を選択して履修した学生に任されている。今後の,教員養成教育の改善に取り組む大学では,このような学習者依存型の教員養成ではなく,教員養成課程のプログラム全体で学生の力量を保証しようと取り組むことが重要である。
また,教員の資質向上方策の見直し及び教員免許更新制の効果検証に係る調査の集計結果(平成22年8月)によると,必要とされる教員の資質能力の充足度において,教育委員会からは,教材解釈の力(35。8%)が一番不足していると回答しているが,教職課程を有する大学では,対人間関係能力(54.4%)が一番不足していると回答している。つまり,教育委員会と大学とでは,必要とされる教員の資質能力において意識の違いがあり,また,教員養成の課題として,担当する大学教員の学校現場の経験が不十分(60.8%)と指摘されている。
そこで,本事業では,これらの短期大学から大学院までの体系的なカリキュラムや理論と実践の往還という観点における理論と実践の融合カリキュラムについて,教育委員会,短期大学,大学,大学院の4機関共同の評価検討委員会を設置し,教員養成における学生の知識・技能および活用力・創造的・探究力等の力量の変化を評価する手法を開発した。
沖縄と岐阜との教育における連携
1.沖縄と岐阜との教育における連携のはじまり
(1)沖縄県浦添市立当山小学校との連携
沖縄と岐阜とが連携をして教育を行った最初は昭和63年の「国立教育研究所プロジェクト研究」である。昭和63年4月より沖縄県教育委員会及び浦添市教育委員会の研究校指定を沖縄県浦添市立当山小学校(学校長仲本實氏(当時))が受けて,その一年次「算数科における基礎学力を高める為の指導~実態調査による児童のつまずきの把握と考察~」と言うテーマで研究を進めていた。同年の6月か7月頃に,当時岐阜大学教授後藤忠彦氏(現本学学長)よりコンピュータに関する講演があった。当時,当山小学校は県教委の達成度テストの結果が思わしくなく,結果はいつも沖縄県の下位グループで,如何にして学力を高めようかと思案にくれていたところの講演であり,その内容にヒントを得て,研究に役立つのではないかとの仲本学校長の思いから後藤教授の指導を得ることとなった。これが沖縄と岐阜とを教育で繋ぐ始まりであった。
平成元年の3月1日第一次研究発表会を終わり,児童の学力低下の原因や,今後の研究の進め方に付いて思案している所に,「学情研プロジェクトⅠ」への参加の話が後藤教授や浦添市教育委員会の池田指導主事から持ち上がり,当山小学校が参加する事を決めた。全国的な研究を基盤に沖縄と岐阜との教育が展開した初めである。
この研究を進めるにあたり,後藤教授は2~3か月毎に当山小学校を訪れ職員研修を行った。この継続した指導が沖縄の地に根付き,多くの教師の資質向上に繋がった。
(2)沖縄県宜野湾市立嘉数小学校との連携
平成4年には当山小学校校長であった仲本氏が宜野湾市立嘉数小学校へ学校長として転任をした。当山小学校で指導を受けたように後藤教授より嘉数小学校でも指導を受けたいと考えていた仲本氏が,岐阜県で開催された後藤教授がかかわる研究発表会に研究主任新垣英司教諭を派遣し引き合わせた。そのことにより嘉数小学校との繋がりができ,平成5年には数回嘉数小学校にて後藤教授は指導を行っている。嘉数小学校での指導においては財団法人学習ソフトウェア情報研究センターより学習ソフトが嘉数小学校に寄贈され,学習指導に役立てられた。
また,研究主任であった新垣英司教諭は沖縄県教育工学研究会に所属しており,後藤教授と沖縄県全体に情報教育が広まり,平成6年には「沖縄県マルチメディア教育研究会」を立ち上げることとなった。そのマルチメディア研究会で学習ソフトウェア情報研究センターのプロジェクトⅣに繋がり,後藤教授との関係が更に深まっていくこととなった。
2.沖縄と岐阜との教育における連携の経緯 ~教材開発(マルチメディア)と遠隔教育(教師教育)を中心に~
(1)沖縄県宜野湾市立嘉数小学校(平成5年)
①沖縄県宜野湾市立嘉数小学校(平成5年)に富士通FM-TOWNS 20台導入
平成5年度にプロジェクト研究の協力校および宜野湾市のコンピュータ整備事業によりネットワークの整ったパソコン室が設置され,マルチメディア対応の富士通FM-TOWNSが20台設置された。
ア.教育実践の状況
教員のコンピュータ活用能力向上のための一斉研修並びにいつでもどこでも個別対応での研修の実施。教育委員会とは連携を図り,学校の意見を多く取り入れて教育活動を行った。PTAの協力もありプリンタのインク等の消耗品費や教育ソフト購入費を予算化し購入した。
イ.教員の研究・研修の状況
平成5年岐阜県での情報教育研究大会に研究主任新垣教諭が参加。日本最先端の情報教育のノウハウを学び,沖縄県の学校で実践を行う。
ウ.教材の利用・開発
岐阜大学が支援し「マルチ学習カード」といった多機能の学習ソフトを開発し,嘉数小学校で活用し,子ども達が主体となって学習し,表現する授業等の研究を進めた。
エ.教育実践結果の評価
県・市「情報教育」指定校の嘉数小学校の研究発表会には県内離島を含め多くの教職員が参加した。嘉数小学校の研究成果は沖縄県の情報教育の推進に大きく貢献した。
(2)沖縄の地域文化教材の開発
①平成6年「沖縄県マルチメディア教育研究会」設立
顧問:岐阜大学 後藤忠彦教授
会長:嘉数小学校校長 仲本 實
事務局長:嘉数小学校研究主任 新垣英司
平成6年から県大会を開催し自作ソフトを活用したコンピュータの授業実践やインターネットを活用した授業提案として研究成果を公開した。また,平成7年から平成9年にかけて「マルチメディア教材実践プロジェクトⅣ沖縄県地区素材データベース」の参加団体として沖縄県マルチメディア教育研究会も沖縄県から参加した。
主なカリキュラム開発の実績としては,平成8年には『沖縄の素材を生かした自由研究』を沖縄出版から出版した。平成10年には宜野湾市立志真志小学校(研究主任:新垣英司)の校内研修とタイアップし,学習指導要領改訂の移行期前ではあるが,先行研究として総合的な学習における福祉教育プログラム(クロスカリキュラム)を開発した。
平成14年には,体験学習のガイドブックとして沖縄の素材を集め『親子で楽しむ 沖縄の自然探検』を日本標準から出版した。平成15年にはテレビ会議を活用したプロジェクト型の総合学習コラボレーション型の総合的な学習としてアメリカンスクールの子ども達と交流し「国際理解教育(普天間基地・嘉手納飛行場)」をテーマにテレビ会議で平和のメッセージを共同制作した。平成15年には全日本教育工学研究協議会・コンピュータ教育研究協議会・全日本情報教育研究協議会全国大会の事務局として沖縄大会「ITで広げよう心のネットワーク,育てよう未来からの留学生」を開催した。
②文部科学省指定デジタルコンテンツ高度化活用実践研究・地域資料情報化コンソーシアム
平成14年から平成17年までの間,文部科学省指定デジタルコンテンツ高度化活用実践研究・地域資料情報化コンソーシアム(岐阜・高知・沖縄)に沖縄県マルチメディア研究会も参加した。素材内容としては自然や文化,沖縄の城,伝統工芸,産業,漁業,農業等々の取材計画を作り,リバーサルフィルムによる撮影を行い,二次情報を加え素材データベースを制作した。
③伝統文化デジタルアーカイブ(教材)の開発,『沖縄危険生物デジタル辞典』の制作
平成16年に子どもゆめ基金助成(子ども向け教材開発・普及活動助成)を受け,『沖縄危険生物デジタル辞典』を作成しインターネットを活用し配信した。
④沖縄デジタル教科書研究会・沖縄カリキュラム開発研究会
平成23年度に科学研究費補助金(奨励研究)の助成を受け,「デジタル教科書における社会科地域資料のアーカイブ化の研究」の研究粋推進チームとして沖縄デジタル教科書研究会を組織した。その後,岐阜女子大学沖縄サテライト校に沖縄カリキュラム開発研究センターが設置されることになり名称を沖縄カリキュラム開発研究会に変更した。また,平成25年度は,科学研究費補助金(奨励研究)の助成を受け,「学習指導法についての教師が希望するメディア利用の特性~社会科の利用特性と教材化~」に取り組んでいる。
3.沖縄と岐阜との遠隔教育~教師教育としての遠隔教育~
(1)遠隔教育での教師教育
教師教育を遠隔教育において行った最初は平成4年11月1日(日)が最初である。財団法人学習ソフトウェア情報研究センターが主催した通信衛星による「学習講座」の実験事業がそれにあたる。コーディネート等でかかわった人物が,後藤教授(当時岐阜大学教授)である。北海道(江別市)・仙台・広島の会場を通信衛星で結び双方向性を保ち,中継放映教室として札幌,新潟,名古屋(2),大阪,福岡,小倉,大分,鹿児島,水戸,松戸,甲府,静岡,四日市の計14ヶ所で受講することができるようにした教員研修である。
その後遠隔教育としては,平成11年には松下視聴覚教育財団(当時木田宏理事長)による北海道,新潟(佐渡),岐阜(輪之内),宮崎(村間),東京をテレビ電話で結び,小学校の共同授業が開催された。
平成8年からは「大学院専修免許公開講座(岐阜大学主催)」を開催し,岐阜大学(岐阜市)と高山市とをテレビ電話を活用し結び,遠隔教育講座を開催した。当初は岐阜と高山の両教室に教員が在中している形態をとっていた。しかし平成10年3月に学校教育法の改正がなされ「遠隔教室」の設置が可能となった。(遠隔教室:マルチメディアを用いて,大学の教室と同様な教育が可能と認めることを条件)そのことにより,一方の会場から教員が講義を行う形態をとるようになった。テレビ会議システムを活用した教師教育の本格的な始まりである。岐阜市の岐阜大学の会場と高山市の会場で教員が教員免許状を専修免許状に上進するために講座を受講し多くの現職教員が専修免許状への上進を果たした。
平成12年には「遠隔教育振興連携大学遠隔教育プロジェクト」が発足し,プロジェクトの代表として木田宏先生,その中心校として岐阜女子大学が参画することとなった。衛星放送(CS),テレビ会議システムを用いた教師教育の実践を行った。多くの国私立大学が連携し,東亜大学の協力による衛星放送(CS)と各大学のテレビ会議システムを用いて,それぞれの大学のもつ特性を有効に活用した授業の在り方を検討し,放送と通信を併用した連携大学院遠隔教育システムを開発した。その結果全国の十数ヶ所の遠隔教室で,大学院の専修免許関係の講義を開講し約1900名さらに生涯学習,一般の教師教育等でも多数のものが受講した。共同開発者は後藤忠彦・谷口知司(岐阜女子大学),生田孝至(新潟大学),加藤直樹・村瀬康一郎(岐阜大学),松下文夫(香川大学),中村紘司(北海道教育大学),有薗格(静岡文化芸術大学)である。
このような経緯を経て,遠隔教育での教師教育が本格的にスタートしていったのである。
(2)沖縄県での教員研修
①CSを用いた遠隔教育
平成12年度より開催されていた岐阜女子大学が中心校となっての遠隔教育プロジェクトにおいて,平成13年に岐阜女子大学文化情報研究センターおよび沖縄県でCSとテレビ会議システムを用いて大学院専修免許公開講座を開設した。
②インターネットを用いた遠隔教育
その後,教員経験による専修免許状取得単位が6単位から15単位になり,対応が困難になった。(その後,沖縄では平成18年よりインターネット(Bフレッツ)を用いた大学院遠隔教育を始めることとなる。)
(3)沖縄等と岐阜女子大学の遠隔教育(平成13年以降)
①沖縄と岐阜の第一期の遠隔教育システムを用いた専修免許取得講座(6単位)の開催
平成13年に宜野湾市立教育研究所(はごろも学習センター)の教員研修として,遠隔教育振興会連携大学遠隔教育プロジェクトを活用した専修免許取得の講座を実施した。岐阜大学の支援を受け電話回線によるテレビ会議システムを利用し,文部科学省の免許法認定講習会を宜野湾市立教育研究所(はごろも学習センター)で受講できる環境を整えることができ,これまで沖縄県の島嶼性により免許法認定講習会を受講することができなかった沖縄県の多くの教職員が専修免許への上進を行うことができた。(研修係長:新垣英司氏)
しかし,教員経験による専修免許状取得単位が6単位より15単位に増加したことにより,この遠隔教育での対応が困難となった。しかし,沖縄県からの要望として次のような要望が強く起こり,平成18年に次の段階へと進むこととなった。
【沖縄の要望】
・小学校教諭二種免許状から一種免許状への上進を希望する教員が多い
・小学校教諭一種免許状から専修免許状への上進を希望する教員が多い
・大学院授業の開設の希望が多い(教員,デジタルアーキビスト等の資格)
上記の要望の声が大きくなり平成18年に大学院・研修講座の開講へと発展していった。
②沖縄教育カレッジでの大学院・研修講座の開講(平成18年)
沖縄教育カレッジ(代表:宮里祐光氏)の教室を借用し通信ネットワーク(Bフレッツ),テレビ会議システムを用いた高画質の映像による双方向通信システムによる授業の開講を始めた。沖縄教育カレッジの好意で1教室を借用し,遠隔教育システムを平成18年に設置した。最初は,大学院の遠隔教育を始めたが,小学校教諭二種免許状から一種免許状への上進希望者が多く,科目等履修の形をとり一部の教科を開講した。これがその後の沖縄女子短期大学との姉妹校提携につながることとなる。
(4)沖縄女子短期大学との姉妹校提携
①姉妹校提携への経過
平成20年,沖縄教育カレッジ(宮里先生)より,当時,岐阜女子大学と教育カレッジの間で行われていた遠隔授業,大学院(専修免許,上級デジタル・アーキビスト資格),教員免許状上進についての情報が沖縄女子短期大学の福地学長へ提供された。
短期大学(その他)等において,教員二種免許状を取得し教員採用試験に合格した教員の上進の課題,また,沖縄女子短期大学の学生の教員免許状の上進などについて,どのように保障していくのかという内容で,福地学長,宮里氏,長尾氏(当時,沖縄県教育庁生涯学習振興課に在職中)で話し合いが持たれた。
沖縄女子短期大学として,短期大学を卒業後,一種~専修までの学習を保障することが必要であること,および学び続ける教師の育成が必要であることなど,多角的な見地から岐阜女子大学との連携について前進させることを確認することとなった。
その後,岐阜女子大学と沖縄女子短期大学の連携締結がなされ,沖縄女子短期大学→岐阜女子大学への3年次編入制→岐阜女子大学大学院入学という形が確立されることとなった。
②姉妹校提携
平成21年2月に岐阜女子大学と沖縄女子短期大学は姉妹校締結を行った。同年4月より岐阜女子大学沖縄サテライト校開設の運びとなった。4月より沖縄女子短期大学を卒業した8名の学生が岐阜女子大学3年次へ編入するとともに大学院への6名の入学生も迎え入れた。
沖縄女子短期大学としては,教員免許に関する今後の社会状況を踏まえ,短期大学学生にもできる限り一種免許状の取得をさせたいこと,四年制大学の学位を授与させたいこと,これらを現職の教員として働きながら実現させたいことの要望があった。本学との連携においては,沖縄女子短期大学の施設内に沖縄サテライト校を設置したこと,一種並びに専修免許状への上進のための授業,大学・大学院卒業・修了のための授業・研究を全て土日に設定し行ったことにより,現職の教員として働きながら免許状の上進をするとともに学位(学士や修士)を得ることができる仕組みを実現した。
③短大卒業教員の大学院での履修~資質の向上と専修免許への上進~
平成25年9月現在,岐阜女子大学沖縄サテライト校の大学院で学ぶ院生は大学院在学中の者の中で,約66%の者が沖縄女子短期大学の卒業生である。このことは,岐阜女子大学との姉妹校提携により,沖縄女子短期大学の卒業生の大学院への進学および再教育(資質の向上と専修免許への上進)への方向付けが可能になり,その教育実践が進みだしたと考える。
これにより,沖縄女子短期大学の卒業生の二種免許状から専修免許状への上進の対応が進みだし,短期大学入学生の教員免許(幼・小学校)の上進の方向性が確立できた。
④遠隔教育システムの構成
沖縄女子短期大学と岐阜女子大学は,平成21年2月に姉妹校提携を結び沖縄女子短期大学から進学した学生は,岐阜女子大学沖縄サテライト校にて,テレビ会議システム,岐阜女子大学e-Learningシステムを活用した遠隔教育による講義を受講している。
また,夏季休暇を利用して岐阜女子大学本校での夏季集中講義を受講し,講義内容の充実を図っている。進学した沖縄女子短期大学の学生のほとんどが,小学校の非常勤教員や非常勤の幼稚園教諭,保育士として現場での研鑽を重ねながら,基本的には土曜日,日曜日の通学により小学校教諭一種免許状,幼稚園教諭一種免許状の取得に向けて取り組んでいる。さらに,単位を取得して,上級デジタル・アーキビスト,学校図書館司書教諭,図書館司書等の免許の取得が可能となっており,進学者の学習意欲を高めている。
これまで述べてきたように,沖縄と岐阜とが教育において連携を図るようになったのは昭和63年のころからであり,本学学長後藤忠彦のかかわるところが非常に大きいということは言うまでもない。現在の沖縄女子短期大学と連携した教師教育が行うに至ったには,これまでの後藤を中心とした沖縄との二十年来に渡る教育実践研究・教員研修等の功績が大いにかかわるものである。
沖縄と岐阜の連携による教師教育についての詳細は,巻末に資料Ⅲ「沖縄・岐阜連携の教師教育と教育実践研究 ~遠隔教育・デジタルアーカイブの利用~」として収録した。
短期大学から大学院までの実践的で体系的なカリキュラムの開発
1.大学編入プログラムの開発
(1)大学編入カリキュラムポリシー
○本学は「人らしく,女らしく,あなたらしく,あなたならでは」という建学の精神に基づいて「教養ある高度な専門性をもつ職業人養成を重視した教育を施す」という教育目標を掲げている。
○それは,慈しみの心を育み(人らしく),きめ細やかな感性を発揚し(女らしく),自我を確立させ(あなたらしく),責任ある個性が発揮できる(あなたならでは)人材を養成する(教養ある高度な専門職)という教育理念をもとに,社会に貢献できる人材の育成が本学の使命である。
○建学の精神,教育目標に基づいて,本学の学部(家政学部,文化創造学部)では,「あいさつ」運動を始め,教育概念に対する教育および21世紀の高度化,多様化が進んだ,この社会を教養ある高い専門性をもつ職業人として生き抜くことのできる人材育成を進めている。
○さらに,今後の社会の高度化に対し,大学院教育をより充実し,社会に貢献できる各専門分野で活躍できる高度な専門性をもつ人材の育成が必要である。
○また,我が国の18歳以上の減少,社会の多様化,高度化と社会的需要の推移に応じた学部の改組,大学院の充実が必要となった。
○平成21年2月に,沖縄女子短期大学と姉妹校提携を締結し大学の3年次への編入学のコースさらに,大学院のコースを設置し,短大―大学―大学院の連携教育と公開講座を開講し,社会貢献として,広く社会人の大学・大学院での学修を可能にした。
○姉妹校である沖縄女子短期大学にも,従来の総合ビジネス学科に観光ホスピタリティコースを開設され,本学で幼稚園教諭の専修免許取得ができることから,福祉教育コースや心理教育コースからも学生の編入(進級)希望が増加している。
○本学も,これらの外部環境の変化に伴い,毎年編入生のニーズに合ったカリキュラムを独自に作成し,平成26年度からは教材クリエイターコースも開設し,本学独自の特色を持ったカリキュラムにしてきた。その結果,沖縄女子短期大学からの編入生も,平成21年度は8名であったのが,現在28名の学生が学んでいる。一方,沖縄の大学院生も,27名在籍しており,今後も学部生・大学院生の増加が見込まれる。
○今年度,この短大から編入し,大学,大学院と実践的で体系的な本学のカリキュラムによる教育システムが評価され,平成25年度文部科学省より教員の資質能力向上に係る先導的取組支援事業【教育委員会等との連携による教員の実践的資質能力向上システムの構築~短期大学から大学院まで体系化した教員養成カリキュラムの開発と教材資料の流通・提供~】に採択された。
○沖縄女子短期大学からの編入については,図のような履修モデルを示し,現職教員として働きながら学ぶことできるように,事前学習科目を設定し,短大在学中に受講することにより,本学に編入した時に単位を認定する科目を設定し,編入について荷重負担とならないとともに,短大から大学への編入に対する抵抗感を無くすように工夫した。
2.大学編入における科目認定基準と単位互換の検討
(1)大学編入における科目認定基準
3年次編入に関する単位認定についての基本的な方針(案)
岐阜女子大学文化創造学部
基本的な方針
本学では,編入学前の大学,短期大学等の教育機関での学習経験を尊重し, 70単位を上限として個別認定(一部包括認定)を基本とする。
内規(案)
(趣旨)
第1条 この内規は,岐阜女子大学学則第26条並びに第27条において岐阜女子大学文化創造学部(以下「文化創造学部」という。)に編入学した学生が,本学部に編入する前に大学,短期大学,高等専門学校又は専修学校等(以下「大学等」という。)において履修した授業科目について修得した単位の認定(以下「編入学前の既修得単位の認定」という。)に関し必要な事項を定める。
(編入学前の既修得単位の認定)
第2条 編入学前の大学等の教育機関での学習経験を尊重し,70単位を上限として個別に認定(一部包括認定)する。
第3条 編入学前の既修得単位の認定は,各専攻において教務委員が,次に揚げる事項を総合的に評価し,教務委員会の審議を経て教授会が行う。
(1) 編入学前の既修得した授業科目(以下「編入学前の授業科目等」という。)の内容,レベルおよびその単位の修得に要した受講時間等
(2) 編入学前の授業科目等のシラバス,テキスト及び成績
2 前項の評価にあたっては,同項第1号にあっては,面接及び口頭試問又は筆記試験を行うことができる。
(認定単位数等)
第4条 単位を認定した授業科目の成績評価は「認定」とする。
附 則
この内規は,平成○年○月○日から施行する。
(2)大学編入における単位互換の方針
沖縄女子短期大学と岐阜女子大学との単位互換に関する協定(案)
沖縄女子短期大学と岐阜女子大学は,相互の交流と協力を振興し,教育研究の活性化及び教育課程の充実を図りつつ,学生に多様な教育を提供することを目的とし,次により沖縄女子短期大学の学生に対する単位互換を行うことに合意する。
(対象学生)
第1条 本協定による単位互換制度の対象となる学生は,沖縄女子短期大学に在学する学生とする。
(受入学生の呼称)
第2条 本協定に基づき,岐阜女子大学が受け入れる沖縄女子短期大学の学生は,単位互換履修生と称する。
(受入学生数)
第3条 岐阜女子大学が受け入れる単位互換履修生の数は,沖縄女子短期大学と岐阜女子大学の協議により決定する。
(履修方法)
第4条 単位互換履修生の科目登録,単位の認定等の履修方法については,沖縄女子短期大学の定める規則による。
(授業料等の費用)
第5条 単位互換履修生の受入に係る検定料,入学料及び授業料は徴収しない。
(運営組織)
第6条 本協定書に基づく単位互換を円滑に実施するため,沖縄女子短期大学と岐阜女子大学の代表者による運営組織を設ける。
(改廃)
第7条 本協定に参加する大学の変更及び本協定書の改廃については,学長間の協議によるものとする。
(その他)
第8条 本協定書の定めるもののほか,単位互換の実施に関する細目は,覚書により別に定める。
附則 この協定は,平成○年○月○日から施行する。
本協定書は2通作成し,それぞれ署名捺印の上,各自が1通を保管する。
3.短期大学と連携した教育プログラムの開発
(1)短期大学における教員養成の課題
昨今の教育を取り巻く社会状況は,様々な変化を抱えている。特に,子どもたちの抱える課題には,いじめや不登校,学ぶ意欲や社会性の低下等,様々な課題が山積している。少子化,親の経済基盤の揺らぎなどから生ずる問題も多くみられる。このような多様な教育的な課題に適切に対応するために,教員としての専門性を兼ね備え,さらには豊かな人間性と指導力が求められるようになってきている。
短期大学で取得できる教員免許が二種免許であり,短大を卒業後の教員の資質向上及び免状の上進にかかわる支援が急務となっている。一方で,短期大学での教員養成の特徴として,現職教員としての実務をこなしながら理論と実践をつなぐべく大学,大学院に進学するという選択肢も広がっている。また,短期大学の現時点での幼稚園教諭の70パーセント,小学校教諭に関しても15パーセントが二種免許の保有者となっており,その方々の免許の上進も課題となっている。
さらに,沖縄県の現状として,近年の小学校教員の採用試験に関しては,1400から1500名程度の受験希望者がおり,その中から選抜される採用候補者が100名程度となっており,倍率の高さが鮮明となっている。毎年実施される教員採用試験に合格ができる基礎学力および教職教養等の充実も教職課程を有する短大としての取り組みを充実させる必要も生じている。
近年の学校現場では子どもたち自身の変化はもとより教育環境や社会情勢等の変化などから教育にかかわる状況は日々,新しい知識や情報,より高度で適切な指導方法が必要になってきている。直接,子どもたちとかかわる教員には,そのような変化に対応できる先生には学び続ける教員像が求められている。
高度な教育者としての資質や研究心をどのように持続し,実践の場で理論を展開するか養成校として,その責任が問われてきている。特に,短期大学という2年間の学びの中で,教師としての理論と実践を充実させ,さらにその後の免許の上進や現職教員となって後の研究機関としての短大の在り方について考えなければならない。
(2)短期大学・大学・大学院への継続した学び
現在,短期大学で取得できる教員免許状は二種教員免許状である。短期大学を卒業後の教員の資質能力の向上及び免許状の上進に関わる支援が急務となっている。一方で,短期大学の学びの特色として,現職の教員として実務に携わりながら,大学・大学院での学びを行うことができるという大きなものがある。これは,短期大学において二種免許状を取得するからこそ実現できる学びの方法である。そこで,この現職での実務に就きながら,大学・大学院での学びを支援する方策が必要となってくる。そこで,短期大学と大学・大学院が連携をした教員養成のための教育プログラムの開発が行われた。
短期大学は沖縄女子短期大学であり,大学・大学院は岐阜女子大学である。沖縄女子短期大学と岐阜女子大学は成21年2月に姉妹校提携を結び,教員養成の体系的な連携を図ってきた。沖縄女子短期大学での幼・小学校教諭二種免許状の取得のための教育を第1ステージでの学修と位置づけ,岐阜女子大学へ編入しての幼・小学校教諭一種免許状取得のための教育を第2ステージでの学修,さらに大学院へ編入し,幼・小学校教諭専修免許状取得のための教育を第3ステージでの学修と位置づけた。
(3)短期大学での学び(第1ステージでの学修)
沖縄女子短期大学は,これまでに沖縄県内を中心として小学校教員採用試験の合格者約400名を輩出し,多くが小学校等で活躍している。幼稚園教諭,保育士に関しても数千名を超える資格取得者を輩出し,県内の幼児教育の現場で働いている。短期大学で取得できる教員免許状は二種免許状であること,在学の学生はもとより,卒業生の資質向上と免許の上進についても教職課程を有する短大の担う責務として検討を行ってきた。
これらの教員に対し,短大・大学・大学院の連携したリカレント教育は学校教育の高度化と教員の資質の向上,さらに教員免許の上進として,姉妹校としての両大学が社会的に責任をもつ必要がある。
このことは,教員養成を目的とする大学,学部等にとって,卒業生のアフターケアとして,また,教員の資質向上として,当然すべき課題である。
そこで,両大学は,積極的な卒業生の学修支援活動を進めてきた。その結果,平成25年9月現在,岐阜女子大学沖縄サテライト校の大学院で学ぶ院生は次のようである。
図3-2のように大学院在学中の者の中で,約66%の者が沖縄女子短期大学の卒業生である。このことは,岐阜女子大学との姉妹校提携により,沖縄女子短期大学の卒業生の大学院への進学および再教育(資質の向上と専修免許への上進)への方向付けが可能になり,その教育実践が進みだした結果である。
(4)大学での学び(第2ステージでの学修)
沖縄女子短期大学から岐阜女子大学へ進学した学生は,岐阜女子大学沖縄サテライト校にて,テレビ会議システム及び岐阜女子大学e-Learningシステムを活用した遠隔教育による講義を受講する。さらには,夏季休暇を利用して岐阜女子大学本校での夏季集中講義を受講し,講義内容の充実を図っている。
進学した沖縄女子短期大学の学生のほとんどが,小学校・幼稚園の非常勤教諭,保育士として現場での研鑽を重ねながら,基本的には土曜日,日曜日の通学により講義を受講し,小学校教諭一種免許状,幼稚園教諭一種免許状の取得に向けて学びを進める。さらに,デジタルアーキビスト,学校図書館司書教諭,図書館司書等の資格取得が可能であり,複数の免許状並びに資格を取得し,自身の教員としての資質能力の向上を図ることができるカリキュラムがあり,進学者の学習意欲を高めている。
(5)大学院での学び(第3ステージでの学修)
大学での学び以上にさらに学ぶ意欲があり,そして免許の上進を希望する学生に対しては,大学院の整備が行われている。大学院へ進学することにより小学校教諭専修免許状,幼稚園教諭専修免許状の取得が可能である。また,本学では大学院科目早期履修制度があり,大学4年次で大学院の科目を早期に履修することができ,大学院へ進学することによりその単位が認定される。この制度を活用することにより,大学院での学びを1年間で修了することが可能となっている。
このような免許の上進制度を活用して沖縄女子短期大学から岐阜女子大学・大学院へ進学した学生数をまとめたのが表3-2である。
これまで述べてきた沖縄女子短期大学と岐阜女子大学との連携の在り方,教育プログラムについてまとめたのが,図3-3である。
以上のことから,短期大学の卒業生が大学・大学院と連携をして教員養成のための教育プログラムを開発し実施することにより,二種免許状から一種免許状そして専修免許状への上進につながる道筋が整った。これは以前より海外でも言われていた短期大学卒業後,教員として活躍し,その後,教育的な課題をもって大学・大学院で学修・研究することで,教員としての資質能力の向上を図るという一つの教員養成,並びに教員の資質向上方策の体制が整備できたのである。
4.講義とフィールドワークを組み合わせた授業科目の実施やサービス・ラーニングの導入等による弾力的な学事暦の設定
(1)学生の教育実践活動と講義の連携
教師の立場から見た大学・大学院での学修は,教育実践活動,大学での理論的背景とそれを支援する実践・研究用の教育資料(教育情報)の提供・利用でより確かな実践力をつけることにある。
この教育実践研究資料としては,大きく分けて次のように資料の整備を進めている。
①教育実践の各課題の背景となる資料
たとえば,新教育課程の検討にあたって,教育基本法等がどのような背景で構成されてきたか,関連資料を整備し,研究の基礎資料として提供している。
②カリキュラム・教材開発の基礎資料
たとえば,言語活動の指導であれば,「~から~まで」,「~と~」,「~の~」などの「ものごと」を考える基礎となる論理的思考操作に関する言語が小学校1年生から6年生まででどのように使われているか,また,その学習状況についてのデータ等の提供をしている。
③学習指導に関する資料
たとえば,発問に対する児童の反応,話し合いでの指導方法等に関する基礎資料の提供をしている。
④デジタル教科書等の研究基礎資料
戦後の教科書制度に関する各種資料や昭和21年当時の文部省教科書担当者のオーラルヒストリー等を管理し,提供している。
⑤素材・教材等の管理と提供
デジタルアーカイブとして,たとえば沖縄県内の映像(1万数千件)素材や教育実践で開発された教材等を保管し,提供している。
このような各種のデータの提供を進めることを可能にし,これらを基礎として教育実践研究を進めている。これらの整備を進め,各種資料が支えとなり,教育実践と授業の理論が融合した学生の教育研究へと発展できていると考える(図3-5)。
さらには,教師として日頃実践している教育実践を単位化することも考えている。これは,教師としての実践活動を中心にした授業は,教育実習以上に教育の理論と実践を結びつけ,確かな実践力・教育力を育成すると考えているからである。このため本学では,これらの実践と理論を結びつける授業を構成し,その単位化を図っている。この成果は,卒論や修論研究の基礎学習としても重要である。このため,今後,さらなる授業科目の設定と教育資料の充実を進め,新しい教員養成や教師教育の方向性の研究を進めていきたい。
資料
【研究】教育DX時代における“新たな学び”をデザインする
1.デジタル・フュージョン・ラーニング(DFL)について
デジタル・フュージョン・ラーニングは、伝統的な学習方法とデジタル技術を組み合わせた新しい学習アプローチ
このアプローチでは、学習者がデジタルツールやオンラインリソースを活用しながら、対面授業や対話型の学習体験を組み合わせることで、より効果的な学びを提供する。
デジタル技術を活用することで、学習者はより柔軟な学習スタイルを選択し、自分のペースで学習を進めることができる。また、デジタルツールを活用することで、学習者同士や教師とのコミュニケーションが促進され、より豊かな学習体験が可能となる。
さらに、デジタル・フュージョン・ラーニングは、学習者がリアルな問題解決やプロジェクトベースの学習に取り組む機会を提供し、実践的なスキルや知識を身につけることを重視している。
このように、デジタル・フュージョン・ラーニングは、伝統的な学習方法とデジタル技術を融合させることで、より効果的で魅力的な学習環境を提供する新しい学習アプローチである。
デジタル・フュージョン・ラーニングを実現するためには、以下のような点を考慮して授業を改善する必要がある。
1. デジタルツールの活用: 教師は、デジタルツールやオンラインリソースを積極的に活用して授業を補完し、学習者が自律的に学ぶ環境を整える必要がある。
2. インタラクティブな学習体験: 対話型の学習やグループワーク、ディスカッションなど、学習者同士や教師とのコミュニケーションを促進することで、より深い学びを実現する。
3. プロジェクトベースの学習: 学習者が実践的なスキルや知識を身につけるために、リアルな問題解決やプロジェクトベースの学習に取り組む機会を提供することが重要である。
4. 学習者のニーズに合わせたカスタマイズ: 学習者の興味や学習スタイルに合わせて、個別にカスタマイズされた学習プランを提供することで、学習効果を最大化する。
5. フィードバックと評価の重視: 学習者の成長を促すために、定期的なフィードバックや適切な評価を行い、学習の進捗状況を把握する。
「デジタル・フュージョン・エデュケーション」は、デジタル技術と伝統的な教育方法を融合させた新しい教育アプローチを指す。
デジタル技術を活用しながら、対面授業や対話型の学習体験を組み合わせることで、より効果的な学習環境を提供することを目指す。
資料
1.教育DX(Digital Transformation)時代“新たな学び”をデザインする(プレゼン)
2.Multi Campus One Digital University構想
教育DX(Digital Transformation)時代における“新たな学び”とは,教師がデジタル技術を活用し,学びのあり方やカリキュラムを革新させると同時に,教職員の業務や組織,プロセス,学校文化を革新し,時代に対応した教育を確立することである.
また,学びという側面から考えてみると教育DXの目的は,「個別最適な学びという“新たな学び”の実現」である.20世紀の学習観は,行動主義・認知主義の学習観を採用していた.しかし,21世紀に入り,学習観は「主体的・対話的な深い学びの実現」という構成主義・社会構成主義の学習観に移行した.この変化から分かるように,教育が「全員に同じ教育」から「個々が持つ能力を最大限活かす教育」に変化している.また,デジタルツールを学びに活用することで,さらなるクリエイティブな学びの実現もDX時代における“新たな学び”の目的とされている.ここでは,これらの教育のDX時代における “新たな学び”の在り方について考える.
(1)教育DX時代における教育リソース並びにe-Learningの構成
「DX(Digital Transformation)」は,2004年にスウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授によって提唱された概念である.その内容は「進化し続けるテクノロジーが人々の生活を豊かにしていく」というもので,“進化したデジタル技術を浸透させることで人々の生活をより良いものへと変革すること”と解釈できる.
ただし,教育DXが及ぼすのは単なる「変革」ではなく,デジタル技術による破壊的な変革を意味する「デジタル・ディスラプション」.すなわち,既存の価値観や枠組みを根底から覆すような革新的なイノベーションをもたらすものであると捉えられている.
文部科学省も,この教育DX時代に対応して令和2年12月23日に文部科学省デジタル化推進本部から「文部科学省におけるデジタル化推進プラン」を報告している.ここでは,「・・・ポスト・コロナ期のニューノーマルに的確に対応していくために必要なDXに係る取組を早急かつ一体的に推進していかなければならない局面を迎えている.」とし,次のように4つの具体的な方針を掲げている.
①GIGA(Global and Innovation Gateway for All)スクール構想による1人1台端末の活用をはじめとした学校 教育の充実
②大学におけるデジタル活用の推進
③生涯学習・社会教育におけるデジタル化の推進
④教育データの利活用による,個人の学び,教師の指導・支援の充実, EBPM等の推進特に,①のGIGAスクール構想については,令和3年3月12日の「GIGAスクール構想の下で整備された1人1台端末の積極的な利活用等について(通知)」において,「文部科学省では,Society 5.0 時代を生きる全ての子供たちの可能性を引き出す個別最適な学びと協働的な学びを実現するためには,学校現場における ICT の積極的な活用が不可欠との観点から「GIGA スクール構想」を推進しているところであり,関係各位の御尽力により,本年4月から,全国のほとんどの義務教育段階の学校において,児童生徒の「1人1台端末」及び「高速大容量の通信環境」の下での新しい学びが本格的にスタートする見込みとなっている.」と述べている.また,“新たな学び”について,文部科学大臣がメッセージで,「1人1台端末環境は,もはや令和の時代における学校の「スタンダード」であり,特別なことではない.これまでの我が国の 150 年に及ぶ教育実践の蓄積の上に,最先端の ICT 教育を取り入れ,これまでの実践と ICT とのベストミックスを図っていくことにより,これからの学校教育は劇的に変わる.この“新たな学び”の技術革新は,多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学びや創造性を育む学びにも寄与するものであり,特別な支援が必要な子供たちの可能性も大きく広げるものである.」と子供たち一人一人に個別最適化され,創造性を育む教育 ICT 環境の実現を求めている.ここでは,子供たち一人一人に個別最適化され,創造性を育む学びとは何か,その実現のための“新たな学び”とはどのような学びで,従来の学びとどのように異なるのかについて考える.
(2)遠隔授業(ハイブリット型授業)
授業の設計に関して「何をどのように教えるか」がカリキュラムである.それに対して,カリキュラムを構築するための方法論が「インストラクショナルデザイン」である.インストラクショナルデザインは,カリキュラムを効率的に教えるために,学習者の特徴や与えられた環境,教育リソースなどを考慮し,最も効果的で効率的・魅力的な教育方法を選択することであり,実行と評価を繰り返すことで,研修の成果を高めることができる.
ハイブリット型授業のためには,テキスト,教育リソース(教材・素材のデジタルアーカイブ),質問・応答の体制が重要である.特に,各教科の学習到達目標の見直しと学習を深化するための仕掛け,教育リソース(個別に対応した教材・素材のデジタルアーカイブ等学習支援デジタルアーカイブ)が重要である.また,「自ら知識を構成する」学習観である構成主義の学びと創造的に学ぶ(クリエイティブ・ラーニング)教育を実現においても,教材のデジタルアーカイブの充実は必要となる.このハイブリット型授業には以下の3つの型がある.
(a)Ⅰ型
対面授業とe-Learning を交代に組み合わせて,e-Learningの映像により理論的な学びをし,対面授業によりグループ討議やワークショップを行う.e-Learningにより授業内容に課題や疑問点を持ち対面授業に向かうことで,個別最適化した学びの実現と問題解決能力を身に着けることができる.
(b)Ⅱ型
対面授業とe-Learning を組み合わせて,最初の対面授業にて授業の目標を明確化し,学習の方法を示したのちにe-Learningによるオンライン授業(オンデマンド学習)に取り組む.e-Learningでは,わからなかった内容を繰り返し閲覧し確認することが,自分の理解度やペースに合わせて繰り返し視聴できるため,予習時の理解も高めることができる.また,復習にも活用することができるため,知識を定着させる効率を高めることができる.
(c)Ⅲ型
e-Learning のみでの学習は,いつでも,どこからでも学習ができ,教えないで学べる完成型として位置付ける.社会には多くのオンラインでの学習機会がある.今後,広く深く学びを継続し,学び続ける教師としてハイブリット型授業Ⅲ型は,発展性がある学習方法になる.
(d) 教育リソース
これらのハイブリット型授業の効果を上げるのが教育リソース(個別に対応した教材・素材のデジタルアーカイブ等学習支援デジタルアーカイブ)である.これらの教材をデジタルアーカイブし,提供できるシステムを構築しておくことが重要である.
このように,学習者の状況などを考慮してハイブリット型授業をデザインしていくことが重要である.講座の目的は「教えること」ではなく,学習者が「自ら学ぶ」ことを手助けし,学習者に変化が起こることである.成果につながる行動変容できる人材育成のみならず,大学など学校に「学習する文化」を広げることが重要である.
本学では,2000年から遠隔教育を衛星放送,テレビ会議システムを使用して実施し,その後,2010年からはテレビ会議システム,e-Learningによるハイブリット型授業を一部で導入・実施している.
また,通信制の大学院文化創造学研究科を2008年に設置し,教員免許状上進講座,各種公開講座,デジタル・アーキビスト資格取得講座等において遠隔教育を推進してきた.
コロナ禍が教育のデジタルトランスフォーメーション(DX)を加速する中,本学は,ニューノーマル時代に求められる学びの在り方に対応するため,大学生から社会人まで幅広い学習者を対象として,本学における今までの「遠隔教育の実績」と「膨大な教育リソース(デジタルアーカイブ)」を最大限に活用し,e-Learningを授業主体として展開する新しい遠隔教育を推進している.
そして,「生涯学習社会」の実現に向けて,学習者が生活している場所を離れることなくいつでも,どこからでも,誰とでも,資格の取得を含め広く文化創造学を学び,多様な文化創造活動を支える専門的かつ実践的な力を持つ知的な素養のある人材の養成を目指している.
(3)「教えないで学べる」という新たな学び
学校における授業は,教科書や様々な教材等を使用して行われており,児童生徒たちの学びにとってこれらの果たす役割は極めて大きい.学校教育における重要なツールであるデジタル教科書・教材やタブレットPC等について,21 世紀を生きる児童生徒に求められる力の育成に対応した学習環境の整備を図っていくことが必要である.
ICTの活用では,一斉指導による学び(一斉学習)に加え,児童生徒一人一人の能力や特性に応じた学び(個別学習)や,児童生徒同士が教え合い学び合う協働的な学び(協働学習)を推進することにより,基礎的・基本的な知識・技能の習得や,思考力・判断力・表現力等や主体的に学習に取り組む態度の育成ができる.
こうした学びを,学校教育法第30 条第2 項に規定する学力の3 要素である「基礎的・基本的な知識・技能の習得」「思考力・判断力・表現力等の育成」「主体的に学習に取り組む態度の育成」という観点から見た授業を実践するために今後必要な学習環境を次に考えてみる.
(1)クラウドコンピューティング(cloud computing)
クラウドコンピューティングとは,ネットワーク,特にインターネットを介したコンピュータの利用形態で,学習者は,インターネット上にあるサーバやソフトウェアなどのリソースが提供するクラウドサービスを利用し,e-ラーニング(e-Learning)等のさまざまな学習を行うことができる.クラウドコンピューティングは,インターネット回線を経由して,データセンタに蓄積された資源を利用するものであり,学校でサーバ等の設備を持たずに済むことから,情報環境を構築する負荷の軽減と,運用に伴う人的・物的負担を軽減することが可能となる.
(2)教育リソース
教育リソースとは,PCやタブレットPCで読むことができるように設計された電子化された資料などで,電子書籍(electronic Book),デジタル書籍,デジタルブック(digital book),eブック(e-book),オンライン図書(online book)も含まれる.今後は,メディアの特性を生かし,学習者が主体的に活用でき,一人一人の学習者の特性に対応した教育リソースのあり方を調査研究する必要がある.
(3)フィールドワーク
フィールドワークのためのタブレットPCの機能分析及び活用方法の検討をとおして,タブレットPCの教育利用には大きな可能性があるものの,現在流通している機器そのままでは教育利用に適さない部分が多々ある.
(4)e-ラーニング(e-Learning)
e-Learningを推進する上では,教育リソースであるデジタル教材(学習材)の整備が必要不可欠となる.デジタル教材(学習材)自体は,各学校の教育事情に応じて整備されるべきもので,一元的に学校間で利用できるものにはなりにくいと考えられる.しかし,リメディアル系やキャリア支援系等の共通基盤教材や,教育素材的なものは,内容的・用途的にも十分共有可能であり,こうした利活用可能なデジタル教材(学習材)・素材を具体的に検討し,実際に実践可能な大学間で提供しあえるルール作りを検討することが重要である.
(5)eポートフォリオ(e-Portfolio)
eポートフォリオとは,「学習,スキル,実績を実証するための成果を,ある目的のもと,組織化/構造化しまとめた収集物」のことで,学びの目標を自己点検・確認させる一つの手段として,学びの成果を可視化するためのeポートフォリオの活用が進みつつある.しかし,まだこのeポートフォリオは,自己管理・点検させるまでに留まっている例が多い.そこで,児童生徒一人一人の課題と向き合い,組織的に学習指導を行い,授業と連携した「反転授業」や,不足している能力を卒業までに身に付させるための振り返りの学習の場を提供するルールを考える必要がある.今後,eポートフォリオをどのように評価するかという研究も行う必要がある.(6)ラーニング・コモンズ(Learning Commons)
ラーニング・コモンズ(Learning Commons)とは,ICTを活用しながら,学習者自身が主体となって学ぶ教育環境をいう.能動的学習授業では,まず①教育リソース(デジタル教材)で予習をした上で,授業の最初に仮説の予想をし,②仮説をグループで討議し,机の上に用意されたタブレットPCで調査を行い,③調査結果をタブレットPCに接続された電子黒板(アクティブボード)を使って分析し,仮説が正しかったかどうかを検討する.その後,④結果を発表した後,電子黒板(アクティブボード)で仮説の内容を可視化しながらシミュレーションをし,仮説と調査結果の関係をグループで再討議し,⑤授業後に発展課題のレポートを作成する授業を推進するような,グループ・ディスカッション,ディベート,グループ・ワーク等による課題解決型の能動的学習を積極的に導入・実践することが必要となる.
そのためには,児童生徒が,十分な質を伴った学習時間を実質的に増加・確保するためにICTを利用した学習の方法として,授業の内容をアーカイブし,授業外の時間にデジタル教材管理システムで自主的に視聴できるようにする.このことにより,授業では事例や知識の応用を中心とした対話型の活動をする事が可能となる.このように,説明型の授業をオンライン教材化して授業外の時間に視聴し,従来宿題であった応用課題を教室で対話的に学ぶ教育方法(反転授業)を実践することが必要となる.
学校においては,「答えのない問題」を発見してその原因について考え,最善解を導くために必要な専門的知識及び汎用的能力を鍛えること,あるいは,実習や体験活動などを伴う質の高い効果的な教育によって知的な基礎に裏付けられた技術や技能を身に付けることができる.また,授業ための事前の準備(資料の下調べや読書,思考,学生同士の議論など),授業の受講(教員の直接指導,その中での教員と学習者,学習者同士の対話や意思疎通など),事後の展開(授業内容の確認や理解の深化のための探究,さらなる討論や対話など)やインターンシップやサービス・ラーニング等の体験活動など,事前の準備,授業の受講,事後の展開を通した主体的な学びに要する総学習時間の確保することができる.さらに,学生の主体的な学びを確立し,十分な質を伴った学習時間が実質的に増加・確保できる.
また,この学習支援を実施するためにも,自学学習をする児童生徒の利用目的や学習方法にあわせ,ICTを柔軟に活用し,効率的に学習を進めるための総合的な学習環境であるラーニング・コモンズ(Learning Commons)を各学校に整備する必要がある.
資料
1.Multi Campus One Digital University構想
2.Multi_Campus_One_Digital_University構想__私立大学地域創生推進事業20240507
3.学校DX戦略コーディネータ養成カリキュラムの開発
<課 題>
〇大学院専修免許上進のインセンティブがない。
〇専修免許上進のカリキュラムに一貫性(コンセプト)がない。
〇専修免許(16単位8科目)の取得の時間的・経済的負担が大きい。
<解決案>
〇学校DX戦略コーディネータ(仮称)の養成プロクラムを構成し、全体のコンセプトを統一し、いつでも、どこからでも、学修できるプログラムを提案する。
学校DX戦略コーディネータの定義
“学校DX戦略コーディネータ”は、学校や教育機関においてデジタルトランスフォーメーション(DX)戦略の計画、実施、および評価をし、効果的に推進する役割を担う専門家
1.履修証明プログラム
履修証明制度とは、学校教育法第105条及び学校教育法施行規則第164条の規定に基づき、大学が教育や研究に加えてより積極的な社会貢献として、主として社会人向けに体系的な学習プログラムを開設し、その修了者に対して、法に基づく履修証明書を交付するもの。
2.オンラインによるスタートアップ講座(1日)+e-Learning8科目 16単位 )
→オンラインによるスタートアップ講座(1日)により本人確認可能
→オンラインによるスタートアップ講座(地域でのアウトリーチ可能)
3.学校DX戦略コーディネータ概論の作成
4.学校DX戦略コーディネータ(仮称)の養成プロクラムの特色
①教員ICT活用指導力の向上(目標)
②生成AIの活用に関する内容(追加)
③教育データの利活用に関する内容(追加)
④著作権や情報セキュリティに関する内容(追加)
7.スケジュール
令和7年度:4月から実施
8.カリキュラム
学校DX戦略コーディネータのカリキュラムを以下のように15講で示します。このカリキュラムは、デジタル技術を活用して学校の教育・運営を改革するための戦略を立案し、実行するためのスキルや知識を提供します。
【講座】学校DX戦略コーディネータ特論(Ⅰ)
【講座】学校DX戦略コーディネータ特論(Ⅱ)(構築中)
資料
①【e-Learning】学校DX戦略コーディネータ特論(Ⅰ):学習到達目標
②【e-Learning】学校DX戦略コーディネータ特論(Ⅱ):学習到達目標(内容含)